ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐バンド HEROESツアー大阪3(ネタバレあり)

2019-11-30 17:47:00 | ライブ
今回のネタバレ防止ネタは、ツアー初日のサンスポ「ヒューマン」に掲載された
「『見たことのない頂へ』永遠のHERO甲斐バンドの旅は続く」の前半部です

「暴動寸前になった花園ラグビー場公演や新宿副都心での3万人野外ライブなど
日本のロック史に数々の伝説を打ち立てた甲斐バンドが、デビュー45周年を迎えた
16日には集大成となるベスト盤『HEROES』を発売
きょう26日からアルバムをそのまま曲順通り披露する全国ツアーをスタートさせる
『見たことのない頂にたどり着きたい
いつも、そういう思いでやっている』とリーダーの甲斐よしひろ(66)
『永遠のHERO』たちの飽くなき旅は終わらない」との紹介があり

「『(一時解散して)別々の時期もあったけど、俺たち45年も日本中を旅している
デビューしてしばらくは、明日をも知れない感じでしたからね』
公演前のNHKホール(東京・渋谷)の楽屋で甲斐は、つぶやいた
1974年11月にデビューし、2枚目の『裏切りの街角』が75万枚を売り上げ、ブレーク
『当時生演奏がうまくなかった
あのヒットで、いろんなところに呼んでもらえて、とにかく演奏した
そこでバンドサウンドが確立できた』

ドラムの松藤英男(65)も『甲斐さんが「売れてアルバムを出したら
(作詞作曲が多い)俺が最初にもうかるから、いいオーディオセット買って聴かせてやる」
って言ったの、ずっと覚えてるな』と懐かしむ」
…という初期の甲斐バンドに関する記述を読んで「ちょっとヤバかった」と奥さん(苦笑)

甲斐さんのデビューが決まってから結成された新人バンドが
「一旗揚げてやる」と不退転の覚悟で、右も左も判らない東京に出て来られ
プロとしてやっていけるのかという不安を抱えながら
4人で共同生活を送っていらした頃のエピソードは
45年経ってもやはりグッと来るみたいです

「若い音楽ファンの誰もが知る存在になったが
甲斐はバンドの慢心に危機感を覚えて単身渡米し
78年にバンドとは違うコンセプトとなる全曲カバーのソロアルバムを発売
『お前らうまくなったと思うなとメンバーに喝を入れたんです』
もともとはギターで、甲斐バンドに入ってドラムになった松藤は『とにかく追いつかないと』」…との件にも

その慣れないドラム演奏で疲れてうたた寝なさっていた松藤さんをご覧になった甲斐さんが
「ああ俺はこいつをここまで連れてきてよかったのかなあって、複雑な気分になったりしたよ、よく
でも、そんなとき、すぐに俺は『こいつらを絶対、一生食わしてやれるくらい
このバンドをビッグなバンドにしてみせるぞ』って本気で思ったもんね、やっぱり」
…と揺れる気持ちを、決意を新たになさることで抑え込んでいらしたことを思い出した模様…

という訳で…【安奈】が終わると、再びスタンディングで待ち構える大阪府民(笑)
【ティーンエイジ・ラスト】は、前日の神戸にも増して大声熱唱(笑)
「ライブ映像を残すつもりなら、今日カメラを回すべきだったね(笑)」と奥さん(笑)

まあ、以前から甲斐さんご自身が「ホントに盛り上がるのは
大阪だったり名古屋だったりするからね」とおっしゃってますし
試しに一度、東京以外でシューティングなさってみたらいかがでしょうか?(笑)

ともあれ…奥さんは【三つ数えろ】【氷のくちびる】【ポップコーンをほおばって】
【翼あるもの】【HERO】とライブ後半の王道のラインナップの時に
過去に参戦したライブの光景が、よくフラッシュバックするらしいんだけど

それは、甲斐さんのちょっとした仕草や姿勢、表情や首の角度などによって
「あっ!」と一瞬の内に甦って来るみたいで
甲斐さんはロン毛の青年に、自分は地方の女学生(笑)に引き戻され、しばし遠い目に…(笑)

特にこの日は、前日に過去の神戸公演にまつわるエピソード…
例えば、甲斐さんが【港からやってきた女】を書かれ
「鼻をかんでくれた」という歌詞は「なかなかないだろ」とおっしゃったことや
「甲斐の婚約者です」と名乗って、楽屋に入り込んだファンのこと(笑)

運営側が「メンバーをいかに脱出させるか?」と知恵を絞られていた頃の出待ちの際に
当時の甲斐さんとクリソツでいらしたマネージャーの佐藤剛さんが
楽屋口のガラス扉を横切って、別の出口に向かわれ、ファンを誘導なさったり(笑)

松藤さんお一人が楽屋口から出て来られ
出待ち隊にもみくちゃにされる生け贄となられたり(汗)
あまりに出待ち隊が多過ぎて、これじゃ見えないと、一か八かで別出口の前に立っていたら
唇に人差し指を当てて「シーッ」と言いながら甲斐さんが出て来られたり…(笑)

ライブ中に、甲斐さんが「親父が危篤だと連絡があった」と明かされたものの
「今夜も目一杯やるから」という言葉通り、渾身のパフォーマンスを見せて下さったこと
…などなどを思い出したせいもあってか?
頻繁に若い頃の甲斐さんの姿が目に浮かんだみたいで

終演後の打ち上げで、その話をすると、甲斐友さん達も同じように感じていたらしく
当時は知り合いでも何でもなかったけど、同じ時代に同じバンドのライブを観た者同士
アニバーサリーツアーに思うことは一緒なんだなあと
改めて、リアルタイムで甲斐バンドに出会えた幸運を噛みしめたようです
コメント
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