甲斐バンドの薬師寺ライブ「裏切りの街角」の映像について、甲斐さんがコメントされたあと
廣瀬智美アナウンサーが「…ということで、この『裏切りの街角』へメッセージ
たくさん届いてますので、ご紹介させて頂きたいと思います
50代の女性、兵庫県のいっしゃんさんです」とおっしゃった途端
我が家では、飲んでいたコーヒーを吹いた者が約1名…(笑)
前回の放送…というか「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版」では
ある甲斐友さんが「奥さんが書いたのか?」とカン違いしたくらい(笑)
ドンピシャな内容のメッセージが読まれたんだけど
今回は、この放送を観た奥さんの弟くんから
「アレは姉なのか?」という問合せが来たらしく(笑)
返事をするついでに、先月の「LEGENDS」で
弟くんが、時任三郎さんにエレベーターの扉を開けて貰った話が読まれたと報告したそうです(笑)
奥さんとしては、その前回の投稿みたいに「ゲストへのメッセージ」を送ろうと
甲斐さんのデビュー当時からのファンであることを告げ
甲斐さんご自身も「ふとした拍子に耳にした曲が、まるで『タイムマシン』のように
一瞬にして、その曲を聴いていた当時に引き戻すことがある」とおっしゃっていた通り
あらゆる記憶が甲斐さんの曲と結びついていると言っても過言ではないことや
まさかこんなに長く甲斐さんのファンでいることになるとは、夢にも思っていなかったものの
甲斐さんが、今も現役で活動を続けていらっしゃることに感謝し
これからも、甲斐さんがステージに立たれる限り、会場に馳せ参じる所存であること等々を
簡単に下書きして、番組の投稿フォームを開き
「ニックネーム」や「性別」「年代」「今回放送予定の楽曲で好きな楽曲は?」
「お住まいの都道府県」などの質問に答え…って
最近いつも甲斐さんのラジオ番組に投稿する際に使っているラジオネームではなく
1つ前のラジオネーム…それも、ローマ字表記にしていたために
甲斐さんには「イッシャァァン!」と「キャシャーン」みたいに発音されていた(笑)名前を
本来の(笑)学生時代の呼び名で出していたので
「甲斐さんはピンと来てなくて良かった(笑)」反面「弟にはバレるよねぇ…」と苦笑い(笑)
ともあれ…いざ「下書き」を貼りつけようとしたら
「出演のナビゲーター、トークゲストへのメッセージ、番組へのご意見ご要望はこちらへ」
…という欄の前に「選んで頂いた好きな楽曲にまつわるエピソードを教えて下さい」という
「必須」マークの付いた欄があり…って、下書きしたメッセージを貼ろうとした欄は
「必須」じゃなかったんだとか…(笑)
今からエピソードを考えながら書いていると「LEGENDS」の「投稿フォーム」みたいに
途中で閉じてしまうかも知れないと思いつつ
かといって、下書きしてからアクセスし直して
また再び「ニックネーム」から答えて行くのも面倒だなあと
結局、大急ぎで書き込んだものが採用されたので、思わずムセて吹いた次第…(笑)
そういえば、由紀さおりさんと山口智充さん司会の番組に参加した際にも
「裏切りの街角」に因んで「裏切った又は裏切られた」エピソードを訊ねられ
予め考えて来た話を記すには、あまりにも用紙が小さかった(笑)上に
日も落ち切った、街灯もまばらな歩道にしゃがみ込んで書かなくてはならず
苦労したのにボツになり…って、採用された皆さんなんて
結局、オンエアーでは、そのコーナー自体が丸ごとカットされていて(苦笑)
もっと残念な思いをなさったことと思われますが
いかんせん、甲斐さんが編集に立ち合われたとあっては、致し方ないんじゃないかと…?(汗)
それはさておき…奥さんは、廣瀬アナが自分の投稿を読み上げていらっしゃる間
画面下に、その内容が表示されることと、甲斐さんの表情を気にしまくりだったんだけど(笑)
「『裏切りの街角』がリリースされた時は、歌謡曲全盛期で…(『うん』と頷かれる甲斐さん)
(小学校の)同じクラスに、甲斐バンドを知っている人は1人もおらず
『何それ?変な名前!』などと言って来る男子もおりました…(笑って頷く甲斐さん)
が、その後『HERO』が大ヒットすると、その男子が
『実はオレ、デビュー当時から甲斐バンドには注目してたんだよね』と言い始め
(甲斐さんは『うん、うん』頷かれ、DJ KOOさんにウケてました(笑))
『どの口でそれを言う?』と呆れかえったことも、今では懐かしい思い出です」と
とりあえず、誤字脱字がなく、言わんとすることは伝わったと、ホッとした様子…(笑)
あっ!ちなみに、奥さんが小中高と12年通った学校は、全て同一道路沿いにあり
高校までずっと同級生となった生徒が多かったらしく
件の「男子」も、そんな同級生の1人みたいで
小学生の時に「変な名前!」と言ったことなどなかったものとして
他の中学からやって来ていた、高校の同級生に
ドヤ顔で「注目してた」発言をブチ上げていたそうです(笑)
ともあれ…メッセージを読み終えられた廣瀬アナが
「やはり、そういう時代のちょっと交錯する…」と言いかけられると
甲斐さんは「まあ、そうですね、ロックは市民権がまだない時なんで…
(『あっ、そうですね』とDJ KOOさん)
だから、どれだけ…あのー、ナンての?シングルヒットというか、その、あの…
曲をチャートに送り込めるか?っていうのが勝負だって思ってました、やってましたよね」
…と話されてましたが、去年の「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版」でも
DJ KOOさんが「(甲斐バンドは)ロックなんですけれども
コマーシャリズム…という言い方が(適切かどうか)…」と言いよどまれた時に
「イヤ、そうですね。あのー、チャートはもう
いつも意識しながら作ってたんで…
僕、あの…ビートルズとかストーンズって、小学校3~4年なんですけど
いつも、ちゃんとチャートイン…(『そうなんですよね!』とDJ KOOさん)
うん、そうやんないと、あの…やっぱり面白くないなというか、つまらないなと…
自分が小っちゃい時に、そういうのを目の当たりにしてるんで…
で、僕らの前のロックは、ナンか、チャートインとか、あんまり考えてない感じだったんですよ
ただ、良いアルバムとか、いっぱいあるんですけど…
だから、あの…ミカバンドとかはっぴいえんどとかね、僕、高校の時、影響されたんですけど…」
…と「チャートに入るロック」を目指されたことや
「僕らはまあ、一番良い形で表現して送り出すんです…リリースするんですけど
もう…売れたりとか、そっから先はもう、僕らの…僕のものじゃないですからね
だから、色んな人たちが、色んな思いに浸れるような曲を
どれだけ沢山作れるかっていうところが、まあ、勝負だったんでしょうけどね」
…と「いったん作品をリリースしたら、それをどう受け取るかは聴き手の自由だから」という
プロの作り手としての覚悟にも触れていらっしゃいましたが
それは、あくまでも「その時代を取り巻いてる色んな感覚を吸収してさ
最大公約数の無意識っていうもんをね、てめえの血と肉を使って表現」した作品で勝負する
…という意味であって、単に「売れ線」を狙うとか
ヒットさせることを優先したという意味ではないだけに
当時の歌謡界の「常識」だった、シングルは3~4カ月に1枚リリースするというペースで
いわゆる「職業作家」の先生方と、しのぎを削らなければならなかった状況を想像すると
あえて、ご自身を追い込むようにして作品を紡ぎ出されていた若者の姿に
ちょっと胸が痛んでしまいますねぇ…(汗)