ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

照和その12

2013-05-15 12:59:27 | メディア
照和のレギュラーになる以前の妙安寺ファミリーバンドが

初めて岸川さんの番組に出演した時

大学の友人たちが大勢で駆けつけたこともあり

羽目を外して岸川さんから何度も注意されたそうだ(笑)

番組が終わって岸川さんから呼ばれた門田さんは

てっきり叱られるものと思っていたら…

岸川さんいわく…

お前たち、面白かったよ
やっぱり音楽は楽しくなけりゃいかんね

今度、番組を全部、お前たちにやるけん、出んか?

通常なら3組のアマチュアが出演する番組が

妙安寺のワンマンコンサートになったという(笑)


財津和夫さんは

岸川さんが財津さんの曲をステレオにしようと
モノラルスタジオを2つ使って

狂ったように高揚して両方のスタジオを
行き来されていた姿が忘れられないそうだ


岸川さんが甲斐さんに
『会えないか』と電話をされ

顔を合わせるなり
『なぜ私の番組に出ないんだ』と
たたみ込まれた話は有名ですよね(笑)

甲斐さんが

チューリップの亜流バンドばかりが出ていて

マンネリでヌルい雰囲気に
ウンザリしていると答えると

『じゃあ、お前がそれを変えろ』
と言われた岸川さん(笑)

奥さんいわく…

甲斐さんの【魂のゴング】が鳴ったね♪(爆)

プロになるなら
フォークコンテストに目標を絞り

そのために自分の番組を利用しろ
と説得されたという


岸川さんは西南大学のグリークラブ出身で
純粋に音楽がお好きだったようで

アマチュアの若者たちの熱気を受けて

市民権を獲得しつつあった
フォークが根付けばいいと願っておられたという

一緒に食事をして
どうしたら良い曲になるかと
音楽談義に夢中だったそうだ

感性のある良い旋律の曲なのに
歌詞に深味がないと

『良い詩を書け!出来ろうが』と
そればかりおっしゃってたらしい(笑)

もしかしたら、岸川さんが
甲斐さんや門田さんを可愛がっておられたのは

おふたりが歌詞を書くことと関係あるのかな?(笑)


コンテストの前夜に泊まった旅館で

甲斐さん達が部屋の冷蔵庫の中身を
全てさらってしまい(笑)

翌朝、支払いは地方局の負担と知って
真っ青になってる岸川さんに

甲斐さんは『優勝すりゃあいいんでしょう』と言って

ものすごい剣幕で怒鳴られたとか(爆)

決勝前のリハーサルでは

モニターの音がひどくて本番ができないと

スタッフに怒鳴っている甲斐さんを見て

岸川さんは『お前って奴は…』と
首をひねって絶句されたとか(爆)

甲斐さんが、他の出演者の目の前で
メンバーに優勝賞金を配っているのを

岸川さんに見つかって首根っこを押さえられたとか(爆)

甲斐さんいわく…

ブッチ切りで優勝して
さらに他の出演バンドを完膚なきまで叩くために(爆)

あえてグランドピアノの上で
札びら見せびらかして配った(笑)

岸川さんは一昼夜の間に何度も
大変な思いをされたんですね(爆)


門田さん達がコンテストに出場された時も

メンバー全員が初めての飛行機に興奮して

アチコチうろついたり
やたらボタンを押したりして

乗務員の方に注意をされたがったり(爆)

救命胴衣の説明をしている時にも
拍手や口笛ではやし立てたり

『膨らみが足りない場合は…』という説明には

『胸の膨らみが足りない場合も…』と騒いで

岸川さんに『うるさいぞ!お前ら!』と怒鳴られたらしい(笑)

ちなみに…

妙安寺ファミリーバンドは準優勝に輝き
前回3位だったリンドンを超えたらしいんだけど

リンドンのように
レコード会社や音楽事務所のスカウトが
来ることはなかったそうだ(苦笑)
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照和その11

2013-05-14 20:50:58 | メディア
井上陽水さん、チューリップ、海援隊と
福岡から相次いでスターが誕生したことで

福岡は『日本のリバプール』と言われ
東京のレコード会社や音楽関係者の注目を集めた

猫も杓子も『福岡出身』というだけで
ひとくくりにされていることに反発して(笑)

西田四郎さんが甲斐バンドに
『九州最後のスーパースター』という

キャッチフレーズをつけたのは有名ですよね(笑)


それはさておき…

照和出身のミュージシャンは皆さん

KBC九州朝日放送の岸川均さんを始め
RKB毎日放送の野見山実さん
TNCテレビ西日本の藤井伊久蔵さんなど

博多の放送局の方々を恩人と呼んでおられます

福岡ドームの柿落としライブは
野見山さんの定年退職がきっかけだったようだし(笑)

甲斐さんが博多でのライブのたび
岸川さんに会いに行かれていたのも以前にご紹介しました


藤井さんは

小倉の井筒屋文化ホールや福岡の明治生命ホールで

定期的にフォークソング・フェスティバルを開催され

演奏の場がなかった
アマチュアグループの登竜門として人気を集めておられた


野見山さんは

『スマッシュ・イレブン』というラジオの深夜番組で

アマチュアのオリジナル曲を放送されていた方です

当時、働きながらプロを目指していた陽水さんは

学生中心のフォーク状況には縁がなく
音楽関係者との繋がりもなかったので

番組の担当者に会わせて欲しいと
直接RKBを訪ねて行き

野見山さんにデモテープを聴いて貰ったそうだ

野見山さんは即座に『これはいい!』とおっしゃって

その後すぐにスタジオで録り直し
ラジオで放送されたという

リスナーから再放送のリクエストが殺到し
再び曲を流すと更にリクエストが…!
遂にナンバーワンに輝いたそうだ

野見山さんが陽水さんを
CBSソニーのディレクターに紹介したことで

陽水さんのプロデビューが決まったらしい

野見山さんは

衣食が足りたら、次は音楽。音楽は生活必需品(笑)

とおっしゃるほど音楽好きな方だけあって

良いと思った音楽に対する反応が速かったようだ(笑)


岸川さんは

『ショコラ・ヤングナイト』や『歌え!若者』という
アマチュア参加番組を作っておられた

元は『みんなで一緒に』という30分番組だったものを

1時間に拡大した『歌え!若者』にはスポンサーが付かず(汗)

番組編成の時期には
孤軍奮闘で継続を主張されていたらしい(笑)

文化放送でも似た話を聞いたような気が…(爆)


福岡が注目の的になっていた頃

岸川さんには連日のように
東京のレコード会社や音楽関係者から電話がかかり

新しいミュージシャンや人気が出て来たバンドはいないかと
問い合わせられたそうだ

岸川さんは『青田刈りもいい加減にしろ』と
ウンザリされていたらしい(苦笑)

アマチュア時代の恩人と言われることについては…

良い曲があれば、世に出してやりたいと思うし

たまたま自分が役に立てる場にいただけで
彼等は自ら躍り出たんです


甲斐さんいわく…

今や慣習にさえなっている
『アーティストが売れると何らかの権利を主張する』

ということさえしない清廉潔白の人だった

という訳で
次回も岸川さんについてのお話を…
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照和その10

2013-05-14 10:35:33 | メディア
甲斐さん初のソロコンサートの後

小宮さんは2ヶ月に1度の割合で
コンサートを企画されたそうだ(笑)

門田さんも福岡大学のフォークソング愛好会として

学内・学外のコンサートを行なっておられ

以前にも触れた『フライドチキン』を設立して

小宮さんと一緒に企画・運営されていた

これらのアマチュアコンサートには
『リンドン』や『ピエロ』など

照和の出演バンドも参加していたようだ

映画の中でイチローさんが

照和でも勉強になるんだけど
ここだけじゃなくて

600席とか800席のホールでのコンサートと
両立できないとダメだと思っていたと話されていた

照和のステージが不断の努力をする場なら

コンサートはその努力の成果を見せる場所だったそうだ

成功すれば自信がついて
その自信が照和のステージに跳ね返り

上手く行かなければ
より努力に励むようになるからだという


藤松さんは
ご自身が音楽のことを何も判らないので

最初は顔見知りの学生の方に頼んで
出演バンドを探して貰い照和を開店された

その後は『テキサス決死隊』の定方さんをチーフにして
定方さんが大学を卒業されると

1階の喫茶店にいた広津さんが
地下に移動したいと申し出るといった具合に

ステージに関する部分はほとんど
学生やアルバイトの若者に任せておられたようだ

広津さんと甲斐さんが照和のステージ面を管理され

外部の小宮さんとコンサートを行なっていた頃が
一番安心して運営を任せられたという

甲斐さんも広津さんのことを

ラジオとか地元のメディアとも上手く関係を保ち

柔軟で冷静な姿勢を貫きながら対応していた
と話されてます

ちなみに…

小宮さんは
後にサブマネージャーからマネージャーになられ

その次のマネージャー張田さんの下で
サブに着かれたのが中野茂樹さん

高校生の時に甲斐さんと
『ノーマンホィット・フィールド』を組んでおられた方です

照和には『野多目ジャグバンド』として出演され

博多での舞台挨拶の時に
甲斐さんと【HERO】を演奏しておられたそうだ

張田さんの次は『あかんべぇ』の秋吉さんで

その後、門田さんが
最後のマネージャーを勤められることになる


それはさておき…

照和のステージとコンサートの他に

地元メディアのアマチュア参加番組にも
演奏の場を求めたことが

結果、音楽を演っている学生たちの間に
口コミで照和の名前を浸透させることになったようだ


映画でイチローさんがおっしゃっていた通り

ラジオに出演したバンドが
照和で演奏していることを告げると

そのバンドを目当てに見に来たり
自分たちも照和に出演したいとやって来たり

互いに連動して照和は全盛期を迎えることになった


それ以前も、土・日は人気バンドの出演日とあって
狭い店内は客で溢れるので


チケットとドリンクの交換は店内ではなく

地下に降りる階段の途中で行われていたそうだけど

その階段にまで立ち見の客が陣取り
甲斐さんがおっしゃったように

建物の周りを行列が囲んでいたらしい

長岡さんによると…

オーディションの申し出が引きも切らず

最盛期は100組以上のバンドが
オーディション待ちをしていたそうだ(汗)

レギュラーと言えども
常に努力、練習をしなければ

その座をいつ奪われるか判らない状態だったという(汗)

森山達也さんも映画の中で

オーディションに受かって、逆に大変でしたと
おっしゃってましたね

照和に出演しているかどうかで
そのバンドの信用度まで違っていたらしい(汗)


KBCの岸川さんいわく…

当時の照和は

若者たちが生演奏で腕を鍛え
お互い切磋琢磨できる場所だった

その地元メディアの話は、また次回で…(笑)
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照和その9

2013-05-13 13:35:31 | メディア
甲斐さんが照和に復帰され
3ヶ月くらい経った頃…

後の『自称・甲斐よしひろのマネージャー』こと小宮真一さんが

甲斐さんに『コンサートを開こう』と
声をかけて来たそうだ

左手でギターを掻き鳴らし
精力的に歌う甲斐さんを見て

『なんて根性のある奴なんだろう』と
ファンになってしまったらしい(笑)

イベント企画の手伝いをしたり
『マリモ』のバンドマネージャーをやっていた小宮さんは

ご自身が舞台に上がるより
裏方で働くことが好きになられたようだ

ちなみに…

『マリモ』の永隈晋さん、長岡さん
『三輪車』を解散した大森さんは

3人で『新撰組』というバンドを結成されていたそうだ


甲斐さんは
まだ本格的に歌い始めて日が浅いし

800人も収容できる会場なんて
大き過ぎて自信もないと

小宮さんの誘いを断ったらしいんだけど

小宮さんは連日、照和に現れては
何度も何度もかき口説いたという(笑)

甲斐さんいわく…

執念に圧倒され(笑)根負けして
OKしてしまった

ただし、演るなら全部オリジナル曲で…
とこだわった甲斐さん

まだ数曲しかなかったオリジナルを
本格的に作り始めたそうだ

家出中にも合宿所で
【バス通り】【恋時雨】と

後の【かりそめのスウィング】の原曲となる
【師走】を作られたらしい

甲斐さんいわく…

このことは今日の俺を形成する上で
貴重なシーンだったかも知れない


当時のアマチュアのコンサートは
税金に煩わされることがないよう

100円に設定されることが多かったらしい

義理でチケットを買って貰えたとしても
忘れてしまったり、気が変わったりして

行かずに済ませても惜しくはない金額
まして当日に雨が降ったら…(汗)

甲斐さんはご自身がまだ無名で

しかも照和でしか歌っていないことを
不安に感じておられたようだけど

当日、会場には900人の観客が詰めかけたという

この数字は当時
アマチュア単独ライブでの新記録だったそうだ

ライブは生ギター1本から始まり
エレキに持ち替えると、バックバンドが入る

後半からカントリーバンドがバックを勤め
最後は生ギター1本で締めくくる

という2部構成だったようだ

ちなみに、この時のミキサーは
松藤さんが勤めておられたらしい

甲斐さんは
この日の拍手の重さと暖かさを
しっかり胸に刻み込んだという

甲斐さんいわく…

このライブに駆けつけてくれた人たちは

俺という人間に
初めて期待をかけてくれた人たちなんだ

滅入りそうな時や
どうしようもなくツキに見放された時
いつもこの瞬間を思い出す

このコンサートが支えてくれたから
苦しくても止めようとは思わなかった


以前にも触れたことがありますけど

甲斐さんはこの日に

『本気でプロになろうと決めた
いや、本当のプロになったんだ』
と思われたそうだ
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普通の日記

2013-05-12 14:35:03 | 日記
ずっと『照和』について
ボクなりにアレコレ整理しながら書いてるんだけど

よくご存知の方には、何を今さら…と退屈でしょうし(笑)

まだ先は長そうだし(汗)
ちょっと一休みして…(笑)


昨日の『にじいろジーン』に
船越英一郎さんが出演され

『ぐっさんを連れていくなら…』のコーナーで
ご自宅周辺のお店を案内されてました

その中の1件が
甲斐さんも『はなまる』のおめざで
紹介されたお店だったんだけど

船越さんのオススメ料理は
『生ウニのクリームソース・パスタ』で

ぐっさんに『甲斐よしひろさんも大好き♪』とおっしゃって

いきなり【安奈2012】のCDを取り出し(爆)

タイトル文字を書かせて頂いたと話されてました(笑)


奥さんによると
甲斐さんはウニもお嫌いだそうで(笑)
資料を漁ってみたら有りました!

あのモッサリしてるルックスが
アピールとか主体性がなさそうな感じで

歩くのもいかにもウニウニ歩きそう(爆)

多分、船越さんは
甲斐さんも大好きなお店という意味で
おっしゃったんでしょう(笑)


『県庁おもてなし課』のプロモーションでお忙しそうな中

わざわざCDを持参されるなんて
ホントに良い方なんですねぇ♪


プロモーションと言えば
原作もスタッフも同じということで
先週『阪急電車』が放送されてました

ラストの中谷美紀さんと戸田恵梨香さんが
話されているシーンを見るたび
いつも奥さんは笑っている(苦笑)

奥さんいわく…

だって『ケイゾク』の柴田と
『SPEC』の当麻が喋ってるんだもん(爆)

3代目『ミヤビちゃん』も出てるし(笑)

…などと制作側の意図とは
全く無縁なところで喜んでいる(汗)

ケイゾクもSPECもご覧になってない方には
さっぱり判らない話でしょう?(苦笑)

甲斐さんはどちらもご覧になっていたようだけど

好きなシーンは
竜雷太さんと徳井優さんの
『ダジャレ合戦』だったらしい(爆)


余談ですが…
阪急電車の撮影に際して

舞台となる今津線の近隣住民の方々に
エキストラの募集がされたそうで

奥さんの職場の方も参加しておられるらしい(笑)

通常ダイヤの隙間を縫って
臨時の撮影車両を駅に滑り込ませての撮影だったので

NGを出すと撮り直しのために
また臨時ダイヤを組まなければならないという(汗)

役者さんもスタッフの方々も物凄い集中力で
緊張&短い撮影時間と戦っておられたそうだ

おかげで公開後は観光に訪れる方が増えて
宝塚ファンだけじゃなく
大勢の女性客で賑わったらしい


余談ついでに…(笑)

甲斐さんのアコギライブの帰り
奥さん達が乗っていた電車に

宝塚から4人の女性が乗り込んでこられたそうだ

奥さん達と同年輩らしいんだけど

入学式か結婚式の帰りかと思うような
上品なスーツや華やかなワンピースを召されていて

小声で何やら楽し気に話されていたという

どうやら宝塚歌劇を観劇された
いわゆる『ヅカファン』の方々だったようで

奥さん達は、同じライブの帰りでも
ずいぶんと違うもんだな(笑)と笑ってしまったらしい(爆)

そういえば…
宝塚の(誰だった?)方がカバーされた
【かりそめのスウィング】があるんですよね?

スタッフの方が
甲斐さんより滑舌が良くて

歌詞が聞き取りやすいとおっしゃったそうだけど(笑)

奥さんいわく…

滑舌よく元気よく歌われてたらヤダなぁ…(笑)
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