お宿に帰ってきました。私はここで単独行動。公園らしきを整備中でした。そこには四つのご案内がありました。「無人島発見之碑」これをどうしても見に行きたいのです。
そこには苦手の石段が待っていた。でも進まないわけにはいきません。
まず目に入ったのが「小笠原開拓之碑」何が書かれているのか分かりませんが、隣の説明文を見ると、明治政府は維新後小笠原諸島の本格的な開拓を進めた。・・から書き始めていました。石碑に書かれた撰文は大久保利通だと書いてあり、その文言古文書が東京都指定有形文化財だといいます。
さらに石段をのぼっていったらトーチカだ。
その横にトーチカ出入口があった。中をのぞいてみたけど真っ暗け。
少し離れたところから写すとこうだ。納涼山登山道を挟んで入口とトーチカ。でも右のトーチカの穴はこの角度からは見えていません。
こちらが私の見たかった本命「無人島発見之碑」東京都知事鈴木俊一書としてある。この島を発見したのが信州深志城主(現松本城)小笠原長時の曾孫の貞頼だといただいたパンフに書いてあった。村史を検索してみたらそれは1593(文禄2)としている。よってこの島に小笠原という発見者の名前が付けられたようだ。この松本城が私にとって大きなつながりがあるらしいのです。
川中島合戦で武田信玄から、松本城のお侍だったであろう景秀(兵衛)がいただいたと思われる謝状と一緒に家系の流れが24代にわたってつづられている巻物があった。この兵衛から14代ぐらいあとが現代になりそうだ。これに続く巻物の最後が次の写真です。元亀3年(1572)としてある。
この花押は彼のもののようにみえる。その信玄の謝状からは「百貫文」という字だけは読めた。ご褒美にいただいたのでしょうか。さて今の世に置き換えたお値段はいかほどになるのでしょうか。巻物についてちと調べてみたら、巻物に書かれている永禄4年(1561)河中嶋(川中島)合戦、大永7年(1527)の洛西桂川合戦は確かにあった。よって、この巻物もまんざら嘘を書いているのではあるまい。と思うのですが、ひとは「なんでも鑑定団」に出してみろという。しかし、そこで贋作、偽物といわれるのが怖い。
ディナーをあえて写しました。メニューに「ウミガメの煮物」とあるのです。この写真を見ると煮ものらしきは一鉢。
その器から「カメ」を拾い出してみました。どれがどれか分かりませんが内臓も含めていろいろの部位があるそうです。味ですか。無味無臭ってとこでした。この島では貴重なタンパク源として昔から食べていたという。しかし次第にカメが減ってきたことに気づき、これも保護に乗り出したといいます。6.7月はウミガメの産卵期のため禁漁とし、年間135頭と捕獲数を決めて漁を行っているというのです。