「幻想世界の目的」が
こんなにもクッキリはっきりと見え出してきたのは、8月、9月、10月くらいからだろうか。
そして今月は、かなり具体的に、日常レッスン体験から教えてもらっている。
この世界の目的は、この世界の源の心のレベルの罪悪感を保持し、夢見を長引かせるためなんだ。
「罪悪感を感じ、罪悪感を感じさせる」
というサイクルによって罪悪感は保持され強化され続ける。
「世界をあるがままに、愛として見る」という視覚の裏側では、
この罪悪感を感じ、感じさせるというサイクルは、うまく隠されたままで、保持されている場合がほとんどだろう。
実際、本当に隠せてしまう。
まさか自分が、うっすらぼんやりでも投影をしているだなんて普通は誰も気が付いていない。
巧みに、当たり前のように、自動的に、それはなされている。
そんな仕掛けが心の中で働かれているなんて、まず気が付けない。
「投影の仕組み」については、奇跡講座テキスト編などで、あらゆる表現で私たちに教えているし
奇跡講座の理論のページhttp://www.jacim.com/acim/?page_id=140
にてワプニックさんが解説してくださっているけれど
それを数回通して読んだからと言って、私たちはなかなか理解することができないんだ。
ということを踏まえて、奇跡講座3部作と併用して、継続的に読んでゆく必要が実はあったりします。
「読んだ=わかった」とは、なかなかならないんですね。。
言葉そのものを理解するのと、真にその内容を理解するのとでは全く違います^^;
【質問】No.99 http://www.jacim.com/acim/?p=6723
おそらく、この質問者の方も、ワプニックさんの奇跡講座の理論の解説や、奇跡講座入門編などを本当に理解できていれば
このような質問は出てこないのだろうと思いますが(けれども、質問してくださっていることにより私たちの学びが強化されてゆきますね)
まさか、心の内側で先に「自分は処罰されるべき罪を犯したのだから、処罰を要求する!」
という決断がなされ、それをそのまま幻想世界に投影をしているだなんて、、
なかなか思えませんよね。。。。。
まさか、どう考えても自分に正当性があると思えるような理不尽な出来事の原因は、
理不尽なことをしている相手側にある。
と考えるのが、この「結果の世界」にいる私たちの思考の仕方ですね。
けど、ここは結果の世界なので、本当の意味での原因は、
残念ながらどこを探してもこの目に見える世界には存在していません。
実は、ここで感じて体験しているすべての原因が、たったの一つも、この世界にはないのだ。
ということは、中々理解しきれないところがあります。
「彼は、理不尽なことを言って私を攻撃しているなあ。」
と、「私」がこの世界の中で思っているのであれば
「私は、彼のことを処罰されるべき悪事を犯した罪深き者として見る」
「自分は処罰されるべき悪事を犯しているので、処罰を要求する」
という決断を、先に、心のレベルでおこなっている。と言えるのだと思います。
実は、これによって、彼のことも攻撃しているし、そう思っている自分のことも攻撃をしていて
私たちが保持してきた罪悪感を、もう一度保持し強化させた。ということになります。
言語化すると、なかなかややこしいのですが(^^;)
早い話、他者なんて、、、いないんです。
ここは一者の夢の中の世界なので、すべてが、一者の空想に過ぎませんから
「彼が理不尽なことをする者、私に攻撃をする者」なのであれば
ここは一者の空想がイメージ化された映像の中ですから
「そういう彼」ということにして、自分についてそのように思い描いた。
ということになります。
こういう概念は、奇跡講座を学んできて2013年、2014年も、理解している感覚できましたが
やはり、この自我の力動の大がかりさ具合は、今ほどは腑に落ちて理解していなかったと思います。
理論を学び、たゆまぬ実践を繰り返し続けていって、そして体験からストンと理解してゆく。
というようなことを経て、少しずつ少しずつ、この学びのスケールの大きさに圧倒されてゆくのでしょうね。
自我の思考は、ほんとうに傲慢ですし、私たちはほぼ毎瞬と言っていいほど、それと同一化しています。
だから自分そのもののようにも思えるのですが、それは全く間違いで、自分を自分で騙しているんだ。
ということなんです。
とにかく、聖霊とともに学び続け実践を継続してゆくことですね☆
幻想レベルの、すべての原因は「神との分離を信じる信念」です。
問題の原因は、たった一つです。
そして、それに対する正気の答えは「神との分離は一度も起きていません」です。
それを真に受け入れた時、幻想のすべてから解放されます。
その解放は、言葉に尽くせぬ経験です。
その心の状態を、奇跡講座では「実相世界」と呼びます。
聖霊に従って、たゆまぬ努力で、そこを目指してゆきたいと思っています。
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こんなにもクッキリはっきりと見え出してきたのは、8月、9月、10月くらいからだろうか。
そして今月は、かなり具体的に、日常レッスン体験から教えてもらっている。
この世界の目的は、この世界の源の心のレベルの罪悪感を保持し、夢見を長引かせるためなんだ。
「罪悪感を感じ、罪悪感を感じさせる」
というサイクルによって罪悪感は保持され強化され続ける。
「世界をあるがままに、愛として見る」という視覚の裏側では、
この罪悪感を感じ、感じさせるというサイクルは、うまく隠されたままで、保持されている場合がほとんどだろう。
実際、本当に隠せてしまう。
まさか自分が、うっすらぼんやりでも投影をしているだなんて普通は誰も気が付いていない。
巧みに、当たり前のように、自動的に、それはなされている。
そんな仕掛けが心の中で働かれているなんて、まず気が付けない。
「投影の仕組み」については、奇跡講座テキスト編などで、あらゆる表現で私たちに教えているし
奇跡講座の理論のページhttp://www.jacim.com/acim/?page_id=140
にてワプニックさんが解説してくださっているけれど
それを数回通して読んだからと言って、私たちはなかなか理解することができないんだ。
ということを踏まえて、奇跡講座3部作と併用して、継続的に読んでゆく必要が実はあったりします。
「読んだ=わかった」とは、なかなかならないんですね。。
言葉そのものを理解するのと、真にその内容を理解するのとでは全く違います^^;
【質問】No.99 http://www.jacim.com/acim/?p=6723
おそらく、この質問者の方も、ワプニックさんの奇跡講座の理論の解説や、奇跡講座入門編などを本当に理解できていれば
このような質問は出てこないのだろうと思いますが(けれども、質問してくださっていることにより私たちの学びが強化されてゆきますね)
まさか、心の内側で先に「自分は処罰されるべき罪を犯したのだから、処罰を要求する!」
という決断がなされ、それをそのまま幻想世界に投影をしているだなんて、、
なかなか思えませんよね。。。。。
まさか、どう考えても自分に正当性があると思えるような理不尽な出来事の原因は、
理不尽なことをしている相手側にある。
と考えるのが、この「結果の世界」にいる私たちの思考の仕方ですね。
けど、ここは結果の世界なので、本当の意味での原因は、
残念ながらどこを探してもこの目に見える世界には存在していません。
実は、ここで感じて体験しているすべての原因が、たったの一つも、この世界にはないのだ。
ということは、中々理解しきれないところがあります。
「彼は、理不尽なことを言って私を攻撃しているなあ。」
と、「私」がこの世界の中で思っているのであれば
「私は、彼のことを処罰されるべき悪事を犯した罪深き者として見る」
「自分は処罰されるべき悪事を犯しているので、処罰を要求する」
という決断を、先に、心のレベルでおこなっている。と言えるのだと思います。
実は、これによって、彼のことも攻撃しているし、そう思っている自分のことも攻撃をしていて
私たちが保持してきた罪悪感を、もう一度保持し強化させた。ということになります。
言語化すると、なかなかややこしいのですが(^^;)
早い話、他者なんて、、、いないんです。
ここは一者の夢の中の世界なので、すべてが、一者の空想に過ぎませんから
「彼が理不尽なことをする者、私に攻撃をする者」なのであれば
ここは一者の空想がイメージ化された映像の中ですから
「そういう彼」ということにして、自分についてそのように思い描いた。
ということになります。
こういう概念は、奇跡講座を学んできて2013年、2014年も、理解している感覚できましたが
やはり、この自我の力動の大がかりさ具合は、今ほどは腑に落ちて理解していなかったと思います。
理論を学び、たゆまぬ実践を繰り返し続けていって、そして体験からストンと理解してゆく。
というようなことを経て、少しずつ少しずつ、この学びのスケールの大きさに圧倒されてゆくのでしょうね。
自我の思考は、ほんとうに傲慢ですし、私たちはほぼ毎瞬と言っていいほど、それと同一化しています。
だから自分そのもののようにも思えるのですが、それは全く間違いで、自分を自分で騙しているんだ。
ということなんです。
とにかく、聖霊とともに学び続け実践を継続してゆくことですね☆
幻想レベルの、すべての原因は「神との分離を信じる信念」です。
問題の原因は、たった一つです。
そして、それに対する正気の答えは「神との分離は一度も起きていません」です。
それを真に受け入れた時、幻想のすべてから解放されます。
その解放は、言葉に尽くせぬ経験です。
その心の状態を、奇跡講座では「実相世界」と呼びます。
聖霊に従って、たゆまぬ努力で、そこを目指してゆきたいと思っています。
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