今年の夏の撮影旅を開始してから
丁度1ヶ月が経った。30日間の撮影の合間に家に帰れたのは長野リトリートの準備のための3日間だけだった。
そして今日家に帰る途中、どうせすぐにまた静岡で撮影するんだからと、長野から静岡に行き先を変更した。
なんだか、そういうノープランの生き方が普通になってしまった。自分が今日どこに住んで何をするのかもわからない。その後何がどうなるかもまったくわからない。
今やっていることがなんなのか?
これが最終的に何がどうつながっていくのか?全然未知だ。
でも、自分で生きて自分でプランを立てて自分で道を切りひらく。。。という生き方にはほとほと魅力を感じなくなってしまった。
というよりも、そういう生き方はもうできなくなった。
先日、長野リトリート開始の前々日に
強いインスピレーションがあったので
ここで話していることが
まるまるそのまま自分に自分ごととして返ってきた。
今までのようには、もう生きることができない。という感覚。
もう、神に全託して生きるしか生きようがない。もう無理だ。もう無理だ。生きていられない。
生きるなら、神さまにすがって生きるしか方法がない。自分で生きるとか絶対に無理だ。
という強い感覚が、長野リトリート中自分に押し寄せてきた。
もう無理だから、神に委ねて生きるしかない。もう耐えられないから神にすがって生きるしかないなあ。それしかない。それしかない。。。
どうにも耐えられないので
床に顔をこすりつけてひれ伏すような心の状態だった。
私には何も見当がつかない。
未知すぎてどう生きるのか、どう呼吸していくのかも定かではない。
「私知ってる」
が、全然通用しない領域にこれからどんどん連れていかれるような感覚。。
実際に、自分の認識に及ばないレベルの奇跡が周りで起きはじめている。
どうやらそうらしい。
私の手柄でもなく、私が成したことでもなく、
でも、あたかも私たちがコミットして祈って聖霊に懇願していった結果
あっけなく、奇跡はもたらされているかのようには経験される。
そんなふうにあっけなく
自然にあらゆる莫大な奇跡がこれからも起こるのだろうな。
聖霊は私たちに納得させたいらしい。
そして、こう思っているらしい。
今日の高速道路で見た聖霊からのサイン。
聖霊が、私たちに言ってる。
「ありがとうね」
「私の方があなたに感謝しているんだよ」
青森撮影の帰り
青森撮影の合間
青森撮影の合間
長野リトリート