エア受講を開始して数週間のAさんからいただいたご質問です。
着実に、堀下がってきているからこそのご質問だと思います。
Aさん、ご質問くださいましてありがとうございます。
~ご質問~
(前略)
>罪悪感と恐怖がわたしはすごく大きくて、特に恐怖がすごく大きい気がするんです。
>これは許しによってだんだん少なくなるんでしょうか?
>この恐怖はもとをただすと、本当に神から離れたことへの恐怖なんですか?
>この恐怖というのがとてつもなく深くて、これは許しによって本当にだんだんなくなるのか、ちょっと信じられません。
>恐怖がすごく大きい気がするんです。なんていうか、本当にこれ、許しで消えるのかな?と疑問なんです。
~お返事~
正直に申し上げて、赦してゆけば どんどん知覚が平安になるかどうか?
と言えば、そうとは限りません。
と言わざるを得ません。
(そうとは限らない。という段階を、何度も経るのが一般的なコースの、あらゆるカリキュラムだと思います)
実際問題、世界はとうの昔に終わっているし
終わることができないくらい、始まってもいないのですが。。。
奇跡講座マニュアル編 P98/中央アート出版社
(M-14.1:1)
「分離が起きた!!!!!!!」
と、言い張る自分の想念・信念が、真実に対して未だ耳を貸していない状態なのだ。
と言えます。
ですから、赦しが進むということは、こういうことを指しています。
「私は、神からの分離、神から自分を引き裂くことが可能だと信じており、そしてそれを強く望んできたのだ。なんということだ。。。。」
という状態に、気が付いてゆくわけです。
知覚がなんてことなくなることが、赦しや奇跡ではないんです。
「神からの分離は起きていなかったのだ。」と心の信念が逆転することなんです。
逆転するためには、忘却してきた自分の信念と神からの分離を果たすという【野望・欲望】を認識してゆくことが必要になってきます。
今まで、かなりの精神病患者状態だったんです。それを認識しなければなりません。
パラドックスなのですが、
自分が天国ではないもの、すなわち地獄でしかあり得ない何かを
望んでいた。
ということに、気が付き、それをハッキリと認めてゆくと、、、
「そんな狂気を本気でやめよう」という決断を、改めてすることができるわけです。
その決断に至る道が、奇跡講座の道です。
それは、少なくともこの地球という惑星の設定では一番最短・時短の真の目覚めの道です。
>この恐怖はもとをただすと、本当に神から離れたことへの恐怖なんですか?
その通りです。
宇宙中のどこを探しても、それ以上の恐れを見つけることは100%不可能です。
神から離れたと思いこんでいる恐怖を、形のレベル・ストーリーにくっつけて、
どうにか解消しようとしてきた(投影してきた)だけです。
そして、思い出さねばならないのは、恐怖そのものが無なんだ。ということです。
それは、神からの分離を信じた心が、分離を錯覚した時に感じる狂った知覚に過ぎないということで
恐怖というものは、実在することが決して不可能だったのだ。
ということ。
その狂った状態から脱してゆくためには
狂っていない、正気な心に、真に助けを求めることができる自分になることです。
「概念」としてだけでも良いので、
このあたりは少しずつ、少しずつ、受け入れようと意欲を持っていってください。
瞬間、瞬間、もう一度意欲を持とう。
という粘り強さが必要です。
そして、どんどん粘り強さが培われていって、思考の逆転が起きてゆくと
誤った心の状態で打ちひしがれている自分自身のことを、完全に「大丈夫なんだよ」という眼差しで
微動だにせず、瞬間の中で待っていてくれている確かな心が自分の中にある。
ということに気が付き始めます。その慈愛の心への自分自身の信頼感が篤くなればなるほどに
もはや、どんな知覚が通り過ぎているかも 問題ではなくなってくる(赦してゆく以外にすることは無いという確信)
通過点もやって来ると思います。
そのあたりで、
神の平安以外の何も信じる必要はなく、実在もしていない。
という段階になってくるのだろうと感じます。
そこまで来ると、最初のご質問
>これは許しによってだんだん少なくなるんでしょうか?
に、
「はい。必ずそうなります。」と言えるのだろうと思います。
ただし、それが容易いこととは言えないんだよな。。。
という回答になってしまいますね(^^;)
しかしながら、必ず超えてゆけますから粘り強さを培ってゆきましょう
.
着実に、堀下がってきているからこそのご質問だと思います。
Aさん、ご質問くださいましてありがとうございます。
~ご質問~
(前略)
>罪悪感と恐怖がわたしはすごく大きくて、特に恐怖がすごく大きい気がするんです。
>これは許しによってだんだん少なくなるんでしょうか?
>この恐怖はもとをただすと、本当に神から離れたことへの恐怖なんですか?
>この恐怖というのがとてつもなく深くて、これは許しによって本当にだんだんなくなるのか、ちょっと信じられません。
>恐怖がすごく大きい気がするんです。なんていうか、本当にこれ、許しで消えるのかな?と疑問なんです。
~お返事~
正直に申し上げて、赦してゆけば どんどん知覚が平安になるかどうか?
と言えば、そうとは限りません。
と言わざるを得ません。
(そうとは限らない。という段階を、何度も経るのが一般的なコースの、あらゆるカリキュラムだと思います)
実際問題、世界はとうの昔に終わっているし
終わることができないくらい、始まってもいないのですが。。。
奇跡講座マニュアル編 P98/中央アート出版社
(M-14.1:1)
「分離が起きた!!!!!!!」
と、言い張る自分の想念・信念が、真実に対して未だ耳を貸していない状態なのだ。
と言えます。
ですから、赦しが進むということは、こういうことを指しています。
「私は、神からの分離、神から自分を引き裂くことが可能だと信じており、そしてそれを強く望んできたのだ。なんということだ。。。。」
という状態に、気が付いてゆくわけです。
知覚がなんてことなくなることが、赦しや奇跡ではないんです。
「神からの分離は起きていなかったのだ。」と心の信念が逆転することなんです。
逆転するためには、忘却してきた自分の信念と神からの分離を果たすという【野望・欲望】を認識してゆくことが必要になってきます。
今まで、かなりの精神病患者状態だったんです。それを認識しなければなりません。
パラドックスなのですが、
自分が天国ではないもの、すなわち地獄でしかあり得ない何かを
望んでいた。
ということに、気が付き、それをハッキリと認めてゆくと、、、
「そんな狂気を本気でやめよう」という決断を、改めてすることができるわけです。
その決断に至る道が、奇跡講座の道です。
それは、少なくともこの地球という惑星の設定では一番最短・時短の真の目覚めの道です。
>この恐怖はもとをただすと、本当に神から離れたことへの恐怖なんですか?
その通りです。
宇宙中のどこを探しても、それ以上の恐れを見つけることは100%不可能です。
神から離れたと思いこんでいる恐怖を、形のレベル・ストーリーにくっつけて、
どうにか解消しようとしてきた(投影してきた)だけです。
そして、思い出さねばならないのは、恐怖そのものが無なんだ。ということです。
それは、神からの分離を信じた心が、分離を錯覚した時に感じる狂った知覚に過ぎないということで
恐怖というものは、実在することが決して不可能だったのだ。
ということ。
その狂った状態から脱してゆくためには
狂っていない、正気な心に、真に助けを求めることができる自分になることです。
「概念」としてだけでも良いので、
このあたりは少しずつ、少しずつ、受け入れようと意欲を持っていってください。
瞬間、瞬間、もう一度意欲を持とう。
という粘り強さが必要です。
そして、どんどん粘り強さが培われていって、思考の逆転が起きてゆくと
誤った心の状態で打ちひしがれている自分自身のことを、完全に「大丈夫なんだよ」という眼差しで
微動だにせず、瞬間の中で待っていてくれている確かな心が自分の中にある。
ということに気が付き始めます。その慈愛の心への自分自身の信頼感が篤くなればなるほどに
もはや、どんな知覚が通り過ぎているかも 問題ではなくなってくる(赦してゆく以外にすることは無いという確信)
通過点もやって来ると思います。
そのあたりで、
神の平安以外の何も信じる必要はなく、実在もしていない。
という段階になってくるのだろうと感じます。
そこまで来ると、最初のご質問
>これは許しによってだんだん少なくなるんでしょうか?
に、
「はい。必ずそうなります。」と言えるのだろうと思います。
ただし、それが容易いこととは言えないんだよな。。。
という回答になってしまいますね(^^;)
しかしながら、必ず超えてゆけますから粘り強さを培ってゆきましょう
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