「世界はない。世界は夢だ。なにも起きていない。行為者はいない。」
ということを確信しているかどうか?
が、真の覚醒の道しるべではなくて
世界の無用性が自覚されているかどうか?
が大切。
幻想と言いつつも、そこに何かの価値を見出そうとしていないかどうか?
分離が無いと言いつつも、分離を維持しようとする無意識のはたらきが起きていないかどうか?
そのような「障壁に注目すること」こそが、いずれ心に覚醒・救済の即時性を与える。
そこらへんは、パパジもムージもアジャシャンティも触れている。
今の時代、もはや「世界はない。世界は夢だ。なにも起きていない。行為者はいない。」
という事実は、当たり前の感覚、確信、知覚になりつつあるのではないかと思う。
しかし、それはまだ
完全な目覚め・覚醒の状態でも、なんでもない。
もう一歩、その先
パパジが言う「第四の状態」の、その先。。。。
そこにのみ心の焦点を集中するかどうか?
この夢の中で、幻想を放棄する心の状態で、
不可知の神からの一歩を受け入れるかどうか?
そこなんだな。そこなんだな。
「そうだよ、そうだよ。」という声がある![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
パパジの書籍/ナチュラルスピリット「覚醒の炎」P232より
パパジ:
あらゆる幸福や快楽が手に入り、年老いることもない、
一見苦しみが存在しないようなところで自由への欲望を抱くのは非常に難しいことなのだ。
それらの神々のローカ(天国)はすべてが実に美しい。
人々は考えてしまう、「私にはこれで充分だ。これ以上何が必要だというのか?」と。
だからこそ、そのようなところで自由への欲望を抱くことは本当に稀なことなのだ。
トゥカーラーム、ナームデーヴ、トゥルシーダース、のような偉大なバクティ(帰依)の聖者でさえ、
皆死後に天上界に生まれ変わることを切望していた。彼らは帰依心を通して永久的に神々とともにとどまることを望んでいたのだ。
神への強烈な帰依心をもった帰依者たちは神々のローカへ行き、そこに何千年もの間とどまる。
だが、もし真の自由を求めているなら、遅かれ早かれ彼らはここに戻ってこなければならないのだ。
※ここでパパジが言っている神々とは、幻想レベルのクリシュナ神などをさしています。
真の神は不可知で無の神です。
※根源は、完全なる無です。完全に無で不可知(コトバでは表現不可能)であるからこそ、完全なる愛(コトバでは表現不可能)が創造されます。
「実相の、この法則」を横領しようと試みた夢が、この世界でした。それは成しえなかった一瞬の想念でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/20/98cfb925bc0cd0f4e8fd1e26520071c3.jpg)
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ということを確信しているかどうか?
が、真の覚醒の道しるべではなくて
世界の無用性が自覚されているかどうか?
が大切。
幻想と言いつつも、そこに何かの価値を見出そうとしていないかどうか?
分離が無いと言いつつも、分離を維持しようとする無意識のはたらきが起きていないかどうか?
そのような「障壁に注目すること」こそが、いずれ心に覚醒・救済の即時性を与える。
そこらへんは、パパジもムージもアジャシャンティも触れている。
今の時代、もはや「世界はない。世界は夢だ。なにも起きていない。行為者はいない。」
という事実は、当たり前の感覚、確信、知覚になりつつあるのではないかと思う。
しかし、それはまだ
完全な目覚め・覚醒の状態でも、なんでもない。
もう一歩、その先
パパジが言う「第四の状態」の、その先。。。。
そこにのみ心の焦点を集中するかどうか?
この夢の中で、幻想を放棄する心の状態で、
不可知の神からの一歩を受け入れるかどうか?
そこなんだな。そこなんだな。
「そうだよ、そうだよ。」という声がある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
パパジの書籍/ナチュラルスピリット「覚醒の炎」P232より
パパジ:
あらゆる幸福や快楽が手に入り、年老いることもない、
一見苦しみが存在しないようなところで自由への欲望を抱くのは非常に難しいことなのだ。
それらの神々のローカ(天国)はすべてが実に美しい。
人々は考えてしまう、「私にはこれで充分だ。これ以上何が必要だというのか?」と。
だからこそ、そのようなところで自由への欲望を抱くことは本当に稀なことなのだ。
トゥカーラーム、ナームデーヴ、トゥルシーダース、のような偉大なバクティ(帰依)の聖者でさえ、
皆死後に天上界に生まれ変わることを切望していた。彼らは帰依心を通して永久的に神々とともにとどまることを望んでいたのだ。
神への強烈な帰依心をもった帰依者たちは神々のローカへ行き、そこに何千年もの間とどまる。
だが、もし真の自由を求めているなら、遅かれ早かれ彼らはここに戻ってこなければならないのだ。
※ここでパパジが言っている神々とは、幻想レベルのクリシュナ神などをさしています。
真の神は不可知で無の神です。
※根源は、完全なる無です。完全に無で不可知(コトバでは表現不可能)であるからこそ、完全なる愛(コトバでは表現不可能)が創造されます。
「実相の、この法則」を横領しようと試みた夢が、この世界でした。それは成しえなかった一瞬の想念でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/20/98cfb925bc0cd0f4e8fd1e26520071c3.jpg)
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