奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

幸せな介護~深刻さの無い心の状態~

2017年02月07日 21時43分45秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
最近、母が全面的に介護が必要な状態になりました。

しかし、信仰の恩恵というものはすごいですね。

母は、五井先生を全面的に信頼していますから

その理論がわからなくなったとしても、五井先生と呼ぶ心は

しっかりと残っています。


私たち家族は、特にそこ(五井先生を思い出し、呼ぶこと)を重点的にサポートしています。

ほぼ1日中ラジオのように五井先生の音声が我が家で響いています。
たとえば、こういう音声(4本の音声の再生リストを作りました)



この数年間~今年はじめくらいまでにかけて母と私との関係性のレッスンが

繰り返し起きてゆきました。

かなりのオオモノ(業)がいくつも削除されていきました。


そして

母の中でも、私の中でも「何かをどうにかする」ということへの

執着を、あきらめていったようです。

こんなに穏やかに降参している母を見るのは、人生初かもしれない。



そして今、全面介護という状況に深刻さがありません。

むしろ楽しく、幸せなんです。

どんなに認知症が進んでも、身体が衰退しても、

それが母なわけがない。

という確信があります。(笑)

好物のアンパンも買うし、バナナも、かりんとうも買います。

食べさせます。普通のことを極々普通にします。

けど、これを全く信じてはいません。

幸せで優しい介護って、なかなか面白いかも。




深刻になることが可能であった時とは

幻想を、現実であると信じることができていた時。


あの往古の一瞬の自分の願望を

そのまま信じた、、


それが、この宇宙という葛藤だった。



「神からの分離を、深刻に受け止めた」

それは、それが起き得ると信じたということ。

できると信じたということ。


信じなければ、苦しみは知覚できない。

絶対に、絶対に、苦しみは知覚できない。



神からの分離を信じない心の状態で

戦場を眺めても


それは形が動いているだけに過ぎない事実を認識する。

リカちゃん人形から赤色の液体が流れていても


ただ、その形が認識されるだけで

そこに、あてがわれるべき解釈が存在しない。

本体・実在のみを信じている。



私たちは、信じているものを感じる。



確実に言えることは、

頭脳レベルではなくて

原因のレベルで[真理]を信じている必要があるのだ。ということ



原因のレベルで信じている誤った信念が、訂正されなければ

なんちゃって癒しの領域でとまってしまう。



罪と罪悪感の実在性を信じる信念が、訂正される必要があった。


それが、贖罪。


奇跡講座テキスト編 5ページ/中央アート出版社



ことごとく、私たちが身体だと信じていなければ

苦しむことは不可能なんだな。そう感じる日々。

身体(断片としての意識体も含む)なのであれば、なんという悲惨な存在だろう。


そんなはずがないさ。

そんな小さなものに納まっていられるはずがないさ。






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