奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

ご感想とQ&A☆2014.11月~2015.6月勉強会映像

2015年10月10日 23時39分11秒 | ご感想!&ご質問と回答!
今まで1年半以上、コツコツ奇跡講座(奇跡のコース・ACIM)を学び実践なさってきた
Jさん。

ガツンと、純粋非二元の学びを学んでゆきたい!という想いから
最近、真我なるハート実践コース「2014.11月~2015.6月」までの映像にて受講してくださっています。
まるで高分子吸収体のごとく、吸収なさっているようです。

その上でのご感想や、ご質問をいただいていまして、
シェアさせていただけそうなところを
快諾いただきましたので、ブログにてご紹介いたします♪

Jさん、ありがとうございます^o^



☆   ☆   ☆



>まるで、自分もそこにいるかのように聞きながら笑っています。

笑いながら学んでゆけるとうれしいですね^^



>私達のエゴのストーリーは1本のDVDみたいなものでもう既に終わってるんだけどもう一回見てるというかんじでしょうか?


そういう感じです。
DVD自体、すでに撮影済みの映画が、例えるなら電気信号化された情報ディスクになっている状態ですよね。
それを追体験しているのみです。

神の使者か、不死というあなたの現実でも、書かれていましたが
毎瞬の、瞬間瞬間に、数千通りのバージョンの映像があるそうですが(パラレル)
どれも分離を強化し、時間を長引かせることが目的の映像に過ぎません。
かつ丼か、天丼かの差です。

できることは、その映像に対する「私」の見方を
自我の見方から、聖霊の見方に変化させるために、決断しなおすことのみですね。
自我との同一化を決断している心=「決断の主体=意識=分裂した心」です。
私たちは、心の1分裂から3分裂の決断をした。という瞬間を、毎瞬決断(分裂)しているわけです。



>思考が原因でそこでエゴを選択するか聖霊を選択するかで、
>エゴと同一化の結果としての知覚なのか、聖霊と同一化の結果としての知覚なのかという図をみたのですが
>聖霊を選んだら、正しい知覚ということは、心は問題無かったんだ、無だったんだ。
>と、平和になるけど幻想そのものは、変わるか変わらないかわからないという事でしょうか?
>(幻想は無いからどちらでもいいとも思うのですがこの❓が沸いてきます)


もしも自分が見ている世界のすべてが、単なる自分の空想の追体験映像に過ぎない。と、100%確信した上で
日常を過ごしていたら、目の前の映像の中で、何が起きても自分の空想としてしか見れないですね。
そして、本当は起きていない映画を肉体の外側から単に覗いているということが完全にわかっていますから、
平安でいれないわけがないですね。
そして、本当は自分は何の罪も犯していなくて、今現在も今までもこれからも永遠の神の愛の中で完全に安らいでいるのだと、
100%憶えている状態なら、どんな血祭り映画を見ていても大丈夫だとわかっていますね。
実相世界を知覚している状態とは、そういう状態です。そしてそれが永続している状態が、私たちが達成できる心の状態(真の目覚め)です。

幻想は変わることも、変わらないこともあります。
大切なのは、その変化の形態や、変化の有無は聖霊に任せていれば良いんだ。という完全降参に、心がなってゆくことなんですね。
「幻想が変わるかどうか」に焦点を合わせている時は、まだどこか、その現象が起きている。と信じているからなんですね。



>そして、実相世界の正しい知覚とは幻想が変化したものを知覚するのではなく、
>幻想を見てもその向こう側にある神の愛を心眼で捉えられるという感じでしょうか?


そういう感じです。
知覚は、「意味付け・解釈」が伴います。それによって感じています。
聖霊の見方である無罪性・一体性・神聖さという解釈から感じるか
自我の見方である有罪性・分離・特別性・個別性という解釈から感じるか
いずれか一方です。

実相世界は、完全に普遍的に聖霊と一つになってすべてを見渡している状態ですね。
幻想を無として見て、実在している神の愛だけを知覚しますね。




>講義映像:2015年6月22日1時間20分くらいの所で参加されてる方が良い幻想が起こったと話されてる所の質問です。
>この事で疑問が沸いてきたのですが、神は自我を造らなかったし幻想世界はないのに、
>幻想世界で良い幻想が起こった時に神にいただいたと思っていいという事は、幻想世界の中でいただいたではなく、
>幻想世界はなく神の愛しかそこにはないからその幻想を通り越して神の愛をいただいたと受け取っていいのでしょうか?


テキストなどにもいろいろ書かれていますが
神のものではないモノをクリエイトしてみたくって「神の座を奪い取り、神に成り代わり、神の力を横領しよう。」と、、
私たちは、これらの意図によって、妄想の中で幻想世界を作りだしました。
神のものではない、「私の~」です。
苦しかろうが、楽しかろうが、「私のもの」にしたいんですね。
「たとえ良い夢を見たとしても、それを自分の手柄にしようとしないことが大切」ということは
2013年以降、みんなで学び合ってきたことなので、あの時にシェアしていた、Yさんも
そういうことに気が付くようになった。とおっしゃっていたのだと思います。

ありがたい出来事には、聖霊と神に感謝。(赦す)
不愉快な出来事と感じ、見えた時は、選択をし直す(赦す)。
というシンプルさですね^^




>神の使者の4分裂をのりこさんが白板で書かれていて説明されている動画を観ていてとてもわかりやすいです!

>質問1
>それで、この4分裂の内容ですが、テキストでこの様な事を書いている所はあるのでしょうか?
>もし、あれば教えていただけると嬉しいです。


テキストでは、無いと思います。
そして、単に何度も「神の使者」を読んでいるだけでは、あの講義内容のような理解は起きませんね。
聖霊の成せるわざだと思いました^^



>質問2
>それと、のりこさん自身の啓示体験があれば、教えていただきたいです。

>マザーテレサで言うと、神から「貧しい人を救いなさい」という様な内容が降りてきたという啓示体験が起こったという様なことを読んだ事があります。


一般的には、マザーテレサのような形の啓示ではないようですね。
奇跡講座においての啓示は直接的な「神の愛の体験」のことを言うと思います。
限りなく、智識(私たちが天国で感じているもの、天国そのもの)に近い、真の知覚です。

わたしは、ハッキリと「それだ」と断言できるのは2013年3月21日に体験しました。
それは言葉で表現できるものではありませんが、ただただ全身全霊で電気ショックのように
神の愛・神からのエクスタシーにうたれ続けるのみの時間(おそらく数分感)で、
その電気・エクスタシー・神の愛そのものが、自分なんだ。
ということが確信的にわかりました。

「それを感じている。啓示を体験した。」と、言っている者は、意識で、偽りの自己(分裂した心)なんだ。
と、はっきりわかりました。いかに、その偽りの自己が邪魔なのか、いかにその自己が不必要なのかが
よくよくわかった体験です。
体験してしまうと、もうそれについての理論は不要なんですね。

普段は、その啓示体験を薄めた神の愛を知覚しているような状態です。
丁寧に赦して静かにしていると、その愛だけを知覚することは可能ですが、やはり自我を選択する余地があるので
常に警戒が大切です。



>それと、のりこさんとの一回目のセッションの時に、「心の4分裂」の話になって私もそこお気に入りです!!と言ってたのは勘違いでした。
>そこの内容は読んでいるはずなのですがのりこさんから聞いて動画を見てやっと自分の中に入ってきました。

>私がここいい!!と思ったのは、神の使者の52ページの最後の2行から神のもとに戻るための学びには大きく分けて4種類の姿勢があるからだ。
からの所でした。

>何故かというと、のりこさんが純粋非二元論の事をブログに書かれていて、私自身も非二元論と純粋非二元論が混じり合って理解していたので
>ここは神のゴールに向かうためにも本当に大切な所だなと思いました。
>のりこさんのブログに書いてなければ、自我の夢をもっと延長させていたなと思います。
>気付きを有難うございます!!


なるほど、そうだったのですね。
なかなか心の4分裂については、スルーしてしまいますね。。


☆   ☆   ☆




多くの兄弟たちとの学び合いの勉強会の共振は、それを映像で受講する兄弟たちにも、

目に見えるかのように ぐんぐん波及してゆきます。

受け取りあってくださる皆さんがいて下さって、聖霊の導きがあって、

私も更に学びが深まりシェアし合えるのだな。。と、日々感謝感謝です。

いつもありがとうございます(^▽^)






.

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。