F県のJさんよりいただいたメールです
~2016年8月22日~
のりこさん、こんにちは♪
先日の実践コースでは有難うございました☆
次の日、私が外から帰ってきたら、子供がハリポッター(最終話)を見ていてトイレに行きたくなったらしく
一時停止していた場面が、白い世界の皮剥けヴォルちゃんの場面だったので笑えました。
家に帰ってドアを開けたらヴォルちゃんが「やぁ~お帰り、ボクたち瀕死状態だね~」と言われた気持ちになりました。
その後、主人に 戦争映画の野火というDVDを見ようと言われて見たのですが、
舞台が第二次世界対戦の日本兵がフィリピンで戦うお話でかなり実際の戦争に近い内容でリアルな描写が満載でした。
そして、日本兵同士が食料の取り合いをしたり、最後は食料が尽きて、仲間同士の殺し合いになったり
フィリピン人を狩りして人肉を食べたりと、それもまた瀕死状態であり混沌の法則そのものを見ているようでした。
そして、それを見てると自我の私だな~、神を殺さないと生き残れないと狂いながら必死なんだな~
毎瞬の様に神を否定して、殺して、自分が創造主でいたいと思い続けてるんだなと認めざるをえませんでした( ;∀;)
一時停止のヴォルちゃんと、野火の殺し合い、自我を直視させられた1日になりました(笑)
吐き気と頭が痛くなりましたが。
自分が受け入れられる分だけ、無意識ではこんな風に実際に起こってないことを強烈に信じてるんだと認めていくことが大切なんだな~と感じました。
長くなりましたがシェアしたくて書かせていただきました(^^)
それと、テキストの質問ですがP124の上段4の小さい6の意味がわからないので
のりこさんはどのように受け取られているか教えていただけますか?
自分の中だけに聖霊を探すというのは、自我の視点で聖霊を探すから、自我の私は何も知らない、わからないと退いてないからということなのでしょうか?
急ぎではないので手が空いたときで大丈夫です☆
イエスにも聞いています(^^)
宜しくお願いします。
~のりこ~
Jさんこんばんは☆
メールありがとうございました。
>「やぁ~お帰り、ボクたち瀕死状態だね~」と言われた気持ちになりました。
ヴォルちゃんの停止画面、すてき(?)なお迎えですね^^;
そろそろそれを認めることができる兄弟には、そこを認めさせるカリキュラムが設定されていますね。
そして、非常に狂っている自分自身に気が付く必要性があるようですね~~~。
どうも、赦せるとか赦せないとかのレベルの話しじゃないですね。
「神を利用し人々を利用し、抹殺する様子。」
「私」は、出来うる限りの侮辱と苦痛を味あわせた上での殺害を欲求したようです。
全く認めたくないですね^^;;
これは否認して抑圧して、投影したかったわけだ。。
その気持ちは、さすがにわかりますね。
責任転嫁したかった。
(ふう。。。)
ご質問いただいた
T-5.3.4:6ですが
ヘレンに対してイエスが言っている様子が浮かびます。
兄弟と一つになるのではなく、兄弟と分離したたまま自分だけが癒されたい。
という誘惑の中にいる「ヘレン」ということにしている自分自身に教えてくれたんだなあと。
癒しを求めるならば、本当は、
T-5.3.3:5「あなたは自分が兄弟の中に認める~」をすべきなのに
それとは反対のことをする(T-5.3.4:6)のは、自分自身に恐れを与えることになるんだよ。
と、イエスは教えたかったのですね。
T-5.3.4:6「~という間違いを犯すなら」
=「兄弟と一つになるのではなく、兄弟と分離したたまま自分だけが癒されたい。」という間違いですね。
そういう間違った心の状態の下では
T-5.3.4:1「あなたの中で聖霊の声は弱まっている」わけですね。
※奇跡講座テキスト編(中央アート出版社)より引用
~追記~
「破壊するための赦し(S-2.3)をしてはならない。」
と言っているというよりは、
破壊するための赦しを、真の赦しとすり替えてやってゆこうとしている
自分自身に、気が付いてください。
と、言っているわけですね。
かっこよく、凛として、赦しを実践してゆこうとするのではなく、
「全然赦したくなんかない自分に気が付くこと。。。」
それがコースの学びと実践のようです
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