もう、2013年とか2014年とかの頃には考えられなかったような心の状態の中にいます。
「信仰心」ということについて
考えない日、時間がないくらいに
信仰ということが、ごくごく当たり前のことで
信仰からでないすべては、
ある意味「異常」なんだ。ということを
感じるようになってきました。
これは、何らかの宗教に思いを寄せなければおかしいということではなく
自分の内側の奥深くに入って行って、
そこで降伏している状態でなければ
悪夢以外の何も知覚できないんではなかろうか?
ということで、
実際にそうだった。と
自白しています。
映画そのものが素晴らしかったのか、なんなのかはわかりません。
しかし、マーティン・スコセッシ監督ご自身が
「信仰」ということについて悩み続けて来た方だった
というところは大きいように思います。
この映画のネタバレになってしまうのですが
この映画の中の
ある人物が捨てたものとは、信仰ではなくて
「信仰を捨てない。と言い張る私」を捨てたのだと理解しました。
「信仰を捨てない。と言い張る私」は、
何を大切にしているのか?
そう。
私を大切にしていたのです。
本当に信仰心があるなら、何でも捨てるはずだな。
改めて、そのように教えられたように思います。
いくら捨てても、捨てられないものは必ず残ってしまう。
それ以外の幻想が、捨てられるすべて。
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「信仰心」ということについて
考えない日、時間がないくらいに
信仰ということが、ごくごく当たり前のことで
信仰からでないすべては、
ある意味「異常」なんだ。ということを
感じるようになってきました。
これは、何らかの宗教に思いを寄せなければおかしいということではなく
自分の内側の奥深くに入って行って、
そこで降伏している状態でなければ
悪夢以外の何も知覚できないんではなかろうか?
ということで、
実際にそうだった。と
自白しています。
映画そのものが素晴らしかったのか、なんなのかはわかりません。
しかし、マーティン・スコセッシ監督ご自身が
「信仰」ということについて悩み続けて来た方だった
というところは大きいように思います。
この映画のネタバレになってしまうのですが
この映画の中の
ある人物が捨てたものとは、信仰ではなくて
「信仰を捨てない。と言い張る私」を捨てたのだと理解しました。
「信仰を捨てない。と言い張る私」は、
何を大切にしているのか?
そう。
私を大切にしていたのです。
本当に信仰心があるなら、何でも捨てるはずだな。
改めて、そのように教えられたように思います。
いくら捨てても、捨てられないものは必ず残ってしまう。
それ以外の幻想が、捨てられるすべて。
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