ある方から「奇跡講座の学びについて抵抗を自覚しています。」
というメッセージをいただいて、そのお返事に書いたメールの一部です。
私たちは、自分自身(世界を投影した自分・決断の主体)がどれほどに狂気に満ちていて
どれほど支離滅裂で、大混乱して、あまりにも恐ろしかったので、記憶喪失した。
そして自分が誤創造した夢の中に、永遠に閉じ込むことにした。
ということに気が付く必要があります。
これに気が付くことは想像を絶します。
そこからがスタートと言っても過言ではないです。
しかし、狂気と同一化したとしても
どんな殺人的な妄想をしたとしても
それは起きていなかったので
天国を自覚する日は必ずやってきます。
しかし、その自覚は
自我と同一化した自身の狂気を、はっきりと認識し続けてゆく
たゆまぬ努力が必要ですね。
☆ ☆ ☆
奇跡の原理P32 8行~(中央アート出版社)
このコースの存在意義のすべてが
「私たち自身とこの思考体系がどんなに狂っているか」を教えることによって、
私たちがそれについての心を変えられるようにすることなのです。
※それについての心を変えられるようにすること=コースが指し示す「奇跡」ですね。
狂気的な世界、狂気的な誰か、がいるのではなくて
狂気の思考体系と、それに同一化することを積極的に決断した「私」が
狂気だった。
ということなんですね☆
決断の結果として誤創造した世界をしっかりと見ることは
自分自身の狂気を見る機会となりますね
いやーーーーーーーー。
2016年7月の学びは凄まじかったです。。
聖霊が行ってくださった学びの会の音声を、ちゃんと聞いてゆこうと思います
.
というメッセージをいただいて、そのお返事に書いたメールの一部です。
私たちは、自分自身(世界を投影した自分・決断の主体)がどれほどに狂気に満ちていて
どれほど支離滅裂で、大混乱して、あまりにも恐ろしかったので、記憶喪失した。
そして自分が誤創造した夢の中に、永遠に閉じ込むことにした。
ということに気が付く必要があります。
これに気が付くことは想像を絶します。
そこからがスタートと言っても過言ではないです。
しかし、狂気と同一化したとしても
どんな殺人的な妄想をしたとしても
それは起きていなかったので
天国を自覚する日は必ずやってきます。
しかし、その自覚は
自我と同一化した自身の狂気を、はっきりと認識し続けてゆく
たゆまぬ努力が必要ですね。
☆ ☆ ☆
奇跡の原理P32 8行~(中央アート出版社)
このコースの存在意義のすべてが
「私たち自身とこの思考体系がどんなに狂っているか」を教えることによって、
私たちがそれについての心を変えられるようにすることなのです。
※それについての心を変えられるようにすること=コースが指し示す「奇跡」ですね。
狂気的な世界、狂気的な誰か、がいるのではなくて
狂気の思考体系と、それに同一化することを積極的に決断した「私」が
狂気だった。
ということなんですね☆
決断の結果として誤創造した世界をしっかりと見ることは
自分自身の狂気を見る機会となりますね
いやーーーーーーーー。
2016年7月の学びは凄まじかったです。。
聖霊が行ってくださった学びの会の音声を、ちゃんと聞いてゆこうと思います
.
とあるところで奇跡講座を知り
本は購入していませんが
すこしずつ赦しを試しています。
自我で感じたり思ったことを
真我(私は聖霊と呼んでいます)に渡して委ねたり自分が赦せていないことを赦せるように委ねたりしている感じです。
いい感情も悪いと感じる感情も渡しています。
聖霊が近づいてきたり聖霊からあたたかいエネルギーのようなものが感じられます。
不安が全くなくあたたかいエネルギーだけを感じる日々なこともあります。
ふと思ったのですが、自我はなんの為に次から次に不安の種を見つけて来るのか、自我はなぜあるのか疑問になりました。
はじめまして、こんばんは。
コメントありがとうございました。
>ふと思ったのですが、自我はなんの為に次から次に不安の種を見つけて来るのか、自我はなぜあるのか疑問になりました。
自我は、幻想世界に「私」を永遠と思えるほどに幽閉させるために
その幽閉ネタ(自分の外側に問題とその解決方法があるというネタ)を差し出します。
しかしながら、その自我の作り主は「私」です。
自分で自分を幽閉するために自我を作り、それと同一化していますから
自作自演・茶番芝居ということになります。
奇跡講座は、
テキスト編、ワークブック編、マニュアル編が無ければ、その学びは本当の意味では始まりません。
始まったような感覚は生じますが、、、まだまだまだまだです。
それは単に時間が無駄使いされるにすぎませんので(それでも構わないと言えば構いません)
もしも、
時間短縮=何千年・何万年という時間の削減をお望みの場合は
少しずつ、意欲が湧いた際は、3部作をそろえてゆき、ご自身のご興味に応じた学び合いの会に参加するなり、JACIMのページを少しずつ読んでみるなり
なさってみることを「おススメ」はいたします。
が、かと言って強くプッシュもいたしません^^;
それぞれのカリキュラムですので、
ひまわりさんの聖霊に、耳を澄ませて尋ねていってみてくださいね☆
私はここにはいないけれど
今、ここにいると感じるための自我の存在なのですね。
おススメして下さりありがとうございます。
聖霊から、かえってきたメッセージは
もうすでに持っている
大丈夫
時間は存在しない
でした。
よくわかりませんが今の私はその段階のようです。
また、いろいろ考え方や来るメッセージが変わるかもしれません
ありがとうございました。
ですね。
時間は、真理から見たらありません。
(コースの言う 第一レベル)
しかし、今は幻想を夢見ていますから
時間の中ではっきりと自己憎悪を認識する必要がありますね。
(第二レベル)
私にはよくわかりませんが
神のプールの中で、エネルギーが打ち上げ花火のように光っては消えていく感じです。
ただそれが ある ような感じです。
自己憎悪というより
愛を求める
救済を求める
ただ恐怖でおびえているだけ
赤ちゃんのような エネルギー
だったんだな~という感じです。
何かを得ようとする
知ろうとすることはなく
ただ、そこにあるだけでよかった
完璧。
という思いに今といっても
今は消えていますが・・・
よくわかりませんが、そんな感じです。
今は、憎悪がわからなくても大丈夫です
(*^^*)
御心のままに。
こんにちは。
コメントありがとうございました。
みちさんが、1年間で学んだことの通りですね。
私たちは、ここで、白痴のおしゃべり状態でした。
ここで、そのおしゃべりをやめてゆくことなんですね。
しかし、おしゃべりをやめるということは
神を思い出してしまう。
ということですから
なかなかそれをしたがらない状態でした。
そのためには、どうしても聖霊の助けが必要ですね。
そのことに気が付いて、多少なりとも受け入れることができただけでも
ありがたいことですね。
一歩立ち止まり、聖霊に助けを求める。
すべての想いを捧げる。
そのたゆまぬ訓練を、やって行きましょう。
前に進もうとするよりも
立ち止まり、後ろに退いてしまう方が楽ですし
それは、聖霊に道を譲っていることと同じです。
私には、何もわからないから
聖霊に判断権、決断権を譲ろう。
どうか、教えてください。と
そうやって
少しずつ少しずつ、
退いて行きたいですね。
>一歩立ち止まり、聖霊に助けを求める。
すべての想いを捧げる。
私はこの対人恐怖、社会恐怖がなければ、もっと色々な活動ができるのにと焦りばかりありました。
自分の人生は遅れている、周りに追いつかなきゃ、理想の自分、安心のある生活をしなきゃと焦りという前のめりの意志。
神経症状は何かをしなくては治らない。何かをするということは、止まったり、下がったりはありえないと思ってましたが、なぜか止まれました。
変わることばかりに意識が向かい、止まることの大事さがわかっていませんでした。止まらないと思考に突撃して埋没して周りがみえなくなることに気づきました。
不安を囁いて、煽って前に自力で進もうとしている存在を止まってながめてみます。そして代わりに精霊にお願いしてみます。(そして精霊に道を譲る気なんてさらさらない思考があること、なんだかんだいって不幸でいたい、罪悪な自分で、被害者で加害者な自分で、自分も他人も大攻撃したい欲も笑)
貴重なメッセージありがとうございました。
学びを深めたいので、また有料のほうでお世話になるかと思います。その時はどうぞよろしくお願いします。