2017年7月から、明らかに私の日常に現れる人間関係の種類が激変した。。。
2018年8月〜10月に、その激変はもっと激化した。 笑
特に、どうにもこうにも腐れ縁すぎるラファエルとの関係については
これが何なのか?が、人間レベルではとても謎だったのだけど
どうやらこれは、単に日本のための映画を製作するためだけの関係では、やっぱりなくて
(最初から薄々感じてて、結論はずっと保留にしてて祈っていたのだけども、最近それが証明されつつある)
もっと大掛かりなことが目的としてあって、この腐れ縁は一生モノなのだろうと、さすがにお互いにそう思っている。。
ラファエルにとっては、私たちに時々起こる、これほどまでの難しい関係性について
「何なんだろう?」と思うことがある(あった)らしい。
もちろん私も、そう思うことはあるけど なんせ私の場合は、難しい人間関係オンパレードだった人生なので
逆に、現在ほどの凪を人生の中で経験したことがあまりなくて、
こういう難しさが人間関係内に現れるのは、そこまで不思議なわけでもない。(そりゃ、あるよね、、という感じ)
私たちの間で、今まで数えきれないくらいたくさんの劇的な切磋琢磨が起きていって、
それは本当に心地よくなどなかったのだけども
「奇跡講座のどこかに "そういうこと" が書かれているよね」と、ラファエルが数日前に言ってた言葉が耳から離れなくて
私も以前、その箇所を読んだ記憶もハッキリあったので、奇跡講座マニュアルの中を調べてみたら、見つけたのでした。
今となっては認めるけど、私たちの関係は、奇跡講座マニュアルで言うところの第三のレベルのものだなあと、思う。
これに気がつかせていただいて、受け入れることができるのが、とてもありがたいし
非常に稀な、この関係をもってジーザスがなにをどのように導いてくださるのだろうか?と喜びすら感じる。。。
本当に、聖霊の計画の真ん中へとダイブしたい。
M-3 「教えることにおけるレベルとは何か」奇跡講座マニュアル
M-3.1:6~8
救済に偶然はない。出会うべき者たちは出会うことになる。
なぜなら、一緒であれば、彼らに神聖な関係の可能性があるからである。
彼らには出会う用意ができている。
M-3.4:3~7
教えることにおける第二のレベルは、第一のレベルよりも長く持続する関係である。
その中では、しばらくの間、二人の人間がかなり密度の濃い「教えて学ぶ状況」に入っていき、その後、離れていくように見える。
第一のレベルの場合と同様に、こうした出会いも偶然ではなく、その関係の終わりと見えるものも、真の終わりではない。
ここでも、それぞれがその時点で可能な限り最大のものを学んだということである。
だが、出会った者たちはみな、いつの日か再び出会うことになる。
すべての関係は神聖なものになる運命にあるからである。神はわが子について思い違いをしてはいない。
M-3.5:1~8
教えることにおける第三のレベルは、ひとたび形成されたなら生涯続いていくような関係の中で生じる。
こうした「教えて学ぶ状況」においては、学ぶための無限の機会を提供するべく選ばれた学習相手が各人に与えられている。
このような関係は、概して、わずかしかない。
なぜなら、こうした関係が成り立つということは、そこに関わる者たちが、教えと学びの間の釣り合いが実際に完璧であるような段階に、同時に達しているということになるからである。
だからといって、必ずしも彼らがそのことを認識しているという意味にはならない。
実際、普通は認識されていない。彼らはしばらくの間、あるいは生涯にわたり、互いにひどく敵対していることさえあるかもしれない。
しかし彼らが学ぼうと決断すれば、完璧なレッスンが目の前にあり、それを学ぶことができる。
そして彼らは、もしそのレッスンを学ぶ決断をするなら、挫けて失敗するとさえ見える教師たちにとっての救済者となる。
神の教師が自分に必要な助けを見出せないということはあり得ない。
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※奇跡講座の中で何度も出てくる「教える」という言葉は「自分が誰かに何かを教える」という行為を指していません。
「人や状況を解釈するときに、自分の解釈を退けて、聖霊の解釈を受け入れて世界を体験すること」=正しく教えること
もしくは
「自分の正しさを主張して自分の解釈のまま人や状況を意味付けして世界を体験すること」=間違って教えること
この2通りの「教える」のうちいずれかを私たちは日々絶えず教えています。
間違って教え続けていることに気がつき、それを認めて、正しく教えることを決断し直す者
のことを、「神の教師たち」と、奇跡講座の中で名前をつけられて、呼ばれているのだと思います。
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ここまで来ると
私の旦那さんや、グレッグとの関係は第二レベルだったんだなあと、今はすんなりと腑に落ちる。
この関係性は本当に最大限のものだった。
そして彼らと私は、今までも今もずっと離れていない。