2016年12月02日の、4時間の勉強会映像から一部公開させていただきます
こちらのブログ記事「放蕩息子の物語を思い出す、極端なレッスン。」に関連した内容です。
まさかのまさか、、だけれど
本当に損失なんてどこにも無かったんだよね。
与える者は、受け取る者である。
ということで
そして、その与えるということは
私自身がするのではなく
すでに、常に、神がそうなさっている。
ということ。
私は前に出ず、何もしない。
神がなさるままに、御心のままに、なさっていただくままに。
2~3年前では、決してこのような見方をすることはできなかったのだけれど
少しずつ、少しずつ、正気になってゆくんだな~。
今日は、レ・ミゼラブルをみんなでみたいと思います
Jさん、公開シェアの快諾ありがとうございます
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こちらのブログ記事「放蕩息子の物語を思い出す、極端なレッスン。」に関連した内容です。
まさかのまさか、、だけれど
本当に損失なんてどこにも無かったんだよね。
与える者は、受け取る者である。
ということで
そして、その与えるということは
私自身がするのではなく
すでに、常に、神がそうなさっている。
ということ。
私は前に出ず、何もしない。
神がなさるままに、御心のままに、なさっていただくままに。
2~3年前では、決してこのような見方をすることはできなかったのだけれど
少しずつ、少しずつ、正気になってゆくんだな~。
今日は、レ・ミゼラブルをみんなでみたいと思います
Jさん、公開シェアの快諾ありがとうございます
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