8月に入ってから
また、ググ~っと 自分の心にだけ、自分のハートにだけ意識をむけている
「全意識をそこに向ける以外(私には)道がないんだわ」
と、思い知って・・
決してそれ以外しないことにした。
本当は実在しない幻想に意識をフォーカスしても、、、
そこにはな~んにもないし
赦しのチャンスを見逃してしまう。。
そして、一喜一憂がはじまってしまう。
外側の現象によって、よろこび
外側の現象によって、傷つくという、一喜一憂(お腹いっぱい!)
ほんとうは、わたしたちは外側・対象(相手)によって、よろこぶことはない。
最初っから爆発的なよろこびそのもの。
それが、ほんとうのわたしたち。
もうそろそろ、ほんとうの自分を思い出してゆこうね☆
大丈夫。
本当は今も、爆発的なよろこびが真の自己なのだから。
そうでなかったことは、一瞬たりとも無かったのだから。
神の中に、今もいるのだから。
「そうでは無い」という狂気的な錯覚から、目をさましてゆこう☆
ずっと赦しを実践していて、神の愛を感じているのだけれど、、、
その感じている愛が、神の心 そのものだという体感が
最近、すごく増してきています。
「ああ...!神はこんなにも神の子を愛しているのだな!!!」って。
イエスは、十字架に磔刑にされたけれども、本当はまったく苦しまなかったし
痛みも全く感じなかったのだろうと、容易に想像ができる。
まだ赦しのスタート段階のわたしが感じている 神の圧倒的な愛。。
その愛を、完全にダイレクトに そのまま感じて、それと一体になっていた彼が
それ以外を感じられるはずが無いからだ。
そして、磔にしようとする彼らたちのことを、本当は何もしていない、完全な神の子だ。って
その見方は、どれほどの歓喜だったろう。って。
それが、断片的にだけれど わかるのです。
いるから、死の恐怖、痛みを感じるようになって
しまったのですね。 限りなく神に近づきたいと
願い、シンプルに日々を感謝の想いで過ごすことで、「神の子」をしっかり思い出し、至福感を
味わい始めるのだと思いました。感謝!!