奇跡講座(奇跡のコース・ACIM)は、唯一ではないけれども
幻想世界の中にある学びの中でも、
最速の目覚め(夢の消滅、神への帰還)の学びの道である理由は、
徹底的に、自分自身が心のレベルで行っている決断(憎悪)を監視して
真の赦しをする前に「否認」してしまうことなく
その決断を一旦は、しっかりと認めて
自分(と思っている私)を超えた聖霊に、決断をした誤った想いと決断を明け渡し、その後を任せる。
ということをやってゆく、すなわち幻想をしっかりと見るから
最速なんだな~。と理解しています。
面白いことに、その道のりを歩んでゆく間
沢山のひっかけ問題がやってくるし、
それは自我ではなくて、まるで聖霊の導きのようにも聞こえるし
それを聖霊の導きのように思いたい「私」もいる。
自分に対してつくった、沢山の落とし穴がある。
だから、コースを曲解したり薄めたり、ごちゃ混ぜにしたり。。。を
自分が気が付かないうちに軌道がずれていったりするらしい。
(実のところ、、本当は目覚めたいのではなくて、気持ちよくいたい だけだったりします。)
そこに陥らないためには、コースの基本、初歩をいかに深く自分自身に教えて学んでゆくかにかかっているらしい。
ということを、今月は(しつこいくらい)強調して教えてもらっています。
だからこそ、最短なんだ。
基本を死守してゆきます☆
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幻想世界の中にある学びの中でも、
最速の目覚め(夢の消滅、神への帰還)の学びの道である理由は、
徹底的に、自分自身が心のレベルで行っている決断(憎悪)を監視して
真の赦しをする前に「否認」してしまうことなく
その決断を一旦は、しっかりと認めて
自分(と思っている私)を超えた聖霊に、決断をした誤った想いと決断を明け渡し、その後を任せる。
ということをやってゆく、すなわち幻想をしっかりと見るから
最速なんだな~。と理解しています。
面白いことに、その道のりを歩んでゆく間
沢山のひっかけ問題がやってくるし、
それは自我ではなくて、まるで聖霊の導きのようにも聞こえるし
それを聖霊の導きのように思いたい「私」もいる。
自分に対してつくった、沢山の落とし穴がある。
だから、コースを曲解したり薄めたり、ごちゃ混ぜにしたり。。。を
自分が気が付かないうちに軌道がずれていったりするらしい。
(実のところ、、本当は目覚めたいのではなくて、気持ちよくいたい だけだったりします。)
そこに陥らないためには、コースの基本、初歩をいかに深く自分自身に教えて学んでゆくかにかかっているらしい。
ということを、今月は(しつこいくらい)強調して教えてもらっています。
だからこそ、最短なんだ。
基本を死守してゆきます☆
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