ある日、ある友人からご質問をいただきました。
「映像が(良い意味でも悪い意味でも)変化する時に、驚くことがある。」
というニュアンスでした。
以下。そのご質問に対して答えた文章に追記編集したものです。
コースを学び実践してゆく上で、忘れたくない大切な概念ですね。
☆ ☆ ☆
大切な見方を思い出す必要があるね。
「変化し得るのは、心だけなんだ。」
というところだね。
肉体が病になることも、治癒することも、実は不可能で
世界がより悪くなることも、よりよく変化することも、実は不可能で
「心が病み、心が治癒する。という変化しか起きないんだ。」
というところの理解が重要。
私たちは「映像が変わったから驚いている。」
と、思うことにしているだけで、、
なぜ、そう思おうとしているかというと、
「分離を維持させたいから。」なんです。
映像は、いつも何の意味もない動きを提示し続けているだけです。
映像は、ほんとうに単なるニュートラルな幻影で
そこには何一つ、意味はくっついていません。
そこに、自我からの意味付けか
聖霊からの意味付けをする。
という心の機能により
映像が解釈されますね。
学び実践が進んでくると
毎瞬、毎瞬、毎瞬、毎瞬、毎瞬、防衛している。投影している。
ということに気が付いてゆきます。
何か出来事があって、それで赦す。
というのは初期の段階の話しで
実は、投影していない時なんてない。
実は、憎悪していない時なんてない。
ということに気が付いてゆく段階があります。
そういう経由地点を見たくないから
「私」は、歩みを遅らせようとしています。
その、抵抗をしっかりと認め、投影したい誘惑満載なんだ。
ということを認めてゆくことなんだと思うよ~☆
そこが、とっても重要です。