ノラちゃん、あれからずいぶんになるから、先生と奥様に出会えたよね。また可愛がってもらってね。今晩も玉子焼もらいましたか。もう、はぐれることないからね。・・・もう書けないよ・・・うちの歴代ねこちゃんたちも、みーんな、のらちゃんだった、また会いたいなあ・・・後輩のたすけとハクは、おねんね。
ねこのいっぱいいるまち まきこ
>>>>>>> 以下、「ノラや 内田百﨤 中公文庫 昭和57年3月 1195-690179-4622」 より引用
「ノラや」 1.
猫のノラがお勝手の廊下の板敷と茶の間の境目に来て座つてゐる。
外は夜更けのしぐれが大雨になり、トタン屋根だから軒を叩く雨の音が騒騒しい。
お膳の上は食べ残したお皿がまだその儘に散らかり、座の廻りはお酒や麦酒の壜で、うつかり起てば躓きさうである。
しかしもう箸をおいたので、後ろの柱に凭れて一服してゐる。
その煙の尾をみてノラは座りなほした。つまり両手にあたる前脚を突いた位置を変へたのである。
ノラは決してお膳には来ない。そのお行儀を心得てゐる。
猫は煙を気にする様である。消えて行く煙の行方をノラは一心に見つめてゐる。彼がもつと子供の時は、家内に抱かれてゐて私の吹かす煙草の煙にちよつかいを出し、両手を伸ばして煙をつかまへようとした。しかし今はもう一匹前の若猫だからそんな幼穉な真似はしない。ぢつと見つめて、消えるまで見届ける。
「こら、ノラ、猫の癖して何を思索するか」
「ニヤア」と返事をしてこつちを向いた。ノラはこの頃返事をする。尤も、どこの猫でも返事をするのかも知れない。私は今まで、子供の時家に猫がゐた事は覚えてゐるが、自分で猫を飼つて見ようと考へた事もなく、猫には何の興味もなかつた。だから猫の習性なぞ何も知らない。ノラと呼べば返事をすると云つても、外の猫にノラと声を掛ければ矢張り返事をするのかも知れないし、ノラに向かつて人間の名前を呼び掛けても同じくニヤアと云ふのかも知れない。さう云ふ実験をやつて見た事がないので、私にはどうなのだか解らない。
ノラはそこの間境に暫らく座つてゐた後、どう云ふきつかけか解らないが、腰を上げて伸びをして、それから人の顔を見ながら口一ぱいの大きな欠伸をして向うへ行つてしまつた。多分風呂場へ這入つて、湯槽の蓋の上にいつもノラの為に敷いてある座布団に上がつて寝たのだらう。
この稿は「彼ハ猫デアル」の続きである。一昨年の初秋、今は取りこはした低い物置小屋の屋根から降りて来た野良猫の子が、私の家で育つて大きくなつたので、私も家内も特に猫が好きだつたから飼つたと云ふわけではない。自然に私の家の猫になつたので、その経緯は右の「彼ハ猫デアル」に詳しい。その稿にもことわつてある通り、ノラと云ふ名前はイプセンの「人形の家」の「ノラ」から取つたのではない。それなら女であるが、うちのノラは雄で野良猫の子だからノラと云ふ。だからノラと云ふその名は世界文学史に丸で関係はない。
うちのノラが降臨した高千穂ノ峰は物置小屋である。そのもとの低い物置を去年の秋に取りこはして、後に新らしい物置が建つた。今度のは大分立派で、しつかりしてゐて、屋根も高い。屋根はペンキ塗りのトタンである。ノラは早速新物置の屋根に上がり、塗り立てのペンキの上を歩いて帰つて来て家内に抱かさつたから、家内の上つ張りはペンキだらけになつた。ノラの足の裏をアルコールやベンジンで拭いたり、上つ張りの始末をしたり、大騒ぎをしてゐた。
私の家には小鳥がゐる。目白二羽と赤ひげで、昼間は飼桶から出して座敷に置く。猫に小鳥は目の毒に違ひない。ノラが子供の時は、廊下から座敷の小鳥籠の方をぢつと見据ゑて、腰を揉む様な格好をした事がある。飛び掛からうとしたのである。叱つて頭をたたいて止めさしたが、さう云ふ事が習慣になつて、ノラは決して畳敷きの上には這入つて来なかつた。うつかり這入つて来ようとすると、私が睨めば止めて、そこへ座り込んでしまふ。猫を睨むにも気合ひがある。学校教師の時、学生を睨んだ目つきでは猫には通用しない。昔、四谷の大横町の小鳥屋に猫がゐて、目白や頬白の籠を置いた間で昼寝をしてゐたのを見た事がある。猫でもしつけをして馴らせば、小鳥に掛からぬ様になる実例を私は見て知つてゐる。
ノラが大分大きくなつて、私と家内と二人きりの無人の家にすつかり溶け込み、小さな家族の一員になつた様である。顔つきや、特に目もとが可愛く、又利口な猫で人の云ふ事をよく聞き分けた。いつも家内の傍にゐるので、家内は可愛がつてしよつちゆう抱いてゐた。わたしがこつちにゐる時、お勝手で何か云ついている様だから、声を掛けて、だれか来てゐるのかと聞くと、ノラと話をしてゐるところだと云ふ。
「いい子だ、いい子だ、ノラちやんは」
少し節をつけてそんな事を云ひながら、お勝手から廊下の方を歩き廻り、間境の襖を開けて、「はい、今日は」と云ひながら猫の顔を私の方へ向ける。ノラは抱かさつた儘、家内の前掛けの上で、先きの少し曲がつた尻尾を揉む様にしたり、尻尾全体で前掛けをぽんぽん叩いたりする。生まれてまだ一年経たない去年の夏、庭へ出るとよそから来た猫と張り合つて、喧嘩する様な声をし出した。しかし大体どの猫にもかなはない様で、さう云ふ声が聞こえると、いつも家内がやり掛けた事を投げ出して加勢に馳けつけた。ノラは私の家の庭から外へ出た事がないらしく、いつもそこいらの門の脇か屏の上で睨み合つてゐるのだから、加勢も役に立つわけである。
私の家には門が二つある。往来に面した門から両隣の間の細長い路地を這入つ所にもう一つの門がある。その門と門との間をつなぐ琨擬土(コンクリート)の通路の半分迄もノラは出て行かない。往来の門まで出て、外を見た事は一度もないだらう。たまに家内が郵便を入れに行つたり近所の用達しに出たりすると、ノラは内門の傍までついて行つて、そこから先きへは行かない。帰つて来ると、そこにちやんと待つてゐたと云ふので、家内は抱き上げて頬ずりしながらお勝手に這入つて来る。
庭から外へ出なくても、庭の屏を隔てた向うの靴屋の藤猫が子供の時からノラと仲好しでいつも遊びに来るから、友達には不自由しなかつたのだらう。その藤猫はノラと前後した頃に生まれた雄で、雄同士でも気が合ふと云ふ相手があるのかも知れない。いつも二匹揃つて,鼻を突き合はせる様にして日向ぼつこしたり、庭石の上にいつまでもならんでしやがんでゐたりする。ノラのお友達だからと云ふので、家内がお皿に牛乳をついで持つて行つてやると、靴屋の雄猫がうまさうに舐めるのを、ノラは傍から眺めてゐて、妨げもしなければ、自分が飲まうともしない。
しかし靴屋の藤猫でない外の猫が庭に来るとノラは怒るらしい。追つ払はうとするのだらうと思ふけれど、その実力はないので仰山な声をするだけで結局は逃げて帰る。
よそから来る猫の中に、一匹すごく強いのがゐて、玉猫でこはい顔をしてゐる。ノラはその猫には丸で歯が立たないらしい。一声二声張り合つてゐる内に、いつでもギヤツと云はされて逃げて来る。
夏の暑い日の昼間、ノラは茶の間の間境の廊下の隅で、壁にもたれる様にして昼寝をしてゐた。突然猫の悲鳴が聞こえて、どたばた大変な物音がするから、驚いて茶の間から私が飛び出して行くと、いつの間にかその玉猫の悪い奴が、暑いので開け放しにしてあつたお勝手の戸口から家の中に這入り込み、いい心持ちに昼寝をしてゐるノラの多分腰のあたりへ噛みついたのだらう。ギヤツと鳴いて跳ね起きたノラを追つ掛け、廊下の突き当たりの洗面所の下で団子の様になつて揉み合つた末、ノラが戸が開いてゐた風呂場の方へ逃げ込むのをまだ追つて二匹とも外へ出てしまつた。
中の間にゐた家内が飛んで来て、ノラの加勢に馳けつけたが、もうそこいらにゐなかつた。廊下や風呂場の簀子に、ノラが引つ掛けたと思はれる苦しまぎれの刹那小便の痕が点点と散らかつてゐる。無心に寝てゐるノラをいぢめた悪い奴に非常に腹を立てたが、家内は一層憤慨して、いつだつてノラをいぢめてゐる挙げ句にこんな事までした。もう勘辯しない。これからは見つけ次第、引つぱたいて、突つついて、追つ払つてやると云つた。
ノラは悪い奴の追跡から逃げのがれて、ぢきに帰つて来た。家内はすぐに抱き上げ、頬ずりしていたはりながら、怪我はしなかつたかと方方調べてゐる。抱いたノラの胸がこんなにどきどきしてゐると云つて可哀想がつた。
家内は悪い奴の声を聞き覚えてゐる。ノラがうちにゐる時でも悪い奴がよその猫を喧嘩する声がすると、出て行つて追つ払ふ。ノラが外に出てゐる時悪い奴の声がしたら、何をしかけてゐても投げ出して、長い物干竿を持ち出し、その現場へ行つて悪い奴を突つつく。ノラはうちの庭から外へ行かないので、大概家内の加勢が功を奏する。いつもさうするので、しまひには家内が出て行つただけで、悪い奴はその姿を見て逃げてしまふ。ノラは自分が強くなつたのかと思つてゐたかも知れない。
ノラは子供の時おなかをこはして、洗面所の前で不始末をした事がある。自分の垂れたべたべたした糞を足拭きの切れの中に包み込んで、と云ふのは砂の上にした時の要領で後脚で切れを蹴つたから包んだ様な事になつたのだらうと思ふけれど、大いに信用を害して後始末をした家内から叱られた。
それから後はふんし箱の砂の中へする事をよく覚え、二度としくじつた事はなかつたが、あんまり覚え過ぎて、しなくてもいい時にもする様になつた。外から帰つて来ると、急いでお勝手の狭い土間に置いてあるふんし箱の砂の中に小便する。うちへ帰つてからしなくても、そとにいくらでもその場所はあるのだから、済まして帰ればいいのに、と家内がこぼす。さつき砂を代へたばかりなのにまた新らしくしなければならない。本当に事の解らない猫だと云ふ。そうして砂だらけの足で上がつて来たお勝手の板場や廊下を帚で掃いてゐる。
外へ出て行く時も同じ事で、砂箱にしやがんでゐると思ふと小便をして、ちやんと砂をかけて、そうした上で庭へ出て行く。庭へ行くなら庭でしたらよさそうなものを、と家内がぶつぶつ云ひながら又砂を代へる。
食べ物は、初めの内は私共の食べ残しを何でも食べてゐたが、一昨年の晩秋、まだ極く子供の時に風を引いて元気がなくなり、何も食べなくなつたので私共が心配した。大磯の吉田さんの所へよばれて行つた時の事なのでよく覚えてゐる。家内が可哀想がつて抱きづめにした。バタと玉子とコンビーフを混ぜて捏ね合はせた物を造つて食べさしたら、なんにも食べなかつたのにそれはよく食べた。それから元気になつた。
ノラはこの世にうまい物があると云ふ事をその時初めて知つたかも知れない。
猫にやる煮魚は薄味の方がいいと云ふ事を聞いて、別に薄味に煮てやる様にしたが、煮たのより生の方がいいと又教はつたので、生の儘やる様にしたら大変よろこんで食べる。猫を飼つた経験がないので、さう云ふ事はよく解らないが、いわしは好きでないらしい。小あぢの筒切りばかり食ふ。ノラは与へた食べ物をお皿の外へ銜へ出す事をしない。辺りをちつともよごさずに、お皿の中だけで綺麗にたべる。
和蘭チーズの古いのがあつたから、細かく削つて御飯に混ぜてやつたら大変気に入つて、いつ迄もそれを続けた。丸い赤玉のチーズが無くなつてしまつたので、新らしいのを買つて、又削つて食べさした。
その内に御飯はあまり食べたがらなくなつた様だから止めて、専ら生の小あぢの筒切と牛乳だけにした。小あぢは大概魚屋にあるけれど、うちへ来る魚屋に小あぢがない日もある。さう云ふ時には近くの市場のいつも薬を取つてゐる薬局に頼んで、同じ市場の中の魚屋から買つて来て貰つたり、近所のアパートから区役所へ通つてゐる未亡人に帰りの通り路の魚屋から買つて来て貰つたりして間に合はせる。
生の小あぢの筒切りのお皿の横に牛乳の壷が置いてある。彼は大概あぢの方を先に食べて、それから後口に牛乳を飲む。一合15円の普通の牛乳では気に入らない。どうかすると横を向いてしまふ。21円のグワンジイ牛乳ならいつもよろこんで飲む。生意気な猫だと云ひながら、ついつい猫の御機嫌を取る。
その他、カステラや牛乳の残りでこしらへたプリンは食べる。ノラの一番好きなのは、いつも取る鮨屋の握りの玉子焼であつて、屋根の様にかぶせてある半ぺらを家内が残しておいて、後で与へる。ノラは私共が何か食べてゐても決してその手許をねだる事はしない。後で与へるまで待つてゐる。こちらが済んで家内がお勝手に出て、流しの前の小さな腰掛に腰を掛け、さあお出でと云ふとよろこんでその膝に両手を掛け、背伸びする様な格好で長い尻尾を突つ立てながら、家内の手から玉子焼を千切つて貰つてうれしそうに食べる。鮨屋の玉子焼は普通に家でつくるのと違ひ、河岸から仕入れて来る魚のエキスの様な物の汁が這入つてゐるのださうであつて、猫の口にはうまひに違ひない。そのよろこぶ様子が見たいので家内はいつでもノラの為に残して置く。
しかし鮨屋が出前の桶を届けて来て、ノラが座つてゐるお勝手の板場に置いても、ノラはそれに手を出した事はない。お勝手の棚にも上がらない。魚屋が届けて来た切り身が棚にあつても、ノラがそれを持つて行つたと云ふ事は一度もない。
つまり食足りて礼節を知つたのだらう。落ち着き払つて、動作がゆつくりしてゐて、万事どうでもよささうな顔をしてゐる。
考へ込むと云ふ事のある筈はないが、一所にぢつと座り、何だか見つめて、学生が語学の単語の暗記をしてゐる様な顔をしてゐる事もある。
家内が手洗ひに立つと必ずついて行つて、戸口の外の廊下に座つて待つ。変に食ひ違つた森蘭丸だと思ふ。出て来れば、さもさも待つてゐたと云ふ風に大袈裟な伸びをして、欠伸をして、後をついて歩く。
家が少人数だから、食べ物の遣り繰りは利かない。猫が食べなければその始末は私共がしなければならない。小あぢを買ひ過ぎて残つたとなると、ノラにさう沢山押しつけても食べるものではないから、結局私共が酢の物にしたり天婦羅にしたりして頂戴する事になる。鮨屋の出前持ちがノラと昵懇なので、これをノラちやんに上げて下さいと云つて、身つきのいいあらを持つて来てくれた。家内が煮て与へたらちつとも食はない。しかし大変いいあらなので勿体ないから、もう一度人間の口に合ふ様な味に煮なほして、私と家内でしやぶつた。
私は去年の内に二度、春と秋に九州へ行つた。そのどつちの時であつたか、又行きか帰りかもはつきりしないが、多分帰り途だつたと思ふ、糸崎か尾ノ道かの辺りで寝台でよく眠られなくてうとうとしてゐた。夢ではなく、ぼんやりした頭でそんな事を考へたうつつだつたかも知れない。通過駅の駅の本屋の右手に物置か便所かわからないが小さな建物があつて、そこの小さな、半紙判ぐらゐな硝子窓にノラの顔が写つてゐる。
非常に心配になつて目が冴えてしまつた。留守の間にノラがどうかしたのではないかと案じながら東京に帰って、東京に着いたらすぐにステーションホテルに寄る事にしてゐたので、クロークの電話で家へ今帰つた事を伝へ、同時にノラはどうしてゐるかと尋ねたら無事で元気だと云ふので安心した。
家へ帰つて行くと、ノラは私を何日振りかに見て、ニヤアニヤアと幾声も続けて鳴いた。
元気でふとつてゐて何も心配する事はなかつた。段段に大きくなり、おとなになつた。家の中にゐればのそりのそりしてゐるけれど、庭へ出るとあつちこつちを非常な早さで馳け廻り、その勢ひで一気に梅の木の幹を攀じ登つたりする。運動は不足してゐないだらう。さうして次ぎ次ぎにうまい物の味を覚え、贅沢になつて猫の我儘を通してゐる。目に見えて毛の光沢がよくなり、目が綺麗になり、目方は掛けては見ないけれど一貫目以上、後には一貫二、三百匁はあると思はれる様になつた。
さうして去年の秋に生まれて初めての交尾期に入つた。つまり、さかりがついたのである。家の中にゐても業業しく騒いで外に出たがる。家には猫専用に出入口がないので、それを造ればよその猫が這入つて来る恐れがあり、這入つて来ればノラと違つて小鳥に掛かるかも知れないから造らなかつたが、その為にノラの出這入には一一こちらで戸を開けたり閉めたりしなければならない。出たい時は出たい様にせがむ。帰つて来ればお勝手の戸をからだで押す様にして、軽くどんどん音をさせる。同時にニヤアと云ふ。開け方が遅いと、這入る時にニヤオと鳴いて遅いぢやないかと云ふらしい。夜になつて帰つて来る時は、よく書斎の窓の障子の外に攀じ登つて、書斎の次の中の間で机に向かつている私に声を掛ける。ニヤアニヤアと云ふから起つて行つて、障子を開けるとそこに待つてゐる。しかしそこから座敷を通つてお勝手に行く事はしない。
「ノラや、帰つて来たのか。あつちへお廻り」と云つて障子を閉め、お勝手の戸を開けに行く間に彼は縁の下を斜めに走つて、もうお勝手口へ来てゐる。
仕事をしてゐる時、何遍起たされたか解らない。書斎の窓に上がるのは、庭から帰つて来る時だらうと思ふ。
初めてのさかりがついた時は、その出這入りが頻繁で、猫のサアヰスに起つたり座つたりしなければならなかつた。
そんな時でもノラは仲好しの靴屋の藤猫と一緒に行動してゐる。良く喧嘩をしないものだと思ふけれど、一匹の雌猫を挟む様に座り込んで、両方ともいい気持ちらしい。
一寸でも手を出さうとすると雌が怒つて大変な声をする。「何をするのさ、このいけすかない青二才だよ」と云つて引つ掻く。ノラは鼻の先を引つ掻かれて帰つて来て家内に何か薬で手当をして貰つた。
その時のさかりでは、ノラは恐らく得る所はなかつたのだらうと思ふ。それから寒い冬になり、ノラは家の中にゐる事が多くなつた。暖炉があるのでお勝手や廊下でもあまり寒くないし、又風呂場の湯槽の蓋の上には、いつもノラが寝る座布団が敷いてある。中のお湯のぬくもりでその座布団はいつでもほかほかと温い。その座布団にノラが寝てゐる上から、家内が風呂敷の切れの様な物を持つて行つて、掛け布団の様に掛けてやり、首だけ出してすっぽり包む。ノラはその儘の姿で寝入つて、下の座布団と上の風呂敷の間から、両耳をぴんと立てて真面目な顔をしてゐるのが可笑しい。私が湯殿に掛かつている手拭で手を拭く為に戸を開けると、眠つてゐるノラが薄目になつて半分目をさまし、眠たさうな声でニヤアと云つて私の気配に挨拶する。或はくるりと上半身だけ仰向けになる格好をして、顎を上に向けて、そこを掻いてくれと云ふ風をする。
そのつもりで戸を開けたのではないが、向うがそんな格好をすれば、つい簀子を踏んでノラの横へ行き、寝てゐる頭を撫で、首筋から背中をさすつてやりたくなる。
さすりながら顔を寄せて、
「ノラや、ノラや、ノラや」と云ふ。別に寝てゐる猫を呼んで起こさうと云ふつもりではない。もとの低い物置小屋の屋根から降りて来た野良猫の子のあんなに小さかつたノラが、うちで育つてこんなになつてゐる、それが可愛くて堪らない。「ノラや、ノラや、ノラや」と云つて又さすつてやる。
お正月を過ぎて2月初めの節分前後になると、又猫のさかりが始まつたらしい。庭の向うや屏の上で、よその猫が変な声をし出した。すでに一度目のさかりを経験してゐるノラは、家の中や風呂蓋の上にばかり落ちついてはゐられなくなつたらしい。
外には身を切る様な冷たい風が吹いてゐる時、ノラがお勝手口の出口の土間に降りて、ニヤアニヤア云つて出て行かうとする。
「お前行くのか、この寒いのに」と云つて家内はノラを抱き上げ、目糞がついてゐると云つて硼酸で目を拭いてやつてから、戸を開けて外へ出した。
中中帰つて来ない事もあり、すぐ帰る事もある。帰つて来ると家内はノラの足を濡れた雑巾で拭く。いつもさうするからノラも馴れていやがらない。小あぢを食べ、牛乳を飲んですぐに風呂場の湯槽の上に上がる事もあるし、家内に抱かれて合点の行かぬ顔をしてゐる事もある。
「いい子だ、いい子だ、ノラちやんは」家内が抱いたままお勝手から廊下を歩き廻る。顔を近づけると頬つぺたを舐める。或は抱いてゐる家内の手頚を軽く噛む。そこへ私が顔を寄せると、ざらざらした舌で私の頬つぺたまで舐める。
私の所は何年も前から、夕方暗くなると門を閉めてしまふ。閉まつてゐても門を敲いたり、門をこじたりする客が時時ある。今年の2月初め、節分の前日にその門柱に瀬戸物の標札を打ちつけた。
春夏秋冬 日没閉門 爾後ハ急用ノ外オ敲キ下サイマセヌ様ニ
と書いた。しまひの所を、猫ノ外ハオ敲キ下サイマセヌ様ニとようかと思つたが止めた。ノラは夜になつてからでも出這入するけれど、門を敲いたり、こじたりする必要はない。書斎の窓に上がって私を呼び出してもいいし、門から帰るなら門を攀じ登つて、郵便受けの箱の上から屏に上がり、その上を伝つて洗面所の前の木戸の所で、家の者が気配がすればそこでニヤアニヤア云つてもいいし、いつでもお勝手口へ廻つて、からだで軽く戸を押してもいい。いつでもすぐに開けて貰へる。
冷たい風が寒雨を吹きつけた晩、ノラは家内が「およしよ」と云ふのを聞かずに出て行つた事がある。中中帰つて来ない。12時過ぎても1時になつても帰つて来ない。まだ帰らぬかロ思つてお勝手の戸を開けてみると、肌が凍る様な雨風が吹き込んだ。
その晩は、私はいつもの通り遅くまで夜更しをしてゐたが、到頭帰つて来なかつた。一晩ぢゆう帰らなかつたのはその時が初めてである。
しかし朝になつて、お勝手に家内の気配がしたら、すぐに帰つて来た。どこにゐたのだらうと家内を話し合つたがわからない。雨がひどかつたので、うちの廂の隅か縁の下にでもひそんでゐたかも知れない。いくら寒くても、その時はさうしなければならない猫の必要があつたのだらう。
2.
(昭和32年)
3月27日水曜日
快晴朝氷張るストーヴをつける。午後3時起4時前離床。昨夜は夜半2時過ぎに寝て今朝方6時から9時迄寝られなかつたが、その後に熟睡してこんなに遅くなつた。
3月28日木曜日
半晴半曇夕ストーヴをつける。夕方から雨となり夜は大雨。
ノラが昨日の午過ぎから帰らない。一晩戻らなかつた事はあるが、翌朝は戻つて来た。今日は午後になつても帰らない。ノラの事が非常に気に掛かり、もう帰らぬのではないかと思つて、可哀想で一日ぢゆう涙止まらず。やりかけた仕事の事も気に掛かるが、丸で手につかない。その方へ気を向ける事が出来ない。それよりもこんなに泣いては身体にさはると思ふ。午前4時まで待つた。帰つて来たら「ノラや、帰つたのか、お前どこへ行つてたのだい」と云ひたいが、夜に入つて雨がひどくなり、夜更けと共に庭石やお勝手口の踏み石から繁吹きを上げる豪雨になつて、猫の歩く道は流れる様に濡れてしまつた。
3月29日金曜日
快晴夕 ストーヴをたく。朝になつてもお天気になつても、ノラは帰って来ない。ノラの事で頭が一ぱいで、今日の順序をどうしていいか解らない。夕方暗くなり掛かつても帰つて来ない。何事も、座辺の片づけも手につかない。夜半3時まで、書斎の雨戸も開けた儘にして、窓の障子に射す猫の影を待つてゐたけれどもノラは帰らなかつた。寝るまで耳を澄ましてノラの声を待つたがそれも空し。
一昨日27日にノラが出て行つた時の事を更めて家内から聞いた。
私はその日は午後3時頃まで眠つてゐたが、私が寝てゐる間に、お午頃は家内はお勝手でノラを抱いてゐたさうである。その時ノラは昨夜から残してあつた握り鮨の屋根の玉子焼を貰つて食べた。一たん風呂場へ這入つて寝て、暫らくすると、2時頃家内が新座敷でつくろひ物をしてゐる所へ来て、板敷から片脚を畳の上へ出し、滅多にした事がない程畳の上へ伸ばして、家内の顔を見ながら大きな声でニヤアを云つた。
「行くのか」と云つて家内が起ち上がらうとすると、先に立つてもう出口の土間に降りて待つてゐる。家内は戸を開けてやる前に土間からノラを抱き上げ、抱いた儘で戸を開けて外へ出たが、物干場の方へ行くのかと思つたからそつちへ一足二足行くとノラは後ろの方を見て、反対の方へ行きたがる様だから抱いた儘そつちへ行き、洗面所の前の木戸の所からノラがいつも伝ふ屏の上に乗せてやらうとしたら、ノラはもどかしがつて、家内の手をすり抜けて下へ降りた。さうして垣根をくぐり木賊の繁みの中を抜けて向うへ行つてしまつたのだと云ふ。
・・・・・・ ・・・・・・
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以下、略