2007年シーズンは、記録や期待・周囲のものすごいプレッシャから追われるのではなく、自ら迎え撃ちにいった、という。
以前に観たドキュメンタリでも感じたが、彼はすでに技術的にはあることを掴みきって開眼していたようなのだ。そのうえで昨シーズンからは、つぎのなにかを追いかけている。
器用過ぎて反応がよすぎるのか、ストライクゾーン以外にも手が出てしまう。これがなければ、もっといけるという。
本塁打は狙って打つ、かれはいつでも打てるのだ。本当はだれよりも長距離飛ばすのもうまい。打撃練習では殆どがスタンド入り。では、なぜコツコツのヒットメーカをつづけるのかは、僕には分からない。
イチローのまわりは、もはや記録の山だ。結果は数字が最大の表現だし、楽しめる記録ではあるのだが、プロスポーツを楽しむならば瞬間の芸が好きだ。
プロ野球に興味がなくなって久しい。テレビ中継の数時間が無駄なのだ。それでもMLBはタマに観る。ゲームのスピード感と映像の迫力が、こちらとは、まるで違うからだ。日本の映像が面白くないのは、対象に思い入れもないヒトが会社の仕事としてギリでやっているからだろう。ネット裏からのバッテリの画像が大半では、野村スコープで工夫してもプロ意識不足の選手も含めて退屈テレビ。
かつて安打製造機といわれた張本勲は、スタンスをピタっと定めるや下半身はぶれず九十度全方位に打ち返した。4番サード長島、ピッチャが投球動作に入るたびに獲物を狙う姿勢に伏せ、軽快なフットワークとサイドスローでベースに足が着いてたのかわからないファーストの王に送る。長島のフィールディングは、なんでもないゴロでもいかにも難しそうに、でも華麗に捌いたようにみせるのであった。
ああいう動きがプロフェッショナルのしごとであった。記録ではなく映像の、それも記憶の島の中だけにある。
シーズン最後の打席後にセンタの守備に着いたイチローの目が潤んでいた。何度も後ろを向いて、目をぬぐっている。こんな一瞬の映像は何より雄弁だ。
毎朝カレーライスを食べながら、ことしはいったいどんなすごいプレーをやってくれるのだろう。
いいなあ、いつまでもかれはチャレンジャーだ。そして、いい顔になってきた。