Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

お魚を釣ればぁ・・・

2012-07-16 10:15:02 | ローカルな話題

おや、明るい、もう朝の5時じゃないか。夕飯も食わずに寝てしまった12時間。ちょっとひと眠りのはずだったんだがなあ。風呂にもはいっていない、さかな臭いぜ。釣った魚さばいて、何匹かは一夜干し、刺身はすこしだけ残してあとは全部おじいちゃんに持ってけ、とか言ったまでは覚えているが・・・

女川湾北のほう出島廻りは岬と島に囲まれている内湾だから静かな海。だが、すぐ3、40Mの深さになる好漁場だからアイナメやカレイの大物ばかりで6月末は40、50センチがぞろぞろだったとか。佐藤先輩連れてってよと頼んで、きのう15日の船釣りとなった。先輩というのは、高校/元茶畑の2年上。センパイ前日はKOグリークラブ同窓会で銀座で飲んで、石巻を見たいと云う仲間を仙台に連れて来て家に泊まらせたとか・・・まだ酒臭い・・・よくやるよ。

 

最初は小物ちょぼちょぼ、片天一本じゃな、コレやるから、と船頭見かねて・・・このへんは両天秤で14号針の仕掛け。どれ先輩の後ろ姿も撮っておくか、と竿を置いて遊んでいたらボクにも大きいのが釣れていた



竿頭となった浅野さん、ドンドン上げる、おやタナゴだ、アイナメ、マコガレイ、ナメタ、ハモで五目達成!?町内のケーブルテレビ理事長さんなのであった。このボラ/自主運営組合の集まりで先週飲んでいたら、このときも万事セッティングしてくれた佐藤先輩、じゃあ知り合いの船でやるかと、議案はなかなか決まらないが、こういうのは即決になったのだった。もう一人はのこぎり屋さん?あわや徹マン寸前で殆ど寝てないお方、おつきあいもたいへんね~、さらなるもうひとり餌係のはずが日にちを間違えて現われず!、まあ皆年の功で、釣果も含めて帳尻はあうのだ。
 
女川の港町は昨年の大津波で壊滅、港まわりも下の土地はもう何も残っていない。まだがれきがうずたかく積み上げられている。きょうの船頭Kさんも浮きドックに捕まってやっと助かり隣のおばあさんが家ごと流されるの見てもどうしようもなかった、船は1隻だけ残ったと。ホヤ?今年やっとつけれたから来年にならないと・・・、この日は女川の先の浜、尾浦から出た。牡蠣棚廻りは海底を漁師さんたちが奇麗にした様だ、たいへんだったろう。樹木の上の方には黄色やオレンジ色の浮玉がいくつもぶら下がっている・・・。民宿に泊まって5時頃船出、餌はチュープのようなエラコが昔からあのへんでの釣り遊びであった。いま民宿商売どころかご自分の家すら無くなってしまったのだ・・・おお、でもウニ漁の舟が元気よく帰って来た。魚は一杯いるんだから、みんなもっと釣り舟使ってあげて、お魚を釣ればぁ・・・

そうだ、海の日の今日は午後から、第65回塩竈みなと祭 −本祭− 。いい天気だし、神輿海上渡御、陸上パレードやら見に行くか。町内テレビで流してやろう。(と、思ったのに電池の合わない?カメラ、メモリスティック見つからず?撮影はやーめた、マリネットのオネーチャンは来てたなあ、ま、あっちはショーバイ。ついてゆく漁船の数が少なくなった感じ。最後尾から追い上げるヤツなんかが面白かったのだけど・・・夕方/16:15追記)

     

 

 

 

 

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