Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

Storia 異人列伝(Ⅸ)自画像のゴヤ ー

2022-11-03 12:57:59 | 西洋のひと/ギリシャ・ローマ

標記タイトルの電子本は、十数年来当ブログにて公開してきた画家ゴヤ関係の記事を推敲・集成したものです。

ゴヤの生きた場所に立ちゴヤの実作の前にてゴヤの生涯を思い見事な鑑賞態度を示された堀田善衛。ゴヤ、生涯2000点の作品というが十数点の自画像を手掛かりに堀田善衛のライフワーク『ゴヤ』にて、画家ゴヤの人間と作品を追いかけたものです。

電子本のコンテンツともとになった当ブログ上の関連記事、書籍紹介記事は内容が重複するため全て非公開化または削除しました。これまで記事引用やリンク参照されている方にはお詫び申し上げます。以下にてまとめてご覧いただければ幸いです。

著者:佐竹則和   2022.11.3

Storia 異人列伝(ⅧStoria 異人列伝(Ⅸ)自画像のゴヤ

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Storia 異人列伝(Ⅷ)ーチャーチルの第二次世界大戦ー

2022-10-13 10:12:07 | 西洋のひと/ギリシャ・ローマ

標記タイトルの電子本は、十数年来当ブログにて公開してきたチャーチルの著作「第二次世界大戦」をもとにした記事を推敲・集成したものです。

ウィンストンーチャーチルの著した『第二次世界大戦回顧録』は1948年から1953年にかけて発行された全6巻になる書物でした。1957年にチャーチル自身が読者の便を図って重要部分と補遺を1巻にまとめ直しましたが、これでも膨大な内容です。第一次大戦から第二次世界大戦を国家、世界の指導者として国家戦略、戦争指導、戦争集結までに関わった人物の著作ですから第一級の史料であり第二次世界大戦の史実のみならずチャーチルの強い意志や、思想、愛すべき人柄までもわかるものです。今や戦争の経験や記憶は消え、またまたロシアとウクライナ、西欧諸国とアメリカ、あの時代と先の大戦で起きたことと同じことが起きています。独裁専制、電撃侵攻、経済制裁、武器供与、占領地域、大量殺戮、協定破棄、原子爆弾、戦争犯罪、鉄のカーテン。。。。これはチャーチルが回顧した流れと同様であり、国連や現在のサミットなどの機能不全までを見通していたチャーチルがならした警鐘はどこへ行ったのかと思うことしきりです。 

電子本のコンテンツともとになった当ブログ上の関連記事、書籍紹介記事は内容が重複するため全て非公開化または削除しました。これまで記事引用やリンク参照されている方にはお詫び申し上げます。以下にてまとめてご覧いただければ幸いです。

著者:佐竹則和   2022.10.10

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中世の秋

2007-10-28 20:18:35 | 西洋のひと/ギリシャ・ローマ
台風去って好天、秋色深し。わが町内、大きな森の公園もあって広葉樹木は華やか。
中世後期というのは秋なのか、このところ『中世の秋』という書物を眺めていた。よもやまばなしに入り込んでみると、そのなかから浮き上ってくるあの時代の雰囲気、時代の「調子」!などが、おぼろげに...

中世とは、西ローマ帝国崩壊が476年ここからとすれば、1400年代(Quatrocent)のイタリアまで千年も続いた重苦しい時代。この中世の後期には、千二百年代あたりからすでにルネサンスの萌芽が見られていた。
ルネサンスRenaissance「再生」。ヴァザーリの「美術家列伝」で、十四世紀初めから16世紀末までの時代が、初めて「ルネサンス」rinascitaという名で呼ばれた。ヴァザーリがルネサンスすなわち「再生」といったのは、古典文化の復活という意味である。ゴート、ロンゴバルド、フランクなど蛮族のもとに雌伏した中世千年ののち、ようやくラテン文化がよみがえった、というのが彼ヴァザーリの考え。
まずは、近代になりここに光を当てたブルクハルトJacob Burckhardt「イタリア・ルネサンスの文化」を先にちゃんと読むべきなのであろう。

でもひっかからずに読んだのは、藤沢先生訳 Indro Montanelliの「ルネサンスの歴史」、これは列伝のかたち。歴史記述の本道ではないなどといわれるらしいが、読み物としての面白さでは抜群。古典復興は人文主義・ヒューマニズムの一側面、この側面の代表者がペトラルカ。この本では、ダンテ、ボッカチオ、ヴィスコンティとスフォルツァ、ロレンツォとジロラモ、イル・モーロとシャルル8世、ボルジア家の人々、フス、カルヴァン、マキャベリ....

さて、「中世の秋」のことであった。
ホイジンガが日本語の文章を書くのだ、日本語ならこの言い回しを使うだろう、この意気で書かれた堀越孝一教授の素晴らしい日本語訳。先生の「解説」から、この本とオランダの歴史学者ヨーハン・ホイジンガ Johan Huizinga の「歴史」への姿勢についての部分を引用させていただく。

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...
中世後期という時代がどういう時代であったか、ホイジンガはそれを一般の読者に紹介しようとした。それが狙いであった。どうして中世後期という時代を選んだかは『緒言』がじゅうぶん語っている。画家ファン・アイク
Jan van Eyckヘの関心からである。つまるところ、歴史家の対象の選択は、まったく個人的な問題なのである。ファン・アイクの時代をよい形において知りたいという気持ちがかれにあり、かれはその気持ちを読者と共有したいと思った。
....
後期中世という時代をよく知るには、その時代に身をおくにしくはない。ホイジンガの思考の手続の第一歩である。さて、どう身をおいたものか。その時代は、どういうかたちでわたしたちに現象するか。すでにしてファン・アイクの絵画という形でかれの眼前にあった。幼い頃の記憶に、時代風俗の仮想行列があった。貨幣や、メダルのコレクションがあった。これは、半生の記になつかしさをこめて回想しているところである。そういうイメージやものの形で、時代は現象する。

 絵の解説、これが『中世の秋』のひとつのテーマである。第二十章と二十一章の章題が、この辺の事情をあっさりと示している、いわく「言葉と絵」「絵と言葉」、言葉?、これがもう一つのテーマであり、当初の関心の枠はここに越えられた。
ファン・アイクの時代に身をおきたいという願いが、その時代の人々の言葉の蓄積にホイジンガをもぐりこませる。かれにとって、時代の現実とは、歴史空間をおおいつつむイメージと言葉の皮膜である。歴史空間は、それ自体求めて見出されるものではなく、記録のみが私たちの獲物である。これが、『中世の秋』の作業準則の第一項である。

人とその振る舞いは、その時代のもつ調子において見なければならない。これが『中世の秋』の作業準則の第二項である。その時代の調子は、その時代の記録のなかにしみとおっている。記録は時代特有の調子を帯びているのである。「生活の調子が変るとき、はじめてルネサンスはくる」(最終章の結語)後期中世の調子はまだ変っていないのである。
時代の調子に鈍感に、記録を読むにあたって、近代の思考のくせをもってすること、これを時代錯誤(アナクロニズム)という。「時代錯誤を避けること、これが歴史科学の半ばである」、ホイジンガは1930年にフランスのソルボンヌ大学で行った公開講義で語った。....

...ホイジンガは覚書を読みながら考える。わたしたち自身の常識になじむ、つじつまあわせをしているのではないか。この言葉は、今わたしたちが使う場合と同じ意味だろうか。この文脈には、わたしたちの知らない理解の規則がからんではいないか。そう自問自答するホイジンガは、いやおうなしにかれ自身に生得の思考の作法についての自覚を深めていった。『中世の秋』の作業は、『中世の秋』以後の、つまりは近代人の考えかた感じかたを認知する訓練ともなったのである。

近代以前を他者として対象化する作業が近代それ自身を対象化し、近代とは何かを知る機会ともなる。一九一九年以前の歴史学は、まだこのダイナミズムを知らなかった。
....
真正の歴史家にはついに私はなれなかった。この言をどう読むか。誇り高い近代の歴史主義に対して一歩しりぞいて構える真正のディレッタントの言と読みたい。歴史に遊ぶ精神の表白とききたい。これこそ、『ホモ・ルーデンス』homo ludensのテーマである。なぜならば、歴史における理解とは、他者性における世界の認識であって、歴史家は、仮装することによって、つまりは、自分自身を他者として対象化することによって、歴史の世界のなかで遊ぶ(ホモ・ルーデンス)ものなのである。....


Johan Huizinga (December 7, 1872 - February 1, 1945), a Dutch historian, was one of the founders of modern cultural history.



***************
「中世の秋(上・下) ホイジンガ著/堀越孝一訳 中央公論新社(中公文庫)ISBN4-12-200372-5, 200382-2」
「ルネサンスの歴史(上・下)I.モンタネッリ、Rジェルヴァーゾ著/藤沢道郎訳 中央公論新社 ISBN4-12-201192-2, 201193-0」
「イタリア・ルネサンスの文化(上・下)ブルクハルト著/柴田治三郎訳 中央公論新社(中公文庫)ISBN4-12-200101-3, 200110-2」
「The Lives of the Artists / Giorgio Vasari OXFORD university press ISBN978-0-19283410-2」

中世の秋〈1〉 (中公クラシックス)
ホイジンガ
中央公論新社

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「ポンペイの輝き」

2006-08-12 17:37:08 | 西洋のひと/ギリシャ・ローマ
ポンペイの輝き展」、仙台市博物館での巡回展を見に行った。
ポンペイPompeiiと近郊の町から出土したフレスコ画や彫像、きらびやかな宝石や貴金属など約400件を展示、大半が日本初公開...「ポンペイの輝き」ですか...

西暦79年8月24日午後1時から翌日25日朝までのヴェスビオ火山の噴火で、一瞬にして埋もれそのまま封印...あの夏の日も、せみが鳴いていたのかなあ...
この17年前西暦62年ナポリ湾頭を震撼させた強い地震がヴェスビオの噴火の前兆だったのだろう。ヴェスビオ火山は2万年前ナポリ湾海底に誕生以来6回の大噴火、3千年に一度では次は千年後ですね!
叔父・大プリニウスPliny the Elder, Gaius Plinius Secundus, (23 –August24, 79 AD) の死と前後のリアルな状況を書いた小プリニウスの手紙はこの日の貴重な記録となった。

西暦62年の皇帝はネロ、ネアポリスNéa Pólis,Napoliで自ら舞台の上で演奏、観客が拍手したのは歌のためよりも地震に動じなかった勇気へ敬意!この復旧が成らないうちにあの大爆発だった。壁画「竪琴弾きのアポロ」はネロ君とか。のり坊も、売店で発掘したキミとマンマの金貨持ってるぜ!?
1982年の発掘ヘラクラネウムHerculaneumでの夥しい犠牲者の大発見、この2日間で6次にわたるサージ・火山性熱雲によるものという。20メートルもの堆積層を丹念に調べ噴火の様相も科学的に明らかになりつつある。

自然探求・石ころ集めが大好きだったゲーテJohann Wolfgang von Goetheも1787年ナポリ滞在の間ヴェスビオVesuviusに登った。1771年の溶岩流を越えて登り、火口からは煙噴き小石が飛んでくるなんて言っている。危ないってば!

それにしてもすごい量感の金の腕輪。エルコラーノErcolanoの砂浜で倒れた女性のヘビ形の腕輪。 ポンペイ黄金の腕輪の家のほうのはヘビがくわえる円盤に三日月と7つの星に囲まれた月の女神セレネΣελήνη,Selene。長さ103センチ94枚もの金の薄板のきらびやかな首飾り。
そのほかにも、たいへんな数の金の指輪、指輪には赤や青やちいさな宝石がはめ込まれている。いろいろな形のおしゃれなイアリング。
細工師に作らせるときのドキドキ、誰かに貰った時、身につけた時の笑顔...

この日はもてるだけ持ち、あわててつけて逃げた...金の飾りだけがそのままの輝きで残った...銀のスプーンなど食器類、手鏡、ガラスの香水入れ...この日まで毎日使っていた大事なもの。金貨は凛とした顔のウェスパシアヌスTitus Flavius Vespasianus帝のものが多い。本日一番興味があったのがローマの金貨。このサイト「古代ローマ」の数学の先生augustusさんには脱帽ですよ。

壁画やタイル、木製の家財道具も地下水などで保存に恵まれた部分も、あの日79年8月25日朝に封印され二千年後まで残ったタイムカプセル。
母の傍で息絶えた15歳の少女や犠牲になった多くの人たちには申し訳ないが、とてつもない価値の人類の遺産になった。

ポンペイに行って見てきた人の現場の写真などもいいですね。趣味なのかなあ。
下の写真、贋金コインはのり坊発掘!腕輪・鎖はポンペイ出土、[Virtual ROMA ]サイトより。
 

*********
「ポンペイの滅んだ日 金子史朗 原書房 ISBN4-562-01908-5」
「イタリア紀行(中) ゲーテ/相良守峰訳 岩波文庫 ISBN4-00-324060-X」
「プリニウス書簡集 國原吉之助 訳 講談社学術文庫 ISBN4-06-159367111-6」
ポンペイの滅んだ日

東洋書林

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ポンペイ―完全復元2000年前の古代都市

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ユリウス・カエサルの末裔

2006-07-07 23:35:32 | 西洋のひと/ギリシャ・ローマ
サッカーW杯は、とうとうローマ帝国内の闘いとなった。
昨夏[カエサルから日本のみなさまへ]でふれたように、偉大だったローマのユリウス・カエサルGaius Julius Caesarの末裔アズーリAzzurri;La Nazionale di calcio dell'Italia 及びカエサルに平らげられたガリアGalliaの末裔たちは、この準決勝までに、ドーバーStrait of Doverの向こう・やっと歴史に登場したブリタニアBritanniaの末裔ベッカムやルーニー、ラインRheinの向こうに追っ払ったはずのゲルマーニアGermaniaの蛮族たちバラック、クローゼなどを文字通り蹴散らしてきたのであった。
さて、おらがパエーゼpaeseの寄せ集まりイターリアRepubblica Italianaは、21世紀にもまたガリアを打ち破ってカルチョcalcioの頂点に立てるのであろうか。

昨日聞いたところによれば、イタリア語サークルの面々には、この日曜日の結果によってイタリアに賭けたほうはフランス料理をせしめ、フランスに賭けたほうはイタメシにありつくという危険な賭けをなさっているかたがいるとのことであった。準決勝でもこのような賭けが存在したようだが、仙台にはポルトガルPortugal料理店が見当たらなかったようで、イタダキがウヤムヤとなっている模様ではある。

せっかくだから8強までの旗そろえようか。ブラジルBrazil、アルゼンチンArgentinaは今回はちょっとピリッとしなかったね。神業もあまり見られなかったし。ウクライナУкраинаのサポータにはきれいな人いるんだなあ、日本のサポータの皆さんせっかく行ったなら、世界のカメラの目にとまるように振る舞いましょうね!

ナニワブシ的にジダンに花道を飾らせたい向きは多かろうが、やはりイタリアのマンマ心情的にはトッティちゃんに、モイチド、指しゃぶりさせたいところだ。
NHK-BSによれば、戌年ごとにアズーリAzzurriに勝っていただく歴史の周期律が存在するとのことであった。
ワタクシ的には、ルノー/トゥインゴRenault Twingoちゃんの三色旗 la bandiera tricolore、青を緑に変えてしまった身でもあるし、どちらが勝っても結構なのではあるがパドヴァPadova近郊ご出身のセンセーのために、FORZA ITALIA !
ハクチャンに三色ボールの袋で占ってもらったが、大いに混乱してオリバー・カ~ンと鳴くばかりで今回は役に立たなかった。

ちょっと古い話だが、カエサルは「ガリア戦記」の7巻までをいつ書いたのだろうか? 
...おそらく、前52年ガリアの総反乱を鎮圧しガリア戦争が事実上終わったと判断した時であったろう。52年秋から冬にかけて一気に書き上げられ出版されたと考えられる...「ガリア戦記」の直接の動機は、元老院保守派の弾劾に対する自己弁護と、執政官選挙を控えての民衆の投票獲得であろう...自己の業績を飾ることの愚かさと安易さを知っていたがゆえに、あのような、自己を抑制した、感情よりも理性に訴える、冷たい客観的な、一人称よりも三人称の文体が生まれたのだ。それは飾る以上の技巧を必要としたろう...
 と、國原吉之助先生は言う。(*)

カエサルの「ガリア戦記」冒頭。遠い先も見すえていた彼は、2006FIFA-W杯決勝戦もお見通しだったのだろう... 
Gallia est omnis diuisa in partes tres, quarum unam incolunt Belgae, aliam Aquitani, tertiam, qui ipsorum lingua Celtae, nostra Galli appellantur.  ...
ガリア全体は、三つの部分に分かれていて、そのひとつにはベルガエ人が住み、もう一つにはアクィタニ人が住み、三つめには、その土地の人の言葉でケルタエ人とよばれ、われわれローマ人の言葉でガリア人とよばれる民族が住んでいる。...
 

( Julius Caesar 名誉委員長感謝演説より )
戦友諸君!我が全ての末裔に感謝申し上げる。カエサルは決勝はどちらが勝ってもいいのだ。イタリア勝てば我が名誉、ガリア勝てば我が財産。トラヤヌスMarcus Ulpius Nerva Traianusくんの頃にダキアDaciaを征服パルティアParthiaを破りローマ・エムパイアImperium Romanumの最大版図を現出したはずだ。キミたちの時代において、本物の武力ではカラキシ弱い国がサッカーではスッバラシク強い、これは人類にとってとても良きことで、心から嬉しく思う。
カエサルが描いておいたローマ帝国は大きかったろう。であるからして、図らずも実質帝政となってしまったローマ及びわが属州からFIFA2006 に参加してくれたのは、おそらく以下の通りかと思われる。わがローマの征服・同胞化順にすべきところだが、のり坊不勉強のためW杯予選グループ順にさせていただく。そろそろキックオフだ、小川the Rubiconのあっち側にポーンと蹴り出すんだよなっ!?
TUN, KSA, ESP, UKR, SUI, FRA, CRO,
ITA, CZE, POR, IRN, NED, SCG, ENG, GER


*********
(*)「ガリア戦記 カエサル著 國原吉之助訳 講談社学術文庫 ISBN4-06-159127-4」解説より
「ガリア戦記 カエサル著 近山金次訳 岩波文庫 ISBN4-00-334071-X」
The Latin Library C. IVLI CAESARIS COMMENTARIORVM DE BELLO GALLICO
ガリア戦記

講談社

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