1Q84 BOOK 1 | |
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新潮社 |
「ノルウェイの森」から村上春樹さんを読み始めたのがひと月ほどまえのようだ。同年代、同時代のすばらしい書き手、いままで知らなかったのがなんとも不思議だな。で、この6月は、ずっと彼の作品をながめていたが、速読か読み飛ばしか、なにしろ春樹さんの文章は読みやすいので長かろうが短かろうがあっという間だ。でもさいごの50ページ残り厚さ3ミリまで結末がどうなるのか分からない、こんなところにも読者を引っ張る力が現れる。さて、少し長めの小説では、どれが印象に残って、良かったかとなると、
みな、それぞれに・・・、ああ、王族ではないんだからそんなに気をつかわずに言ってごらんなさい・・・やっぱり、わかんないなあ、春樹のワンダーランドというのは・・・年代ごとに深まりもでてくるようだ。双曲線のように複線の物語が交差するでもしないようでもあって、そしてぐるぐると渦巻き始め、スパイラル。いつも、文字の向こうには音楽の旋律とリズムが流れている。
手に取った順はいい加減、長編の作品を年代順にならべてみれば、
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(1985)、これ、チトばかり薄暗いかなあ...
ノルウェイの森(1987)、短編「蛍」が膨らんで・・・初めて読んだものだったから印象深いな、いいね!
ねじまき鳥クロニクル(1994−95)、救いがあったのか、なかったのか、はて・・・
海辺のカフカ(2002)、カフカ君、若くてたいへんだろうけど元気でな・・・
1Q84(2009-2010)、迷宮は抜け出さなくちゃ、ここで、終われよ青豆・・・
短かそうなところでも机の周りにうずたかく50センチ、崩れ落ちないようにしないと・・・
風の歌を聴け(1979)、羊をめぐる冒険(1982)、めくらやなぎと眠る女(1996)、スプートニクの恋人(1999)、神の子どもたちはみな踊る(2000)、アフターダーク(2004)、東京奇譚集(2007)、村上春樹 雑文集(2011)、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(2013)これは「」つけないと句読点がどうにも・・・、NHKラジオでは英語で読む村上春樹(2014)というのもやっているが土日のお昼頃、こんな時間でだれが聴けるのかしら、NHKの集金人は今もいるのかいな?
摩訶不思議な世界を物語る作家の精神状態が6月の梅雨みたいなものかといえばさにあらず、全く正反対の早寝早起き、ボストンマラソンも数回完走というエネルギッシュな生活タイドの上にあるようだ。朝早くおきて真っ昼間に不思議なものがたりをネチネチ書いて午後から頭すっきりランニングに筋トレ、「雑文」を書き、料理を作るというような日々らしい、すばらしい、こうでなくちゃ!長距離走者の孤独も、解放感も共にあって・・・
創作や創造という行為の裏側には、とくにこの作家には、なんとも窺い知れぬものがひそんでいるようだ。長距離走の純文学と異なる側面(不純文学の短距離走!?)は、狐狸庵先生みたいに、村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた(1996)などで、ねこのようにねころんで、画像とともに楽しめる。
ワールドカップのニッポンはどうも世界一流どころとは迫力が違いすぎてヤワすぎた。ひまなので、ワールドワイドに春樹さん翻訳の「グレート・ギャツビー」も読んでしまった。春樹さん若き頃からのお気に入り、でもなんとも切ないお話だなあ。これは男子の物語。映画ではロバート・レッドフォード、最近はレオナルド・ディカプリオらしいが・・・ま、フィッツジェラルド短編集が日焼けして転がっているから、これを機になんとかかたづけないと・・・もうナイトか、春樹さんに、我が家のネコたすけちゃんから、「おやすみなさい」
(P.S. ころんころんしている、うずまき猫タスケちゃんに、村上春樹をどう思うと訊いたら、こんな答えが返ってきた。)
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この世に生を受けた時から死すべき存在たる君たち人間、あたえられた短き一生の時間ではあるが、その存在での深層的な心理と行動のありようを、村上春樹は現代という時代の観察を背景に鋭い切り口でかつ持続的に描きつづけてきた。
かれの文学の主題は人間存在と精神活動の探求と洞察であろうが、ときに幽玄な世界へ読者を誘い、しばし困惑のなかに招き寄せ、あるいは読者にその解釈と解決をも問いかける。かくも複雑化し個別に多くの悩みを抱える現代人の孤独な心の奥底に肉薄し、魂の救済がいかにしてなしうるか否かを問いつめる。この作家が数十年の歳月を費やし、初期の作品からゆるぎなく求めつづけているもの、それは、ゆるぎない愛への憧憬と信頼、善へのあくなき希求であって、けっして諦観や絶望や曖昧模糊とした遊戯の世界ではない。ごく身近な人間や多くの人たちへの親密な愛情をもってする豊かな生の実現の期待なのだ。
彼の創出する物語では時間軸上で並列に現れる人物と出来事とを巧みに同期させる表現手法が特徴的である。それが長編の膨大な語数を前にする読者にとって重いテーマを咀嚼しつつも楽しんで一気に読み通す助けにもなる。創造のありようからみれば、旧世代の作家とはその知的好奇心の広がりや行動様式は大きく異なり、精神と時間の集中の必要と世界中をとびまわる生活の中で、長編のいくつかは日本国外の地で書かれてきた。言語プロセッサも活用する超現代的な作家だが、その言語は極東に孤立する日本語ではある。だがこの作家は洗練された隠喩の効果とさらにはシャープな文体によって欧米はじめ多くの言語にも移植しうる氾世界的な創造物にまで昇華させた。作品群はいまや実に数十ヵ国、数十の言語にておそらく数億人規模の読者と共感の獲得という結実をみた。
この作家はこの時代のジャズ、ロックなどポップな音楽やクラシックへの愛おしみを通して、活字を超えた芸術全般の表現と感受性とを文学の世界に陰に陽に埋め込むことにも成功した。読者は彼の文学の森を漂うなかで芳醇な音のながれる世界にも迷い込み、いっそうの余韻を味わうことになろう。
やれやれ! 人間であることもタイヘンそうだニャ~ <<<