気ままな歳時記(その2)

気ままな歳時記の続編です
Sonyα6500とRX100M7で撮った写真で,日々の事や昼飯を気ままに綴っています

『宮城県美術館』と「宮城県民会館」の移転

2020-03-25 19:16:23 | 消える街並み
 「宮城県民会館」(東京エレクトロンホール宮城)は、前の東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に開館し、座席数1590席と仙台の街中にある音楽ホールとしては、座席数1,000席の1960年(昭和30年)開館の「仙台電力ホール」とともに県民に親しまれて来ました。

 しかし、東日本大震災の被害や老朽化が進んだこともあり、宮城球場そばの「仙台医療センター」跡地が移転候補地に選出され、新しい県民会館を「東北最大の芸術文化拠点」と位置付ける基本方針が出されました。

 JR仙石線の「宮城野原駅」を降りてすぐの場所なので、音楽ホールとしては適した立地と思いますが、何と『宮城県美術館』も同じ場所に移す検討を行っているようです。

 『宮城県美術館』は、1981年(昭和56年)に青葉区川内の国有地の払い下げを行って建設され、川内地区は、戦前は第2師団の衛戍地(えいじゅち)の一部でしたが、戦後、進駐軍の「川内キャンプ」となり、1956年(昭和31年)の撤退後は、東北大学川内キャンパスとなっています。

 川内地区は、ほとんどが国有地、県有地、市有地で占められ、東北大学、東北工業大学、宮城教育大学、仙台二高、仙台商業(移転)、国際センター(元宮城県スポーツセンター)、仙台市博物館、元追廻住宅も大規模な公園になる予定、まさに文教地区としては、仙台に此処しかないという素晴らしい場所です。

 『宮城県美術館』は、川内という場所に永遠にあって欲しいと願うのは、私がここで生まれ育ったからばかりではないと思います。

 宮城県民会館(東京エレクトロンホール宮城)


 宮城県美術館(その1)


 宮城県美術館(その2)
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