訪問日:平成25年3月30日(土)
出 発:能勢電車「妙見口駅」
到 着:能勢電車「妙見口駅」
明治に入り、川西・一の鳥居から能勢妙見への参拝道として開かれた「花折街道」。これまで何度か歩いた道である。今回、訪れた理由は、能勢電車が開業100周年を記念して「復刻塗装」電車を走らせること。また、この時期「雛のつどい」が開催されること。そして、花折街道から続く「日本一の里山:黒川」の「桜の森」で野生桜「エドヒガン」が開花を迎えるためである。
「花折街道」は、緩やかな坂道の往復。「黒川」は、ほぼ平坦な里道。「桜の森」は、山の斜面を歩くが道は整備されている。距離的に短く、途中、トイレが3カ所、自販機も所々にあるので給水には困らない。
なお、愛機「Nikon COOLPIX S620」の調子が悪く、若干「ピンボケ」になってしまった。10年以上の付き合いだったが、ぼちぼち買い換えの時期だろうか。
今回の出発地点である能勢電車「妙見口駅」まで、我が家から歩いて20分ほどだが、今日はひとつ手前の「ときわ台駅」から1区間電車に乗ることにした。その理由は、開業100周年を迎える能勢電車が、復刻塗装の列車を運行するためである。「山下~妙見口」間を20分毎に走る2両編成の乗り継ぎ連絡列車だ。
車内には、古い写真が飾られ広告もセピア色に印刷するなどの気の遣いようだ。
「妙見口駅」に到着。以前のクリーム色の木造駅舎は、茶色を基調とした「町家風」にリニューアルされていた。1ヶ月ほど前から改修工事をしていたので「もしや、鉄筋コンクリートのつまらない駅になるのでは・・・」と心配していたが一安心。
なお、駅前にはお土産物屋さんや観光案内所があり、トイレも駅構外にあるので誰でも利用できる。
待合室も広告類が取り除かれ、落ち着いた雰囲気だ。「のせでん、頑張ってるな。」
(以前の駅舎も結構、趣があった。)
「雛のつどい」は、地元の吉川自治会が、妙見街道と合流した「花折街道」の妙見口駅から国道477号線までの約1kmを手作りのお雛様などで飾り、観光客・ハイカーらをお迎えするもので、今年で2回目になる。今年の開催期間は、3月2日(土)から4月3日(水)まで。券売機前では、さっそく「お雛様」が迎えてくれる。午前9時5分、出発。
駅前の広場には、記念撮影用の顔出し絵が、地元の自治会の人たちの手で用意されている。
駅前のお土産屋さんと観光案内所の間から花折街道に入る。
すぐに右手に吉川自治会館が見えてくるので中へ。館内では「能勢電ギャラリー」などが催されている。
自治会館の裏には「吉川の常夜灯」。街道沿いの屋敷前にあったものが、家屋改修に伴って、ここへ移されたそうだ。左は安政3(1774)年、右は嘉永6(1853)年の刻がある。
街道脇には、地元の人たちによる手作りの「お雛様」。
街道沿いの民家では、玄関先に暖簾を掲げ、雰囲気を盛り上げる。
途中、民家の蔵横にある大きな石灯籠。台座には「愛宕神社、秋葉神社」と彫られていたので、妙見講による石灯籠ではないようだ。
今は、「オイスカ」という海外への農業支援組織の建物として使われている「旧吉川中学校校舎」。
「旧吉川中学校」の裏手には「浄土宗考鬮寺」。門構えに「亀」と書いて「きゅう」と読むようだ。
お寺の本堂内には段飾りのお雛様が飾られていた。お茶とお菓子が用意されている。
ガラス越しにお雛様を撮影。
フェンスにも飾られている。
村をあげての歓迎。
土手には、竹で書かれた「花折街道」の文字。
田圃の中にもお雛様。
幟も立てられている。
一般のお宅の出窓にもお雛様が。
里山を背景に。
石に書かれたお雛様。子どもたちの作品だろう。
吉川八幡神社への分岐点で一旦、花折街道からはずれる。
道ははずれたが、ここにもお雛様が。
棚田越しに里山と吉川の集落を望む。
すぐに「吉川八幡神社」。
石段を登ったところには「吉川八幡の常夜灯」が並ぶ。
覆い屋の中に本殿が鎮座する。今日一日の無事を祈願する。
本殿から右へと進むと境内の東端から山道が続く。吉川城址、高代寺への道だ。
すぐに吉川城址、高代寺への分岐点が現れるが、そのまままっすぐ進む。
途中「台場クヌギ」が並ぶ。
左には祠が。石仏のよだれ掛けには「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」とご真言が書かれていたので「薬師如来様」だろう。
水路というより「側溝」に沿って進む。
竹藪を通り抜けたところで、右からの「花折街道」と合流する。
そこには、能勢妙見まで「22丁(1丁は約110m)」を示す「丁石」が立つ。これらは、妙見山を目指す「妙見講」の人たちの寄進により立てられたものだ。丁石の横にもお雛様が。
すぐ目の前は、国道477号線。押しボタン式信号を渡ったところの民家にもお雛様が飾られている。
その民家裏手の土手を上ると妙見山への「常夜灯跡」が残る。
常夜灯後ろの池に沿って進むと「旧妙見参道の鳥居」が立つ。以前、訪れた時は、鳥居前の橋は朽ち、藪と雑草で覆われ中には入れなかったが、今はきれいに整備されている。横には豊能町教育委員会の古い「案内板」が立っていたので、整備されたというより、今まで放ったらかしにされていたのだろう。なお、この池は「上杉池」と呼ばれ正徳2(1712)年の造立だとか。
元の道まで戻り、常夜灯の下を進む。国道477号線に沿って歩道が設けられており、すぐに「兵庫県」との境に。これより兵庫県川西市黒川を歩く。
府県境を越えてすぐ右にも石鳥居が。右の足下には「御山まで21丁」を示す丁石が。
鳥居をくぐればさらに奥にも鳥居が。左横には「法界石塔」が立つ。鳥居は閉鎖されており、ここから先は進めないが、この道も旧参道なのだろう。
また、元の道に戻る。すぐに「妙見ケーブル黒川駅」と「一庫公園」への分岐に出る。「一庫公園」方向に進むのだが、とりあえず「妙見ケーブル黒川駅」方向に入ってみる。
「黒川駅」の駅舎も「妙見口駅」同様、町屋風に改修されていた。
待合室もギャラリー風に改修されている。駅の裏にはトイレがあり、構外なので誰でも使用できる。駅前には、小さな商店と自販機がある。
先ほどの分岐まで戻る。そこには黒川周辺の案内図が立てられていた。
国道477号線と別れ、分岐を「一庫公園」方向に左折する。この道は「北摂里山街道」と名付けられているようだ。
先ほどの「黒川駅」裏から「能勢妙見」へ続く「新滝道」の途中に「白瀧稲荷神社」という神社があるが、このあたりの水田が白瀧稲荷神社の「御供米田」であったことを示す石碑が立つ。
道に沿って坂を下っていくと道しるべが。「徳林寺」へは帰路に立ち寄るので「ダリヤ園」方向へと進む。
ただ、向こうに立派な石灯籠が見えたので行ってみた。
元の道に戻る。少し歩くと左手に「無人野菜売場」が。その横に「炭焼窯」の案内板があったのでそちらへ進む。
すぐに右手へ入る道があるが、それは無視して坂道を上っていく。数件の民家を越えたところで「炭焼窯」の案内板。
ここは、個人やNPO団体の炭焼窯ではなく、フォークリフトやベルトコンベヤーなどを使って大々的に炭を焼いているようだ。
広場にはたくさんの原木が積み上げられていた。
何人かの人が作業をしていたので、個人の工場のようで若干入りにくかったが、奥では炭も売られており、自由に出入りできるようだ。
来た道を戻りさらに坂道を下る。数分で左手に「黒川公民館前」のバス停と「高代寺山」への登山口が見えてくるので、その真向かいにある小道に入る。すぐに小さなグランドがあり、満開にはまだ早いが桜並木があるので並木に沿って進む。
「川西市立黒川小学校」。明治37年建築の古い小学校だ。
現在は、休校(廃校ではないらしい)となっており、公民館として使用されている。
ガラス窓越しに校舎内を望む。
中庭を挟んで古い校舎が続く。
今は使われていないトイレ(というより便所)。奥の3つが「個室」なのだろう。なお、公民館内には使用可能なトイレがある。
黒川小学校を出ると「桜の森」への案内板があるので、そちらに進む。
途中、ここにも台場クヌギが。台場クヌギとは、説明板にあるとおり、炭の原料となる材木を採るため、木の再生力を利用するとともに鹿などの食害から守るため、根から数メートル上で枝を伐採したクヌギのこと。
途中、いくつかの案内板が立つ。徳林寺は、後ほど訪れるので、徳林寺とは反対の方向へ歩く。途中、1カ所、コンクリート舗装の上り坂を行くのか地道を行くのかややこしい案内板があるが、地道の方を進むこと。
お地蔵さんの脇を進む。
しばらく歩くと左手に山桜が咲く山が見えてくる。この桜が、野生種の「エドヒガン」で、ここが「桜の森」だ。
途中、2カ所ほどフェンスで道が塞がれるが、これは立入禁止ではなく、猪などの獣が侵入するのを防ぐためで、説明板のとおり、きちんと施錠をして中に入ればよい。
2~3分で「桜の森」に着く。
ここは、炭焼きなども行われているようだ。
場内には案内板も完備されている。
「ソメイヨシノ」のような華麗さはないが、一生懸命、花を咲かせる「エドヒガン」。
案内板に従って「桜の森」を進む。山の斜面なので結構起伏はあるが、道は整備されている。
下界は満開のようであるが、標高の高いこの辺りは、満開までには2~3日早い。
今は使われていない炭焼窯跡。ここは、炭の集積地から「池田窯」と呼ばれていた。「池田炭」は、この辺りで焼かれていたのか。
「桜の森」を一巡して最初の入口まで出る。そこには「国道477号線」への案内板があるので、そちらに進む。
上り坂を3~4分歩くと国道に出る。
きれいに整備された国道沿いを歩く。
5分ほどで左前方に寺が見えてくるが、このお寺が「徳林寺」だ。しかし、まだお寺には行かない。徳林寺の手前に右へ入る小さな道が見える。
これは、旧国道477号線だ。旧道の兵庫県川西市黒川から大阪府豊能郡能勢町野間までの区間は、ご覧のようにセンターラインや路側帯もない狭い道で、側溝もなかったので、冬は湧き水が路面を流れ凍結するなどの難路だった。
そこでバイパスが開かれたが、地元の人の間では、この辺りは数十年に一度崖崩れがある所と忠告されていた。しかし、工事は進められ平成18年、バイパスが開通。そして、平成22年の集中豪雨で崖崩れが発生し、バイパスは全面通行止めとなった。迂回した旧道は、徳林寺の前で新道と合流する。現在は、完全復旧しているが、地元の人たちは「言わんこっちゃない。」とつぶやいたとか。
目の前に「曹洞宗徳林寺」が現れる。ここには、古い「宝篋印塔」があるという。
本堂。
本堂の前には「川西市指定文化財」の石碑があるが、宝篋印塔は、どこにあるのだろうか。
「菩提樹」や「癒しの観音」はあるのだが、肝心の宝篋印塔がない。案内標示もない。
この子に聞いてみようと思うが、熟睡していて起きない。ちょっと君、番犬になってないよ!
5分ほど探してやっと発見。本堂に向かって左に進むとすぐに分譲霊園があるので、霊園事務所の前を右に入ると、小さく「宝篋印塔」と書かれた表示が。しかし、どこにあるのかよくわからない。目をこらすと、一般のお墓の中にひっそりと佇んでいた。何の表示もないが、石の古さからして、これがその「宝篋印塔」だろう。
徳林寺を出て、さらに国道477号線を進む。しばらく行くと左に炭焼窯跡が。後ろには台場クヌギがならぶ。
長い間、「歩紀」をしていると、下調べの段階で、地図を見ればだいたい何時にどこを通過するか、体感的にわかるようになった。以前、国道477号線を車で走っている時にちょっと気になっていた「うどん屋」がある。おそらく正午ころに到着すると踏んでいたところ、午前11時55分に到着した。
軽く食事をする。「きつねうどん」400円也り。
食事を終え、さらに国道に沿って進む。木によっては満開の桜も。
すぐに朝通った一庫公園への分岐点に出るが、その手前に左に入る道がある。そこには茅葺きの立派なお屋敷が。
水口家住宅。明治5年の建築で、今は酒屋さんをしているようだ。
大門越しに庭を窺うと、鹿の骨が。
朝越えた府県境を今度は、兵庫県から大阪府へ。
往路は、吉川八幡神社に参拝の後、迂回したので、丁石横の山道から来たが、復路は左の「花折街道」を進む。
ここも「お雛様」が迎えてくれる。
田んぼの中には、田の土で作られた「土雛」が。
水路の水をせき止めるために使われている石も「道標」のようだ。
朝通った「たまや」というギャラリーも観光客で賑わっていた。
ここは、かつて妙見詣りの参拝客を相手にした宿だったのだろう。その旧家を現在のオーナーが買い取り、手作り蜂蜜の販売やちょっとしたお土産を置いている。
往路では、ちょっと時間が早かったので、まだ開いていなかったが、個人宅の玄関にも立派な段飾りが。
ガラス戸越しだが、吉川自治会館前の元酒屋さんの建物の中にも2つの段飾りが並んでいた。ゴールも近い。
午後1時35分、朝出発した「妙見口駅」に到着。本日の歩紀「14690歩」(12.63km)。
出 発:能勢電車「妙見口駅」
到 着:能勢電車「妙見口駅」
明治に入り、川西・一の鳥居から能勢妙見への参拝道として開かれた「花折街道」。これまで何度か歩いた道である。今回、訪れた理由は、能勢電車が開業100周年を記念して「復刻塗装」電車を走らせること。また、この時期「雛のつどい」が開催されること。そして、花折街道から続く「日本一の里山:黒川」の「桜の森」で野生桜「エドヒガン」が開花を迎えるためである。
「花折街道」は、緩やかな坂道の往復。「黒川」は、ほぼ平坦な里道。「桜の森」は、山の斜面を歩くが道は整備されている。距離的に短く、途中、トイレが3カ所、自販機も所々にあるので給水には困らない。
なお、愛機「Nikon COOLPIX S620」の調子が悪く、若干「ピンボケ」になってしまった。10年以上の付き合いだったが、ぼちぼち買い換えの時期だろうか。
今回の出発地点である能勢電車「妙見口駅」まで、我が家から歩いて20分ほどだが、今日はひとつ手前の「ときわ台駅」から1区間電車に乗ることにした。その理由は、開業100周年を迎える能勢電車が、復刻塗装の列車を運行するためである。「山下~妙見口」間を20分毎に走る2両編成の乗り継ぎ連絡列車だ。
車内には、古い写真が飾られ広告もセピア色に印刷するなどの気の遣いようだ。
「妙見口駅」に到着。以前のクリーム色の木造駅舎は、茶色を基調とした「町家風」にリニューアルされていた。1ヶ月ほど前から改修工事をしていたので「もしや、鉄筋コンクリートのつまらない駅になるのでは・・・」と心配していたが一安心。
なお、駅前にはお土産物屋さんや観光案内所があり、トイレも駅構外にあるので誰でも利用できる。
待合室も広告類が取り除かれ、落ち着いた雰囲気だ。「のせでん、頑張ってるな。」
(以前の駅舎も結構、趣があった。)
「雛のつどい」は、地元の吉川自治会が、妙見街道と合流した「花折街道」の妙見口駅から国道477号線までの約1kmを手作りのお雛様などで飾り、観光客・ハイカーらをお迎えするもので、今年で2回目になる。今年の開催期間は、3月2日(土)から4月3日(水)まで。券売機前では、さっそく「お雛様」が迎えてくれる。午前9時5分、出発。
駅前の広場には、記念撮影用の顔出し絵が、地元の自治会の人たちの手で用意されている。
駅前のお土産屋さんと観光案内所の間から花折街道に入る。
すぐに右手に吉川自治会館が見えてくるので中へ。館内では「能勢電ギャラリー」などが催されている。
自治会館の裏には「吉川の常夜灯」。街道沿いの屋敷前にあったものが、家屋改修に伴って、ここへ移されたそうだ。左は安政3(1774)年、右は嘉永6(1853)年の刻がある。
街道脇には、地元の人たちによる手作りの「お雛様」。
街道沿いの民家では、玄関先に暖簾を掲げ、雰囲気を盛り上げる。
途中、民家の蔵横にある大きな石灯籠。台座には「愛宕神社、秋葉神社」と彫られていたので、妙見講による石灯籠ではないようだ。
今は、「オイスカ」という海外への農業支援組織の建物として使われている「旧吉川中学校校舎」。
「旧吉川中学校」の裏手には「浄土宗考鬮寺」。門構えに「亀」と書いて「きゅう」と読むようだ。
お寺の本堂内には段飾りのお雛様が飾られていた。お茶とお菓子が用意されている。
ガラス越しにお雛様を撮影。
フェンスにも飾られている。
村をあげての歓迎。
土手には、竹で書かれた「花折街道」の文字。
田圃の中にもお雛様。
幟も立てられている。
一般のお宅の出窓にもお雛様が。
里山を背景に。
石に書かれたお雛様。子どもたちの作品だろう。
吉川八幡神社への分岐点で一旦、花折街道からはずれる。
道ははずれたが、ここにもお雛様が。
棚田越しに里山と吉川の集落を望む。
すぐに「吉川八幡神社」。
石段を登ったところには「吉川八幡の常夜灯」が並ぶ。
覆い屋の中に本殿が鎮座する。今日一日の無事を祈願する。
本殿から右へと進むと境内の東端から山道が続く。吉川城址、高代寺への道だ。
すぐに吉川城址、高代寺への分岐点が現れるが、そのまままっすぐ進む。
途中「台場クヌギ」が並ぶ。
左には祠が。石仏のよだれ掛けには「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」とご真言が書かれていたので「薬師如来様」だろう。
水路というより「側溝」に沿って進む。
竹藪を通り抜けたところで、右からの「花折街道」と合流する。
そこには、能勢妙見まで「22丁(1丁は約110m)」を示す「丁石」が立つ。これらは、妙見山を目指す「妙見講」の人たちの寄進により立てられたものだ。丁石の横にもお雛様が。
すぐ目の前は、国道477号線。押しボタン式信号を渡ったところの民家にもお雛様が飾られている。
その民家裏手の土手を上ると妙見山への「常夜灯跡」が残る。
常夜灯後ろの池に沿って進むと「旧妙見参道の鳥居」が立つ。以前、訪れた時は、鳥居前の橋は朽ち、藪と雑草で覆われ中には入れなかったが、今はきれいに整備されている。横には豊能町教育委員会の古い「案内板」が立っていたので、整備されたというより、今まで放ったらかしにされていたのだろう。なお、この池は「上杉池」と呼ばれ正徳2(1712)年の造立だとか。
元の道まで戻り、常夜灯の下を進む。国道477号線に沿って歩道が設けられており、すぐに「兵庫県」との境に。これより兵庫県川西市黒川を歩く。
府県境を越えてすぐ右にも石鳥居が。右の足下には「御山まで21丁」を示す丁石が。
鳥居をくぐればさらに奥にも鳥居が。左横には「法界石塔」が立つ。鳥居は閉鎖されており、ここから先は進めないが、この道も旧参道なのだろう。
また、元の道に戻る。すぐに「妙見ケーブル黒川駅」と「一庫公園」への分岐に出る。「一庫公園」方向に進むのだが、とりあえず「妙見ケーブル黒川駅」方向に入ってみる。
「黒川駅」の駅舎も「妙見口駅」同様、町屋風に改修されていた。
待合室もギャラリー風に改修されている。駅の裏にはトイレがあり、構外なので誰でも使用できる。駅前には、小さな商店と自販機がある。
先ほどの分岐まで戻る。そこには黒川周辺の案内図が立てられていた。
国道477号線と別れ、分岐を「一庫公園」方向に左折する。この道は「北摂里山街道」と名付けられているようだ。
先ほどの「黒川駅」裏から「能勢妙見」へ続く「新滝道」の途中に「白瀧稲荷神社」という神社があるが、このあたりの水田が白瀧稲荷神社の「御供米田」であったことを示す石碑が立つ。
道に沿って坂を下っていくと道しるべが。「徳林寺」へは帰路に立ち寄るので「ダリヤ園」方向へと進む。
ただ、向こうに立派な石灯籠が見えたので行ってみた。
元の道に戻る。少し歩くと左手に「無人野菜売場」が。その横に「炭焼窯」の案内板があったのでそちらへ進む。
すぐに右手へ入る道があるが、それは無視して坂道を上っていく。数件の民家を越えたところで「炭焼窯」の案内板。
ここは、個人やNPO団体の炭焼窯ではなく、フォークリフトやベルトコンベヤーなどを使って大々的に炭を焼いているようだ。
広場にはたくさんの原木が積み上げられていた。
何人かの人が作業をしていたので、個人の工場のようで若干入りにくかったが、奥では炭も売られており、自由に出入りできるようだ。
来た道を戻りさらに坂道を下る。数分で左手に「黒川公民館前」のバス停と「高代寺山」への登山口が見えてくるので、その真向かいにある小道に入る。すぐに小さなグランドがあり、満開にはまだ早いが桜並木があるので並木に沿って進む。
「川西市立黒川小学校」。明治37年建築の古い小学校だ。
現在は、休校(廃校ではないらしい)となっており、公民館として使用されている。
ガラス窓越しに校舎内を望む。
中庭を挟んで古い校舎が続く。
今は使われていないトイレ(というより便所)。奥の3つが「個室」なのだろう。なお、公民館内には使用可能なトイレがある。
黒川小学校を出ると「桜の森」への案内板があるので、そちらに進む。
途中、ここにも台場クヌギが。台場クヌギとは、説明板にあるとおり、炭の原料となる材木を採るため、木の再生力を利用するとともに鹿などの食害から守るため、根から数メートル上で枝を伐採したクヌギのこと。
途中、いくつかの案内板が立つ。徳林寺は、後ほど訪れるので、徳林寺とは反対の方向へ歩く。途中、1カ所、コンクリート舗装の上り坂を行くのか地道を行くのかややこしい案内板があるが、地道の方を進むこと。
お地蔵さんの脇を進む。
しばらく歩くと左手に山桜が咲く山が見えてくる。この桜が、野生種の「エドヒガン」で、ここが「桜の森」だ。
途中、2カ所ほどフェンスで道が塞がれるが、これは立入禁止ではなく、猪などの獣が侵入するのを防ぐためで、説明板のとおり、きちんと施錠をして中に入ればよい。
2~3分で「桜の森」に着く。
ここは、炭焼きなども行われているようだ。
場内には案内板も完備されている。
「ソメイヨシノ」のような華麗さはないが、一生懸命、花を咲かせる「エドヒガン」。
案内板に従って「桜の森」を進む。山の斜面なので結構起伏はあるが、道は整備されている。
下界は満開のようであるが、標高の高いこの辺りは、満開までには2~3日早い。
今は使われていない炭焼窯跡。ここは、炭の集積地から「池田窯」と呼ばれていた。「池田炭」は、この辺りで焼かれていたのか。
「桜の森」を一巡して最初の入口まで出る。そこには「国道477号線」への案内板があるので、そちらに進む。
上り坂を3~4分歩くと国道に出る。
きれいに整備された国道沿いを歩く。
5分ほどで左前方に寺が見えてくるが、このお寺が「徳林寺」だ。しかし、まだお寺には行かない。徳林寺の手前に右へ入る小さな道が見える。
これは、旧国道477号線だ。旧道の兵庫県川西市黒川から大阪府豊能郡能勢町野間までの区間は、ご覧のようにセンターラインや路側帯もない狭い道で、側溝もなかったので、冬は湧き水が路面を流れ凍結するなどの難路だった。
そこでバイパスが開かれたが、地元の人の間では、この辺りは数十年に一度崖崩れがある所と忠告されていた。しかし、工事は進められ平成18年、バイパスが開通。そして、平成22年の集中豪雨で崖崩れが発生し、バイパスは全面通行止めとなった。迂回した旧道は、徳林寺の前で新道と合流する。現在は、完全復旧しているが、地元の人たちは「言わんこっちゃない。」とつぶやいたとか。
目の前に「曹洞宗徳林寺」が現れる。ここには、古い「宝篋印塔」があるという。
本堂。
本堂の前には「川西市指定文化財」の石碑があるが、宝篋印塔は、どこにあるのだろうか。
「菩提樹」や「癒しの観音」はあるのだが、肝心の宝篋印塔がない。案内標示もない。
この子に聞いてみようと思うが、熟睡していて起きない。ちょっと君、番犬になってないよ!
5分ほど探してやっと発見。本堂に向かって左に進むとすぐに分譲霊園があるので、霊園事務所の前を右に入ると、小さく「宝篋印塔」と書かれた表示が。しかし、どこにあるのかよくわからない。目をこらすと、一般のお墓の中にひっそりと佇んでいた。何の表示もないが、石の古さからして、これがその「宝篋印塔」だろう。
徳林寺を出て、さらに国道477号線を進む。しばらく行くと左に炭焼窯跡が。後ろには台場クヌギがならぶ。
長い間、「歩紀」をしていると、下調べの段階で、地図を見ればだいたい何時にどこを通過するか、体感的にわかるようになった。以前、国道477号線を車で走っている時にちょっと気になっていた「うどん屋」がある。おそらく正午ころに到着すると踏んでいたところ、午前11時55分に到着した。
軽く食事をする。「きつねうどん」400円也り。
食事を終え、さらに国道に沿って進む。木によっては満開の桜も。
すぐに朝通った一庫公園への分岐点に出るが、その手前に左に入る道がある。そこには茅葺きの立派なお屋敷が。
水口家住宅。明治5年の建築で、今は酒屋さんをしているようだ。
大門越しに庭を窺うと、鹿の骨が。
朝越えた府県境を今度は、兵庫県から大阪府へ。
往路は、吉川八幡神社に参拝の後、迂回したので、丁石横の山道から来たが、復路は左の「花折街道」を進む。
ここも「お雛様」が迎えてくれる。
田んぼの中には、田の土で作られた「土雛」が。
水路の水をせき止めるために使われている石も「道標」のようだ。
朝通った「たまや」というギャラリーも観光客で賑わっていた。
ここは、かつて妙見詣りの参拝客を相手にした宿だったのだろう。その旧家を現在のオーナーが買い取り、手作り蜂蜜の販売やちょっとしたお土産を置いている。
往路では、ちょっと時間が早かったので、まだ開いていなかったが、個人宅の玄関にも立派な段飾りが。
ガラス戸越しだが、吉川自治会館前の元酒屋さんの建物の中にも2つの段飾りが並んでいた。ゴールも近い。
午後1時35分、朝出発した「妙見口駅」に到着。本日の歩紀「14690歩」(12.63km)。