「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

80年代の韓国歩紀~「大韓航空機」でいざ出発

2024-04-15 06:56:40 | 日記
 私は以前「放送大学キャンパスライフ」で韓国語を勉強したという話をしました。時期的には80年代半ばの2年間です。その頃、韓国語修行と観光を兼ねて1週間「韓国ひとり旅」をしました。行程はソウル4日間、釜山3日間です。当時の写真を数枚ずつアップしながら「歩紀」の合間につぶやいていきたいと思います。

 かつての日本が第1回東京オリンピック(昭和39年)を境に高度成長していったように、韓国も昭和63(1988)年に開催された「88(パルパル)オリンピック」と呼ばれる「ソウルオリンピック」を契機に飛躍的に発展しました。つまり40年以上前の韓国というよりもオリンピック前の韓国という観点でご覧になっていたただければ見方も違ってくると思います。

 なお写真は当時私が撮影したものを画像取り込みしました。また文中の情勢は当時のものであり、私見がほとんどですので勘違いや間違いがあるかも知れません。また4回の渡航歴の記憶がごちゃ混ぜになっているかも知れません。ご容赦ください。そして気楽にご覧ください。

 韓流ブームはもちろんオリンピックもワールドカップもなく、韓国旅行といえばいわゆる「妓生(キーセン)旅行」と呼ばれる怪しげなツアーしかなかった時代。ビザ申請(当時は査免国ではありませんでした)から航空券の手配、入国審査に必要だったので入国初日の宿泊先予約など渡航手続きはすべて自分でしました。

 当時韓国に航空会社は「大韓航空」1社しかありませんでした。「KOREAN AIR LINES」通称「KAL」721便で韓国の金浦(キムポ)国際空港に向け大阪国際空港を定刻出発です。なお当時の面影はもうありませんが一応「肖像」ですので画像処理させていただきました。


 半官半民のような会社で「都市伝説」風に韓国のパイロットは大韓航空に就職する前、空軍パイロットとして兵役に服さなければならないのでやたら腕が良く、少々の悪天候や不整備の滑走路でも離着陸すると言われていました。

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