「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

神戸9区を歩く~日本に3つしかない所を目指して「灘区」

2022-03-27 23:07:04 | 日記
訪問日:令和4年3月27日(日)
出 発:阪急電車「六甲駅」
到 着:JR「灘駅」

 「日本三景」「日本三名城」や「日本三大○○」などと呼ばれるものは、日本に数多くあるもののうち「ベスト3」のことだが、ここ「灘区」は日本には3つしかない町の1つである。そんな町をレトロな建造物や賑やかな商店街などを訪ねながら、山手から海へ向かい、最後は「西国街道」に沿って歩く。


 今日のスタートは阪急電車「六甲駅」。大阪梅田駅から約30分(320円)。何か神戸らしい駅名だな。駅の表玄関は北口になるが、今日は駅裏側の南口というよりも南側の出入口から出発する。目の前は鬱蒼とした森。この森は「六甲八幡神社」の鎮守の森だ。そして駅と神社の間には「六甲駅の御神木」。かつては駅構内も神社の境内だったのだろうか。午前8時55分スタート。


 駅を右に見ながら80mほど進み、1つ目の角を左に曲がる。250mほど何でもない路地を歩く。


 突き当たりを左に曲がれば六甲八幡神社前に出る。社号標には「摂津國八幡社」と刻まれている。(午前9時)


 一礼して鳥居をくぐり参道を進む。


 150mほどで石段を上れば本殿。


 両脇に「紀元2600年記念の石灯篭」が建つ。紀元2600年ということは昭和15年に建てられたのか。


 由緒の詳細は不明であるが、後一条天皇時代の万寿3(1026)年には、八幡大神が祀られ崇敬を集めていたといわれる。今日一日の安全を祈願しよう。1000年前のものが当たり前のように町にとけ込んでいる。日本ってすごい国だな。これは「遺跡」じゃなく「日常」だぞ。


 本殿の右奥には「厄神宮本殿」。その右から神社東側の道路に出ることができる。


道路に出れば左に曲がり、前方に見えるエスカレーター式の陸橋に上がる。


 陸橋で先ほど乗ってきた阪急神戸本線を越えれば、右に煉瓦造りの古い建物が。阪急電車の「六甲変電所」。大正9年の開業時に建てられたそうだ。


 陸橋を下りれば六甲駅北口。ロータリーやターミナルはないが、バス乗り場やタクシー乗り場がある。ここから、まず「神戸大学」を目指す。目指すといっても入学するんじゃないよ。(午前9時11分)


 正面の広い道を進み、高級スーパー「ikari」の前を通り過ぎて、その先の池田泉州銀行の右(一方通行出口)を山に向かって進む。


 さらに進んでいけば「六甲登山口交差点」という変則の五叉路に出るので、真っ直ぐ山方向へ進む。六甲山への登山口のようだが、こんなに町中だ。


 この道は「表六甲ドライブウェイ」でもあるようだ。右には「カトリック六甲教会」。


 信号を2つ越え、「六甲住宅」という銘板が埋め込まれた三叉路に出れば右へ曲がる。


 坂道を上って行くと左に「神戸大学正門」が現れる。(午前9時37分)


 立派な門柱が立つが鉄扉はない。ここ「神戸大学六甲台第一キャンパス」は一般に開放されており、近所の方の散歩コースにもなっているらしい。


 正面の階段を上って行こう。そして階段の上から振り返れば、今日歩く「灘区」が一望できる。「海が見えるぞ」


 階段の右には何やら金色に輝くオブジェが。これは阪神淡路大震災の「鎮魂碑」である。神戸大学では職員の方2名と留学生7名を含む39名の学生が震災の犠牲になった。


 先ほどから目に入っているのだが、正面には大きなレトロ建造物が。




 「神戸大学本部」。国の登録有形文化財に登録されている。何か大阪城公園内の「旧陸軍第四師団司令部庁舎」のようだな。


 開いていれば内部も見学することができる。ただし講義や業務の妨げにならないように。




 その左側にもレトロな建物が。「出光佐三記念六甲台講堂」。海賊と呼ばれた男「出光佐三」は、明治35年に設置された神戸大学の前身である「旧制神戸高等商業学校」で学んだそうだ。


 この建物も国の登録有形文化財に登録されている。


 出光佐三記念六甲台講堂左の坂道を上り、道なりにキャンパスを進んで行けば、ここにもレトロな建物が建つ。


 「兼松記念館」と呼ばれ、経済経営研究所が入る。


 これも国の登録有形文化財に登録されている。すごいな。


 兼松記念館の左に建つ「社会科学系図書館」。以前は人文社会系図書館と呼ばれていたのかな。この建物も国の登録有形文化財に登録されている。図書館を過ぎて右に曲がろう。


 正面の学舎は通り抜けできるようになっている。


 学舎を抜ければ正面にはネットで囲まれたグランド。グランドを右に見ながら山に向かって進んで行く。


 グランドが終われば修理工場のような「自動車部」のプレハブ。


 そして自動車部の向こうには何やら木造の古い建物が。


 「艱貞堂(かんていどう)」という武道場だ。これも国の登録有形文化財に登録されている。このキャンパスには5つの登録有形文化財があるんだな。これらの建造物は昭和初期に築造されたそうだ。さあ、神戸大学を後にしよう。


 艱貞堂横の自転車置き場から大学構外に出られるので左へ。すぐにコインパーキングのある三叉路があるので、横断歩道を渡って右に曲がろう。最後に大きく「逆S」字にカーブすると、神戸大学に来るまで歩いてきた「六甲登山口」からの道に出るので左に曲がる。


 さっき曲がった「六甲住宅」の三叉路を過ぎ、次の信号を右に曲がって「勝岡橋」で六甲川を渡れば右には「神戸松蔭女子学院大学」。歴史は明治25年までさかのぼるが、昭和41年に開学したキリスト教系の女子大だ。(午前9時55分)


 若い人はご存じないと思うが、昔「サインはV」というスポ根ドラマがあり、「立木大和」という女子バレーボールチームのキャプテン役をしていた「岸ユキ」さんは、ここの短大(平成23年廃部)出身らしい。私は岸さんが話す上品な関西弁が大好きだった。「芦屋市出身!やっぱり」


 大学キャンパスを過ぎて突き当たりを左に曲がる。坂道を下っていくと右に神社が。裏からのお参りになるが「厳島神社」に参拝。(午前10時)


 境内の桜もそこそこ見頃だな。


 鳥居を出れば正面に臨済宗妙心寺派「祥龍寺」。こちらの門は閉ざされている。


 正面の四辻を右に曲がり、次の三叉路を右折すれば祥龍寺境内へ続くスロープがある。(午前10時6分)


 境内には枯山水の庭園があり、東屋も組まれている。645年ころの開基と伝えられ、廃寺・再興を重ね、現在に至っている。645年と言えば「大化の改新」だな。1400年近い昔のことだぞ。


 先ほどの三叉路に戻って右折。2つ目の「X」字型をした四つ角を渡れば左に何やら小さな石碑が埋まっている。


 「篠原北町の道標」と言うらしい。「右 まやさん」「左 布引…」と刻まれているそうだ。


 道標を左に見ながら真っ直ぐ進み、次の角を左に曲がれば神戸の町歩紀ではお馴染みの「山麓線」という道に出るので右折しよう。次の信号を渡れば右手には「護国神社」。護国神社は各都道府県に1社ずつあるそうだが、兵庫県には姫路市にも護国神社があり、ここは「兵庫県神戸護国神社」と呼ばれている。(午前10時15分)


 靖国神社同様、戦没者を祀る。


 ここには兵庫県東部出身の英霊5万3000余柱が神として祀られている。


 境内から西側の路地に出て坂道を上り、四つ角を過ぎてセンターラインに沿って行けば坂道の真ん中に桜の木が。


 とても急な坂道だ。


 先で坂は二手に分かれるので左へ。長峰中学校の前を通る。ここの生徒さんたちは毎日あの過酷な坂を上って通っているんだな。まさに「登校」だな。


 「長峰坂」と呼ばれているらしい。


 坂を上りきれば「長峰山霊苑」の入口。中に入っていこう。


 駐車場を通り過ぎれば、奥の谷間越しに「杣谷(そまたに)堰堤」。昭和31年に造られた堤長78m、高さ16mの重力式コンクリート造りの砂防ダムで、国の登録有形文化財に登録されている。(午前10時34分)


 霊苑入口まで戻る。右に曲がり橋を渡るが、すぐ右には石造りの砂防ダム。これも歴史を感じさせるダムだな。


 そして橋を渡った右側は「カスケードバレー」と呼ばれる六甲山への登山口になっている。ハイカー達が冷水でタオルを濡らし休憩をしていた。私は「山歩紀」ではないので左に折れ、坂を真っ直ぐ下って行く。


 少し歩けば右に「灘丸山公園」。特に施設や史跡があるわけではないが、景色が素晴らしい。(午前10時41分)


 多くの家族連れで賑わっていたが、花見にはちょっと早いようだ。


 公園東端の複雑な四つ辻の一方通行出口から美野丘小学校方向に入り、校庭を渡る歩道橋をくぐって次の四つ角を右に曲がる。


 この道は「神戸市桜坂高尾通り」というそうだ。




 その先の右に「摩耶ケーブル駅」。途中、ロープウェイに乗り換え「摩耶山上」まで20分間隔で運行されている。(午前10時55分)


 ケーブル駅の先を左に曲がる。すぐ小さな路地があるので右に曲がり、「五鬼城展望公園」「上野道」の案内表示を無視して真っ直ぐ進もう。


 クランク状に進めば正面に校舎が見えてくるので、小さな川を渡って右に曲がり校舎に沿って歩く。


 校舎をぐるっと回れば正門に。ここは「県立神戸高校」。明治29年創立の古い高校で進学率も県下トップクラスだそうだ。(午前11時3分)


 昭和13年竣功の校舎は、まるで西洋の古城のようだ。


 そして神戸高校の前にも石垣に囲まれた大きな木造建造物がある。


 「天理教兵庫教務支庁」と言うらしいが、一般に公開はされていないので部外者が入れるところまで入り、外観だけを撮影する。


 神戸高校と天理教の間を下って行けば、神戸高校の同窓会館が建つ「神戸高校前交差点」に出るので右に曲がる。


 山麓線を西に歩いて行けば左に「松蔭中・高校」の校舎が見えてくる。校舎を過ぎた角の信号から先は「中央区」になるので左に曲がろう。(午前11時17分)


 学校の敷地に沿って歩く。


 次の四つ辻を過ぎれば「神戸海星女子学院」。昭和26年創立の小学校から大学までを有するローマカトリック系の女学院で、正門の奥には「聖堂」が建つ。


 神戸海星女子学院を過ぎれば、信号を渡って「王子公園」の西側に続くので公園に沿って歩く。道路の右側は中央区だ。


 公園を過ぎた交差点の角に煉瓦造りの建物が現れる。(午前11時25分)


 この建物は「神戸文学館」といい、明治37年、関西学院のチャペルとして建てられたそうだ。空襲で大破・焼失したものの修復され、阪神淡路大震災も乗り越え、国の登録有形文化財に登録されている。


 休館日の水曜日を除き、無料で一般に公開されているので中に入ってみよう。


 神戸にゆかりのある作家たちの資料などが展示されている。


 見学を終え、南側の道路を東に進む。2~3分で左に「神戸市立王子動物園」の入口。(午前11時35分)


 そして入口上にはパンダの看板。国内で「ジャイアントパンダ」を飼育しているのは、東京の上野動物園と和歌山県の南紀白浜アドベンチャーワールド、そしてここ王子動物園の3ヶ所だけ。そう、ここが日本で3つしかない場所なのだ。ただ、1頭しかいないメスのパンダ「旦旦(タンタン)」は、体調不良のため3月14日から観覧が中止されているそうだ。「残念!」


 しかし、園内には「旧ハンター邸」という洋館もあるので入園しようと思ったが、何とこの行列。入園は断念した。


 右には「王子スタジアム」。現在、公園は再整備計画中らしい。


 「王子競技場前交差点」で阪急電車をくぐれば阪急電車「王子公園駅」。


 200mほど進む。時間は午前11時48分。昼食にしよう。


 今日の昼食は「レストランTON COPAIN(トン コパン)」。小さな洋食店だ。


 しかし、店の前は行列。王子動物園を見学しなかった分、時間が余ったので「並ぶぞ」。


 行列とオーダーして料理が出てくるまで待つこと50分。「洋食ランチ」(950円)にありつく。久しぶりの洋食だな。海鮮ばかり食ってたからな。


 食事を終え午後0時55分出発。左に見える信号を左折し、次の角を右に曲がる。ここはアーケードはないが「水道筋6丁目商店街」という灘区でも有名な商店街だ。


 そしてアーケードが現れれば「水道筋商店街エルナード」。


 450mほどの長い商店街だ。


 中ほどから左に「灘センター商店街」が分岐する。曲がってみよう。


 アーケードを抜けると右に曲がる。100mほどで次のアーケードが見えてくる。


 右に曲がる。ここは「灘中央筋商店街」。


 アーケードの途中から右に「灘中央市場」という市場が現れる。


 ここは「昭和時代」だ。


 お店の前にはコイン式の子ども用遊具。「昭和」に間違いない。


 市場を抜ければ先ほどの「水道筋商店街エルナード」に出るので、左に曲がりアーケードを進む。


 アーケードを抜けて左に曲がれば「畑原市場」。


 何となく「DEEP」だな。


 途中から「畑原東商店街」となるようだ。


 こちらも「DEEP」だな。


 商店街を抜けて突き当たり、右のお地蔵様の向こうにある角を左に曲がろう。


 6~70mほどで横断歩道を渡れば「都賀川」。神戸には中流も下流もない、こんな川が多い。(午後1時16分)


 川沿いには「都賀川の桜」と言われる桜並木。結構、咲いているな。


 橋を渡って左に曲がり、都賀川の左岸を歩く。


 阪急電車に突き当たれば右へ。


 線路沿いに歩き、次の踏切で阪急電車を渡る。道は上りのカーブになり、次の信号の手前に左に入る道があるので入って行こう。


 100mほどで右に「神戸篠原郵便局」。良い感じの郵便局だな。(午後1時27分)


 裏を覗けば「あ、偽洋館になっているのか」。 


 元に戻り、次の四つ角を左折。信号を渡って坂道を下り、阪急電車の踏切を渡って2つ目の四つ角を左に曲がれば墓地前に出る。


 道沿いに「震災慰霊碑」。この地区では158名の方が犠牲になっている。


 真っ直ぐ進めば六甲小学校に突き当たるので右に曲がり、お地蔵様や神社の間を進んでく。


 その先は、これも神戸の町歩紀ではお馴染みの「山手幹線」という大きな通りに出るので左に曲がる。途中、右に「六甲宮前商店街」と掲げられた鳥居様のゲートが見えるが、ここは午前中にお参りした「六甲八幡神社」の参道なのだ。


 さらに進み、右に「COOP」が見えれば「六甲本通商店街」のアーケード。(午後1時41分)


 短いが賑やかな商店街だな。


 アーケードを抜け、信号を渡ればJR「六甲道駅」。ガードをくぐって左の階段を上り駅の南口へ向かう。


 南口の出入口脇には銀色のモニュメント。六甲道駅は震災で全壊したそうだ。復興後、全線開通を記念して平成8年4月に建てられた。


 駅前には多くの商業ビルや高層マンションが建つ。ビルの谷間には「六甲道南公園」。


 公園を抜ければ左に「灘区役所」が建つ。灘区は、人口約13万3千人で9区中7位。しかし、東灘区に次いで933名の方が震災で亡くなっている。(午後1時54分)


 区役所東側の交差点を左に曲がり、四つ辻を過ぎて次の三叉路を右に入れば「灘温泉六甲道店」。


 このお風呂屋さんもレトロだな。


 灘温泉を左に見ながら真っ直ぐ進み、小さな川を越えれば左に曲がる。すぐ左に「成徳小学校」という小学校が見える。川沿いに進みグランド通用口前の橋を渡って元の方向に戻れば、親水公園前のグランド角に「震災慰霊銘板」。ここの児童6人も震災の犠牲になったそうだ。(午後2時3分)


 そしてこの学校は、直木賞作家であり、元国会議員、歌手、タレント、落語家など多くの肩書きを持つ「野坂昭如」氏(故人)の母校でもある。


 学校の向かいは「大和公園」。小学校北東角の交差点からテニスコートと野球場の間を東に進んでいく。


 500mちょっと歩けば「石屋川」という天井川に突き当たるので堤防に上り、川沿いの遊歩道を右に曲がる。そう「東灘区」編で歩いた区境の公園だ。川の向こうは東灘区である。


 川の向こうには前回訪れた「御影公会堂」が見えるが、信号を渡ってさらに公園を進む。野坂昭如氏が書いた「火垂るの墓」の映画には、御影公会堂らしき建物が描かれていたな。


 園内には「火垂るの墓記念碑」。(午後2時20分)


 野坂昭如氏は少年期をここで過ごし、ご本人も述べているとおり実体験ではないが、神戸空襲と疎開先で義妹を亡くした経験から小説「火垂るの墓」を執筆。それを記念して園内に「火垂るの墓記念碑」が建てられている。


 公園の南側の道は「西国街道」だ。右に曲がり街道を行く。やはりここもあまり街道の面影はないな。


 左に阪神電車「新在家駅」を見ながら、どんどん西に歩く。

 
 駅を過ぎ「烏帽子公園」という公園が見えれば、手前の角に「西国街道の碑石」が建つ。(午後2時34分)


 烏帽子公園を過ぎて2つ目の四つ辻を左に曲がり、阪神電車のガードをくぐれば国道43号線に突き当たる。ダイハツの前に歩道橋があるので国道を渡る。


 歩道橋を渡って右の階段から下り、次の辻を左に入ったところの四つ辻が、前回も歩いた「西国浜街道」だ。右に曲がる。


 この石灯籠は昔からあるのだろうか。


 浄土真宗本願寺派「妙善寺」の前を通る。こういうのがあれば、街道の風情を感じられるな。


 中をのぞけば、何かあるな。


 「妙善寺の蘇鉄」と言うらしい。近くに住む造園家が大正13年に移植、推定樹齢170年。高さは4mを越えるそうだ。


 桜もきれいだった。


 さらに西国浜街道を進む。


 灘保育所を過ぎれば都賀川に突き当たるので、手前を左に曲がり前方に見える橋に向かって歩く。


 最も下流の「昌平橋」を渡って左へ。信号を越えて左に曲がれば「灘浜緑地」という公園の前に出るので入って行こう。


 「海に着いたぞ!」(午後3時)


 そして先ほど見えていた橋の足元には「防潮堤と灘浜灯台」。


 案内板によると、かつてここは「御影石」や「灘の生一本」などを積み出す天然の良港だったが、都賀川の改修工事により消失。その後、別の工事で当時の防潮堤が発見されたことから、復元・保存されているそうだ。


 都賀川沿いの道に戻り、「昌平橋」詰を左に曲がれば右に「住吉神社」。


 住吉神社前には「沢の鶴資料館」があるが、以前「呑み歩紀2~灘五郷」で立ち寄ったので、そちらのページをご参照ください。


都賀川に戻って山に向かって歩いて行くと、国道43号線(阪神高速神戸線)の手前にある会社の玄関先に「西郷町道路元標」がひっそりと立つ。(午後3時13分)


 先にある階段手前を左へ。アンダーパスもあるようだが、とりあえず「味泥(みどろ)交差点」まで国道に沿って歩く。


 味泥交差点の歩道橋で国道を渡り左へ。「スシロー」の裏にこんもりとした森が見える。


 ここは「求女塚西公園」。以前「呑み歩紀2~灘五郷」でも訪れている。(午後3時21分)


 「西求女塚(にしもとめづか)古墳」という3世紀後半に築造された全長約95mの前方後方墳を中心に整備され、国の史跡に指定されている。


 被葬者などは不詳であるが、「東灘区」編で訪れた「処女塚古墳」「東求女塚古墳」とともに「菟原処女(うないおとめ)伝説」の舞台となっている。


 伝説はさておいて、海岸線に沿ってほぼ等間隔で一直線に、これほどの巨大古墳が3つ並んでいたと言うことは、この辺りはかなり強大な勢力を持った豪族により治められていたんだろうな。


 さあ、もう少しだ。国道43号線と国道2号線が合流する「岩屋交差点」を歩道橋で渡り西へと進む。西国街道・西国浜街道に比定されているがただの国道だ。


 そして10分ほどで右に「敏馬神社」。「みぬめ」と読む。丘の斜面に建つ。(午後3時36分)


 石段の手前左には「閼伽井」。ただ、井戸の水は震災で涸れてしまったそうだ。


 かつて神社の前は美しい浜で万葉集にも詠われ、柿本人麻呂の歌碑なども建つ。


 本当に目の前まで海だったんだな。


 石段を上り本殿へ向かう。創建は神功皇后の三韓征伐までさかのぼるそうだ。神戸には神功皇后にまつわる神社が多いな。「素戔嗚尊」を主祭神とする。


 最後に境内社の「松尾神社」にお参りしておこう。酒造業者や酒廻船業者らの信仰を集めたお酒の神様だからな。神様に酒を献上し、その酒にも神が宿る。日本はたくさんの神様がいて良いなあ。


 さあ、今日最後の参拝を終え境内を後にする。神社のすぐ北側には、阪神電車「岩屋駅」。阪神電車は、ここから西は地下に入るので線路は見えない。


 ただ、今日はJRで帰るので岩屋駅西側の通りを北に進む。


 正面の突き当たりには、今日のゴールであるJR「灘駅」。本日の歩紀「31445歩」(21.38km)。時間は午後3時55分。大阪駅まで約30分(410円)。やっぱり神戸市東部は大阪に近いな。歩く前「灘区には何があるのかな」と思っていたが、なかなかどうして、見所の多い素晴らしい町だった。そしてやはり震災の傷跡が残る被災地でもあった。「合掌」


追:「旦旦」早く元気になってね。
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