訪問日:平成26年9月7日(日)
出 発:JR「西九条駅」
到 着:JR「西九条駅」
「此花(このはな)区」。大正14年、「西区」「北区」の分割・再編により誕生。人口約6万5千人。うち15人が漁業従事者。南北を淀川と安治川にはさまれ、西には大阪湾が広がる。高度成長期、町は海へ海へと伸び、沖合には「舞洲」「夢洲」という人工島が浮かぶ東西に長い区となった。区名は、百済から渡来した「和仁」が詠んだ「難波津の歌」
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は 春べと 咲くやこの花
から命名されたという。
埋立地は、火力発電所など近代大阪を支えた重工業地帯として発展し、特に区の大部分を「住友」と「大阪ガス」が占める。しかし、高度成長期は遠い昔となり、その跡地の一部には、平成13年、テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」が開園。また、人工島「舞洲」には、多くのスポーツ施設やオートキャンプ場などを備えた広大な「舞洲スポーツアイランド」がオープンした。
JR大阪環状線「西九条駅」を午前10時15分、出発。すぐ北側には、阪神電車「西九条駅」もある。
駅前から「西九条交差点」まで出て左折。スポーツセンターなどがある「朝日橋公園」に出る。
「朝日橋公園」と「市立咲くやこの花中・高校」の間を右に折れる。
「六軒家川」に突き当たる。1.5kmほどで「安治川」と交わる短い水路だ。「六軒家橋」という人道橋で六軒家川を渡る。
「梅香2丁目」の町を進む。
左に「住吉神社」。
やはり海に近いので「住吉さん」が鎮座するのだろう。今日一日の安全を祈願する。
神社のすぐ前には「グッディー此花」という商店街。
「北港通」を挟んで「四貫島中央通商店街」へと続く240mほどのアーケード街を進んで行く。
シャッターが下りているが、古そうな店だ。
商店街を抜け階段を登ると「森巣(もりす)橋」。
「橋」なのだが「川」はない。
実は、かつてここには「正蓮寺川」という川が流れていたのだ(運河なので流れはなかったかも?)。此花区の大部分は、「正蓮寺川」と「六軒家川」「安治川」に囲まれた「島」だったのだが、平成25年、「北港大橋」までの「正蓮寺川」は埋め立てられ陸続きになった。
「森巣橋」を渡ってすぐ右に「鴉之宮(からすのみや)」。
ここら辺りは「伝法(でんぽう)」という町だ。「伝法」とは「法を授ける」という仏教用語らしく、近くにあった「伝法山西念寺」という寺院の名が、地名の由来と言われる。「伝法川」という川が流れていたようだ。
かつてこの地に天照大神らを祀る「傳母須(もりす)神社」という社があり、後に豊臣秀吉が日本海に向け出航する際、「八咫烏(やたがらす)」が現れたことから「鴉之宮」と改められたと伝わる。
「鴉之宮」からさらに北へ歩き、辻を左に曲がれば「旧鴻池本店・旧本宅」が並ぶ。ゼネコン「鴻池組」の前身である。
旧本宅は、町家風のお屋敷で「豪商」という雰囲気が出ている。
旧本店は、明治43年築のモダンな洋館だ。
「旧鴻池本店・旧本宅」の北側の道路を挟んで「澪標住吉神社」。延暦23(804)年、遣唐使の航海安全を祈願して建立されたという。
鳥居の横と手洗舎の横には、港の目印である「澪標(みおつくし)」が建てられている。この「澪標」が、大阪市章となっている。
そのため大阪市バスをはじめ、大阪市の関連施設などには、このマークが多く使われている。
社殿の前には、宝暦13(1763)年の刻字がある石灯籠が。
神社前の道をさらに西へ進む。阪神電車「伝法駅」を過ぎる。
国道43号線をくぐり古い町中へと入っていく。
町家や寺院が並ぶ。
さらに進めば地名の由来となった「伝法山西念寺」。現在は浄土宗の小さな寺院であるが、大化元(645)年、天竺の法道上人という高僧が草庵を結んで仏教を広めたと伝わる古刹だ。
この道は「尼崎本街道」という街道だったようだ。「備前橋」という橋も架かっていたのだろうか。
この居酒屋の手前を右に入る。
左に「庚申堂」。奥には淀川の堤防がそびえる。
旧家の前を通って元の道に戻る。
さらに西に進めば、左に小さな船溜まりが現れる。
「伝法入舟」と呼ばれマンションに囲まれている。
「大阪市漁業協同組合」という建物もある。
すぐ南側の市営住宅から全貌を望む。見た目は完全な「漁港」であるが、法律上の正規の漁港ではないらしい。奥には「淀川」が流れる(野里町歩紀~摂河泉をゆく~「コラム『だんじり』『大阪の漁港』」参照)。
「酉島2丁目」の町を抜ける。
「伝法入舟」からの狭い水路。
「伝法水門」で「淀川」に出る。
しばらく「淀川」の堤防を歩く。遠くに見えるのは「阪神高速道路湾岸線神崎川橋」。この対岸は「西淀川区」。対岸に見える緑地は、先日歩いた「西淀川区」の「矢倉緑地」である(「西淀川区」編参照)。
おそらく、この辺りも海面下だろう。「淀川スーパー堤防」に守られている。
堤防の下に何やら碑が。常吉新田の開発者「常吉庄左衛門」の墓。安政元(1854)年の津波犠牲者とともに祀られている(碑文は「安政3年」となっている)。
再度「スーパー堤防」上に上がる。左には「大阪ガス」。かつてこの辺りには、巨大な「ガスタンク」があった。
遠くに見えていた「阪神高速湾岸線神崎川橋」をくぐる。
しばらく堤防を進むと………。ここが「淀川」と「大阪湾」の境目のようだ。
そして突き当たりには「常吉臨海緑地」。
その先端には「大阪北港ヨットハーバー」がある。
クラブハウスは「海の駅」になっており休憩所がある。
「常吉大橋」という橋で「舞洲」に渡る。左には、まるでお伽の国のお城のような建物が。
実は、下水処理で生じた汚泥を再生して埋立などに使う「舞洲スラッジセンター」という大阪市の下水汚泥再生工場である。
「舞洲スラッジセンター」を抜け「北港通」を左に。コンビニと食堂がある。時間は、午後0時20分。食事にしょう。
コンビニ2階にある「舞洲食堂」。ななっな、何~。土日祝は定休日だって!一体、誰が食べるんだ。「働くおじさん」専用か!?
「舞洲スラッジセンター」の南側に「アミティ舞洲」。正式には「大阪市舞洲障がい者スポーツセンター」と言い、障がい者向けのスポーツ施設や宿泊施設を備える。ここには、レストランがあるのだが、団体客で「長蛇の列」。
仕方がない。コンビニには「イート・イン・コーナー」があったので、ここで食事をすることに。
午後0時40分。「牛すじねぎ焼きそば(430円)」「昆布おにぎり(110円)」で食事。
食事を終え「舞洲スポーツアイランド」に進む。
「バーベキューレストラン」や「オートキャンプ場」などがある。
「舞洲アリーナ」。7056の観客席を備え、スポーツ大会、コンサートなどに利用されている。
突き当たりまで行くと「新夕陽ヶ丘」という公園に。
「ロッジ舞洲」や「舞洲陶芸館」などの施設が並ぶ。それぞれに軽食レストランがあるようだ。
「バンガロー」や「キャンプ場」もある。
緑地を抜ければ海に出る。「シーサイドプロムナード」として整備されている。
対岸は「夢洲」という人工島。ただ、未だ造成中で「町」はない。
「舞洲」と「夢洲」は、「夢舞大橋」という橋で結ばれている。
島内に戻ると「芝生公園」。
その横には、テニスコートや「舞洲ベースボールスタジアム」という野球場。
「セレッソ大阪」の練習場などもある。
その北側には「運動広場」。後方は「舞洲ベースボールスタジアム」と「舞洲アリーナ」。
「舞洲スポーツアイランド」を後に「此花大橋」で「陸地」に戻る。
その右手前にもお城のような建物。
これも「大阪市環境局舞洲工場」という大阪市の「ごみ焼却場」だ。
橋の頂上付近。全長1.7kmの長大な吊り橋である。
橋上から「大阪南港」方向を望む。高層ビルは「咲洲」にそびえる地上55階建ての「コスモタワー」。
「阪神高速北港JCT」と交わる手前で下に下りるスロープが現れる。
この「らせんスロープ」を下りる。上りでなくて良かった。
次の交差点で「ユニバーサルスタジオ」方向に右折する。
「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」の植え込み沿いに歩く。
道路が左にカーブすればJR「桜島駅」。今日のスタート地点「西九条駅」から「住友王国」への引き込み線である「桜島線」の終着駅である。
線路沿いの道を東に進む。
次の駅が「ユニバーサルシティ駅」。そう「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」への最寄り駅だ。
駅前は「ユニバーサル・シティウォーク大阪」。
「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」へ続く、エンターテイメント型複合商業施設でホテルや多くのテナントが並ぶ。
「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」。ハリウッド映画のテーマパークとして平成13年3月、「住友金属工業」の跡地にオープンした。今年7月15日から新たなアトラクション「ハリー・ポッター」が始まり大人気だ。
エントランスの地球儀。
ここから先は「有料」。賑わいを後に駅北側の路地へ進む。
そこには「住友金属」の半分が残る。塀沿いは「此花今昔物語」「大阪浪漫」というストリートになっており、色んな絵(写真)が描かれている。
その内の一枚。昔の大阪港にあった「澪標」。
次の交差点を左に曲がる。長い塀は、日本を支えた大企業の歴史を感じさせる。
防潮扉を備えた「東門」。今は「新日鐵住金株式会社」となっているようだ。
「北港通」に出れば、左に「住友電工」。
その向かいに「産土(うぶすな)神社」。
宝暦12(1762)年、新田開発の際に勧請され、「天照大神」「住吉三神」「宇迦之御魂神」を祀る。
まだまだ「住友王国」は続く。
さらに東に進めば右に「住友化学」。
右に古い酒屋が現れれば「春日出交差点」。右に曲がる。
150mほどで左に折れれば「朝日神明社」。
「神明社」の名や「神明鳥居」からもわかるとおり「お伊勢さん」系の神社だ。本殿は塀に囲まれてわからないが、拝殿も「神明造」だ。
「春日出交差点」まで戻る。通りの向こうには「春日出商店街」。250mほどのアーケード街である。
アーケードをはずれたところに古い酒屋さん。
この商店街は、洒落た喫茶店が多いな。
アーケードを抜けて進んで行くと「此花消防署」。望楼が立つ古い形の消防署だったが改装中のようだ。
「此花区役所」は、耐震化工事で何とか切り抜けているようだ。区役所前に「沖縄県祖国復帰記念」の塔。「此花区」も「大正区」同様、沖縄県にルーツを持つ人が多いのか「大阪此花区沖縄県人会」の文字が。
路地を抜けて「梅香交差点」へ。角には「大阪府此花警察署梅香交通警察官詰所」。
さらに「北港通」を進む。
午前中に横切った「四貫島中央通商店街」を過ぎれば「四貫島本通り商店街」の入口。
その向こうには「千鳥橋交差点」。福岡県博多にも同名の交差点があるようだ。すぐ後ろには「阪神電車千鳥橋駅」。複雑な交差点なので地図を頼りに「西九条」方面へ。
途中、古い「散髪屋さん」。日曜日に休んでいると言うことは、もう廃業したのだろうか。
その向かいには、大阪ではよく見られる道路真ん中にある「枯木」と「お社」。「白砂大神」と言うらしい。だいたい、このようなお社は「白蛇」にまつわるものが多い。
少し進めば「昇陽高・中学校」。大正13(1924)年、「淀之水女学校」として開校。平成21年から男女共学の中・高一貫校となる。
ガード下の校舎とはすごいな。
そして、その前の「朝日橋」で、朝に渡った「六軒家川」を渡る。左は「阪神電車」の鉄橋。「なんば線」になってからは「近鉄電車」が乗り入れている。
「朝日橋」のたもとには「初代大坂船奉行所跡」。元和6(1620)年、江戸幕府により設置されたと言われる。この碑文は、「橋下市長」の筆によるものらしい。と言うことは、比較的新しいということか。
「朝日橋」を渡って5分ほどで、今朝、出発したJR「西九条駅」。午後4時20分着。本日の歩紀「30521歩」(26.24km)。かつての「工業地帯」は「遊地帯」へと変貌していた。
出 発:JR「西九条駅」
到 着:JR「西九条駅」
「此花(このはな)区」。大正14年、「西区」「北区」の分割・再編により誕生。人口約6万5千人。うち15人が漁業従事者。南北を淀川と安治川にはさまれ、西には大阪湾が広がる。高度成長期、町は海へ海へと伸び、沖合には「舞洲」「夢洲」という人工島が浮かぶ東西に長い区となった。区名は、百済から渡来した「和仁」が詠んだ「難波津の歌」
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は 春べと 咲くやこの花
から命名されたという。
埋立地は、火力発電所など近代大阪を支えた重工業地帯として発展し、特に区の大部分を「住友」と「大阪ガス」が占める。しかし、高度成長期は遠い昔となり、その跡地の一部には、平成13年、テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」が開園。また、人工島「舞洲」には、多くのスポーツ施設やオートキャンプ場などを備えた広大な「舞洲スポーツアイランド」がオープンした。
JR大阪環状線「西九条駅」を午前10時15分、出発。すぐ北側には、阪神電車「西九条駅」もある。
駅前から「西九条交差点」まで出て左折。スポーツセンターなどがある「朝日橋公園」に出る。
「朝日橋公園」と「市立咲くやこの花中・高校」の間を右に折れる。
「六軒家川」に突き当たる。1.5kmほどで「安治川」と交わる短い水路だ。「六軒家橋」という人道橋で六軒家川を渡る。
「梅香2丁目」の町を進む。
左に「住吉神社」。
やはり海に近いので「住吉さん」が鎮座するのだろう。今日一日の安全を祈願する。
神社のすぐ前には「グッディー此花」という商店街。
「北港通」を挟んで「四貫島中央通商店街」へと続く240mほどのアーケード街を進んで行く。
シャッターが下りているが、古そうな店だ。
商店街を抜け階段を登ると「森巣(もりす)橋」。
「橋」なのだが「川」はない。
実は、かつてここには「正蓮寺川」という川が流れていたのだ(運河なので流れはなかったかも?)。此花区の大部分は、「正蓮寺川」と「六軒家川」「安治川」に囲まれた「島」だったのだが、平成25年、「北港大橋」までの「正蓮寺川」は埋め立てられ陸続きになった。
「森巣橋」を渡ってすぐ右に「鴉之宮(からすのみや)」。
ここら辺りは「伝法(でんぽう)」という町だ。「伝法」とは「法を授ける」という仏教用語らしく、近くにあった「伝法山西念寺」という寺院の名が、地名の由来と言われる。「伝法川」という川が流れていたようだ。
かつてこの地に天照大神らを祀る「傳母須(もりす)神社」という社があり、後に豊臣秀吉が日本海に向け出航する際、「八咫烏(やたがらす)」が現れたことから「鴉之宮」と改められたと伝わる。
「鴉之宮」からさらに北へ歩き、辻を左に曲がれば「旧鴻池本店・旧本宅」が並ぶ。ゼネコン「鴻池組」の前身である。
旧本宅は、町家風のお屋敷で「豪商」という雰囲気が出ている。
旧本店は、明治43年築のモダンな洋館だ。
「旧鴻池本店・旧本宅」の北側の道路を挟んで「澪標住吉神社」。延暦23(804)年、遣唐使の航海安全を祈願して建立されたという。
鳥居の横と手洗舎の横には、港の目印である「澪標(みおつくし)」が建てられている。この「澪標」が、大阪市章となっている。
そのため大阪市バスをはじめ、大阪市の関連施設などには、このマークが多く使われている。
社殿の前には、宝暦13(1763)年の刻字がある石灯籠が。
神社前の道をさらに西へ進む。阪神電車「伝法駅」を過ぎる。
国道43号線をくぐり古い町中へと入っていく。
町家や寺院が並ぶ。
さらに進めば地名の由来となった「伝法山西念寺」。現在は浄土宗の小さな寺院であるが、大化元(645)年、天竺の法道上人という高僧が草庵を結んで仏教を広めたと伝わる古刹だ。
この道は「尼崎本街道」という街道だったようだ。「備前橋」という橋も架かっていたのだろうか。
この居酒屋の手前を右に入る。
左に「庚申堂」。奥には淀川の堤防がそびえる。
旧家の前を通って元の道に戻る。
さらに西に進めば、左に小さな船溜まりが現れる。
「伝法入舟」と呼ばれマンションに囲まれている。
「大阪市漁業協同組合」という建物もある。
すぐ南側の市営住宅から全貌を望む。見た目は完全な「漁港」であるが、法律上の正規の漁港ではないらしい。奥には「淀川」が流れる(野里町歩紀~摂河泉をゆく~「コラム『だんじり』『大阪の漁港』」参照)。
「酉島2丁目」の町を抜ける。
「伝法入舟」からの狭い水路。
「伝法水門」で「淀川」に出る。
しばらく「淀川」の堤防を歩く。遠くに見えるのは「阪神高速道路湾岸線神崎川橋」。この対岸は「西淀川区」。対岸に見える緑地は、先日歩いた「西淀川区」の「矢倉緑地」である(「西淀川区」編参照)。
おそらく、この辺りも海面下だろう。「淀川スーパー堤防」に守られている。
堤防の下に何やら碑が。常吉新田の開発者「常吉庄左衛門」の墓。安政元(1854)年の津波犠牲者とともに祀られている(碑文は「安政3年」となっている)。
再度「スーパー堤防」上に上がる。左には「大阪ガス」。かつてこの辺りには、巨大な「ガスタンク」があった。
遠くに見えていた「阪神高速湾岸線神崎川橋」をくぐる。
しばらく堤防を進むと………。ここが「淀川」と「大阪湾」の境目のようだ。
そして突き当たりには「常吉臨海緑地」。
その先端には「大阪北港ヨットハーバー」がある。
クラブハウスは「海の駅」になっており休憩所がある。
「常吉大橋」という橋で「舞洲」に渡る。左には、まるでお伽の国のお城のような建物が。
実は、下水処理で生じた汚泥を再生して埋立などに使う「舞洲スラッジセンター」という大阪市の下水汚泥再生工場である。
「舞洲スラッジセンター」を抜け「北港通」を左に。コンビニと食堂がある。時間は、午後0時20分。食事にしょう。
コンビニ2階にある「舞洲食堂」。ななっな、何~。土日祝は定休日だって!一体、誰が食べるんだ。「働くおじさん」専用か!?
「舞洲スラッジセンター」の南側に「アミティ舞洲」。正式には「大阪市舞洲障がい者スポーツセンター」と言い、障がい者向けのスポーツ施設や宿泊施設を備える。ここには、レストランがあるのだが、団体客で「長蛇の列」。
仕方がない。コンビニには「イート・イン・コーナー」があったので、ここで食事をすることに。
午後0時40分。「牛すじねぎ焼きそば(430円)」「昆布おにぎり(110円)」で食事。
食事を終え「舞洲スポーツアイランド」に進む。
「バーベキューレストラン」や「オートキャンプ場」などがある。
「舞洲アリーナ」。7056の観客席を備え、スポーツ大会、コンサートなどに利用されている。
突き当たりまで行くと「新夕陽ヶ丘」という公園に。
「ロッジ舞洲」や「舞洲陶芸館」などの施設が並ぶ。それぞれに軽食レストランがあるようだ。
「バンガロー」や「キャンプ場」もある。
緑地を抜ければ海に出る。「シーサイドプロムナード」として整備されている。
対岸は「夢洲」という人工島。ただ、未だ造成中で「町」はない。
「舞洲」と「夢洲」は、「夢舞大橋」という橋で結ばれている。
島内に戻ると「芝生公園」。
その横には、テニスコートや「舞洲ベースボールスタジアム」という野球場。
「セレッソ大阪」の練習場などもある。
その北側には「運動広場」。後方は「舞洲ベースボールスタジアム」と「舞洲アリーナ」。
「舞洲スポーツアイランド」を後に「此花大橋」で「陸地」に戻る。
その右手前にもお城のような建物。
これも「大阪市環境局舞洲工場」という大阪市の「ごみ焼却場」だ。
橋の頂上付近。全長1.7kmの長大な吊り橋である。
橋上から「大阪南港」方向を望む。高層ビルは「咲洲」にそびえる地上55階建ての「コスモタワー」。
「阪神高速北港JCT」と交わる手前で下に下りるスロープが現れる。
この「らせんスロープ」を下りる。上りでなくて良かった。
次の交差点で「ユニバーサルスタジオ」方向に右折する。
「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」の植え込み沿いに歩く。
道路が左にカーブすればJR「桜島駅」。今日のスタート地点「西九条駅」から「住友王国」への引き込み線である「桜島線」の終着駅である。
線路沿いの道を東に進む。
次の駅が「ユニバーサルシティ駅」。そう「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」への最寄り駅だ。
駅前は「ユニバーサル・シティウォーク大阪」。
「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」へ続く、エンターテイメント型複合商業施設でホテルや多くのテナントが並ぶ。
「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」。ハリウッド映画のテーマパークとして平成13年3月、「住友金属工業」の跡地にオープンした。今年7月15日から新たなアトラクション「ハリー・ポッター」が始まり大人気だ。
エントランスの地球儀。
ここから先は「有料」。賑わいを後に駅北側の路地へ進む。
そこには「住友金属」の半分が残る。塀沿いは「此花今昔物語」「大阪浪漫」というストリートになっており、色んな絵(写真)が描かれている。
その内の一枚。昔の大阪港にあった「澪標」。
次の交差点を左に曲がる。長い塀は、日本を支えた大企業の歴史を感じさせる。
防潮扉を備えた「東門」。今は「新日鐵住金株式会社」となっているようだ。
「北港通」に出れば、左に「住友電工」。
その向かいに「産土(うぶすな)神社」。
宝暦12(1762)年、新田開発の際に勧請され、「天照大神」「住吉三神」「宇迦之御魂神」を祀る。
まだまだ「住友王国」は続く。
さらに東に進めば右に「住友化学」。
右に古い酒屋が現れれば「春日出交差点」。右に曲がる。
150mほどで左に折れれば「朝日神明社」。
「神明社」の名や「神明鳥居」からもわかるとおり「お伊勢さん」系の神社だ。本殿は塀に囲まれてわからないが、拝殿も「神明造」だ。
「春日出交差点」まで戻る。通りの向こうには「春日出商店街」。250mほどのアーケード街である。
アーケードをはずれたところに古い酒屋さん。
この商店街は、洒落た喫茶店が多いな。
アーケードを抜けて進んで行くと「此花消防署」。望楼が立つ古い形の消防署だったが改装中のようだ。
「此花区役所」は、耐震化工事で何とか切り抜けているようだ。区役所前に「沖縄県祖国復帰記念」の塔。「此花区」も「大正区」同様、沖縄県にルーツを持つ人が多いのか「大阪此花区沖縄県人会」の文字が。
路地を抜けて「梅香交差点」へ。角には「大阪府此花警察署梅香交通警察官詰所」。
さらに「北港通」を進む。
午前中に横切った「四貫島中央通商店街」を過ぎれば「四貫島本通り商店街」の入口。
その向こうには「千鳥橋交差点」。福岡県博多にも同名の交差点があるようだ。すぐ後ろには「阪神電車千鳥橋駅」。複雑な交差点なので地図を頼りに「西九条」方面へ。
途中、古い「散髪屋さん」。日曜日に休んでいると言うことは、もう廃業したのだろうか。
その向かいには、大阪ではよく見られる道路真ん中にある「枯木」と「お社」。「白砂大神」と言うらしい。だいたい、このようなお社は「白蛇」にまつわるものが多い。
少し進めば「昇陽高・中学校」。大正13(1924)年、「淀之水女学校」として開校。平成21年から男女共学の中・高一貫校となる。
ガード下の校舎とはすごいな。
そして、その前の「朝日橋」で、朝に渡った「六軒家川」を渡る。左は「阪神電車」の鉄橋。「なんば線」になってからは「近鉄電車」が乗り入れている。
「朝日橋」のたもとには「初代大坂船奉行所跡」。元和6(1620)年、江戸幕府により設置されたと言われる。この碑文は、「橋下市長」の筆によるものらしい。と言うことは、比較的新しいということか。
「朝日橋」を渡って5分ほどで、今朝、出発したJR「西九条駅」。午後4時20分着。本日の歩紀「30521歩」(26.24km)。かつての「工業地帯」は「遊地帯」へと変貌していた。
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