8月に京都でライブを行った細坪さん
そのライブの翌日に、ファンのみなさんと一緒に比叡山や東寺を周られて
その様子が、細坪さんのHP内にある「つぼっち探偵団」という写真により絵日記のコーナーに沢山アップされていました
その中で、東寺の池に蓮の花が綺麗に咲いていたよというのがあってね
そこに、とっても心に残る言葉があったので、覚書として記しておきます
内容をコピペすることは出来ないので、大雑把に要約しますと
「蓮の花は、泥の池に咲いているけど、その池が汚れていれば汚れているほど、蓮は大輪の花を咲かせるんだってよ
汚れた物の中から尊いものが生まれ、悲しみや苦しみの中から幸せの価値が見いだせるのかなぁ~」みたいな事です。
お釈迦様の台座のお花が、なぜ蓮の花なのかって調べてみますと
泥水が濃ければ濃いほど、蓮の花は大輪の花を咲かせます。泥水とは、人生における辛いことや悲しいこと、苦しいこと
私たちはいろいろな悲しみ・つらさ・大変なことを経験しないと、大きな花を咲かすことは出来ない様です。
(私は、そんな大きな花を咲かすことが出来なくてもいいんですけど。。。みたいなツッコミは、やめてね)
そして、その花の中にある実が「悟り」だそうです
つまり、「つらく悲しい思いがなければ、人間は悟ることがないのだよ」というお釈迦様の教えを蓮の花が教えてくれているんだとか
苦難な時が来たら「よっしゃー、悟りに導かれていくぞーー」って、つまりハレルヤですね(違うかな
)
難しい解釈は、よくわからないけど、悲しみや苦しみの中から本当に大切なものが見えてくるというのは、経験からなんとなく理解できます
だからといって、矢でも鉄砲でも雨でも嵐でも、どんな苦労でも飛んでコーイ、バッチコイだぜという気分にはなれませんが
できるだけ、何事もなく平穏で平々凡々で、というのが本心ですけど
ちょっと心や体が凹んだ時には、この蓮の花のお話を思い出す事にします
大きな花や美しい花でなくてもいいから、小さくても自分が満足できる、納得できる花を咲かせたいですね
昨年2012年8月19日 平泉 毛越寺にて撮影した蓮の花です
ちょっと最近、心の中にドロドロとした汚泥がたくさんだったので、こんな事で少し心を浄化できるかしらね
ちょっとね、外には吐きだせない様な毒っ気で、心も体も病んでいました
なかなか、ブログを更新できないでいましたが、また少しづつボチボチ更新していきます。よろしくね