先ごろ「マウイ島」では未曽有の大山火事が発生し、多くの人々が被災し避難を余儀されている。
ハワイと聞けば南国のプレジャーアイランドのイメージであり、日本人が最も好む国でもある。
そんなハワイには都合3回行ったが全てビジネス旅行だったので楽しんだとの思い出はない。
▽1回目(1990年代): マウイ島での国際会議の事務局として。
1990年、国際海底通信ケーブルの技術部門会議が開催され、事務局として1週間マウイに滞在した。各国のメンバーが到着前にホノルル経由で若手社員1名と共に現地マウイへ乗り込んだ。会議資料準備等のためマッキントッシュのPCを担いで持って行った。
事務局は忙しい。会議全般のスケジュール、会議資料・議事録作成、会議後の余暇や奥様同伴者もいるのでそのケアなどてんてこまいの忙しさだった。一部の会議参加者の中には空きの時間にスイミングやゴルフを楽しでいたが事務局員の私は最後までお楽しみは一切なしで帰国した。
1週間もハワイに行っていたことを知ると皆、楽しんできただろうとからかわれたものだ。
会議場はカパルアベイにあった有名なホテルだったが30年も前で現在は周囲は変わっているようだ。
▽2回目(1980年代): 西海岸、サンフランシスコかロスアンゼルスからだったと思うが帰路、東京への直行便が取れなかったのでホノルル経由で帰国したとき。
西海岸から日本への直行便が取れない場合、1日遅らせて帰国するのだがこの時(2000年代)は翌日に重要な会議報告が予定されておりどうにかして帰国したかった。
そんなフライトだったが問題が発生したのはホノルル空港ホテルカウンターでの「ホテルブッキング」トラブルだった。この時はこの航空会社を通じてホテル予約しており「OK」確認も取れていた。しかし現地に着いてみると予約者リストには私の名前はなく、またあいにくこの日はホテルも満室とのことだった。
当事者の私は宿泊できないとシャーシャーと言われて、はいそうですかと下がる訳にはいかない。もし、部屋がないならこのホテルの責任として別なホテルに交渉して同等の部屋を準備するよう催促した。
それでも始めの頃はそれさえ渋っていたが最終的に予約していた最上階の「Sweet Room」を割り当てて来た。そんな部屋に泊まったことがない私は少々戸惑ったが空港でもたもたしている訳には行かない。直行便からハワイトランジット便になったことから長旅になり疲れており早く寝たかったかった。
やっとホテルに到着し「Sweet Room」に案内されたが立派な部屋だった。しかし、私は寝るだけでラグジュアリーな「Sweet Room」を楽しむことなく翌朝ホノルルを発ったのだった。(やはり貧乏人である(笑))
▽3回目(2000年代): ハワイ大学にビジネス打ち合わせがあったとき。
この時もアメリカ西海岸からホノルルへ飛んだ。西海岸でビジネスJOBをこなした後、関連でハワイ大学の教授を訪ねた。私達はビジネスであり常夏のレジャーの島とはいえスーツ姿だったがキャンパスではその姿が浮いていた。皆アロハシャツやTシャツで半パンツ、履き物はサンダルだった。
目的先の教授は30代若手でアロハシャツ半パンサンダル姿だったので始め誰が学生で教授か分からなかった。さすが我々もこのままの姿では雰囲気が固いので私たちはスーツは脱ぎシャツは半袖を捲って場を緩めたのを覚えている。
いくらビジネスとは言え、正に「郷に入ればは郷に従え」だった。