”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

八日市壺焼谷遺跡の「須恵器窯跡」(東近江市柴原町)

2019-10-31 06:55:41 | 近江の歴史文化・探訪
 
10月5日(土)午前、久しぶりに近くの布引運動公園に出掛けた。
昨年までは良くウォーキングに出掛けたが最近は長らくご無沙汰だった。
 
今回は目的が八日市壺焼谷遺跡「恵器窯跡」を見るためである。
過去に見ているがア今回は周囲が雑木草に隠れよく見えなかった。
以前、摂った写真を探したが見つからず、乾期には草木が枯れるのでその時に改めて写真を撮ろう。

布引運動公園陸上競技場(布引グリーンスタジアム)のある布引丘陵上の平坦面には、広い範囲で須恵器(古墳時代から奈良時代の焼き物)の散布が認められている「芝原南遺跡」(芝原町)が、布引丘陵の南斜面に「八日市壺焼谷遺跡」がある。
工事の前に実施した発掘調査では、7世紀後半から8世紀初頭にかけての須恵器窯跡2基と灰原(失敗品を捨すてた場所)、竪穴建物跡と焼歪んだ土器を廃棄した土坑などが発見された。
 
八日市壺焼谷遺跡」の「須恵器窯跡」は、布引運動公園の一角に遺跡ゾーンとして保存されている。
 
八日市壺焼谷遺跡の窯跡と竪穴建物跡
A窯(右)全長8.5m
B窯(左)全長9.4m
3万点以上の須恵器が出土している。須恵器窯の隣から竪穴建物が検出されて
おり、工人が泊り込んで作業をしていたと思われる。

所在地:東近江市芝原町
アクセス:近江鉄道大学前から徒歩15分、名神高速道路八日市ICより車で10分
 
 
 
 
 
 
 
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【滋賀・近江の先人第65回】明治中央政界の重鎮/滋賀県初の大臣・大東義徹(彦根市)

2019-10-30 06:00:00 | 滋賀・近江の先人
大東 義徹(おおひがし ぎてつ/よしあきら/よしてつ、天保12年(1843年) - 明治38年(1905年)は、官僚、政治家。司法大臣(第9代)滋賀県初の大臣、衆議院議員(7期)を務めた。元は小西姓。父は小西新左衛門。
 
幕末維新期に活躍した彦根藩の二人が明治以降にも活躍していた。
両名とも年齢が近く彦根藩として戊申戦争に従軍し、勤王として武功を上げ、その後の人生に影響を受けているが、片や軍人、一方は政治家を歩んでいる。大東は何と岩倉使節団(107名)の欧米視察にも加わっていた。
また、伊庭貞剛(第二代住友総理事)は、司法省権少判事時代の同郷の同僚である。
 
大東 義徹(おおひがし ぎてつ/よしあきら/よしてつ)、
天保13年(1842年) - 明治38年(1905年)63歳没は、官僚、政治家(司法大臣)、滋賀県初の大臣。
 
三須 宗太郎(みす そうたろう)、
安政2年8月6日(1855年) - 大正10年(1921年)66歳没は、明治の海軍軍人(大将)・男爵。滋賀県初の大将。
 
大東義徹のヒストリー
彦根藩士で足軽の小西貞徹の次男として生まれる。幼名を新左衛門(寛蔵)。父から貧しくも厳しく育てられ、藩校弘道館で学び、文学を叔父小西三太夫、砲術を川上吉太郎に学んだ。特に砲術は抜きんでて優秀だった。
1857年(安政4年)、姓を小西から大東に改めた
 
戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦の時、勤王方の彦根藩が幕府軍に大砲をを仕掛けたがこれを指揮したのが義徹であり武功を立てた。以来、各地に転戦し功を上げ賞も受け、これを機に中央政界への足がかりを掴んだ。
1871年(明治4年)29歳、岩倉使節団の欧米視察に藩命で加わった
1872年(明治5年)30歳、帰国した義徹は、司法省に入り、大阪、山梨などで権少判事(裁判所長)となる。
1873年(明治6年)31歳、西郷隆盛、板垣退助らと政変(征韓論政変)に敗れ下野し、彦根に帰った。彦根では集議社を創り、熱心に後進の指導にあたった。
1874年(明治9年)34歳、九州の西郷を訪ね時事を語り合った。
1875年(明治10年)35歳、西南戦争の勃発後に代言人仲間だった有馬藤太らとともに大阪で警察に拘束されるが、後に放免となる。彦根に帰り、地方開発に専心する。
1890年(明治23年)48歳、第1回衆議院議員総選挙に滋賀郡部から立候補し初当選。その後毎回当選し、改進党、憲政党の幹部となり政界の重鎮となる。
1898年(明治31年)56歳、第1次大隈重信内閣で司法大臣に就任し、滋賀県初の大臣になった。その後、法典調査会副総裁などを歴任した。西郷と同じく明治時代に大きな活躍をしたので「近江西郷」と呼ばれた。
1901年(明治34年)59歳、彦根に帰った。
1905年(明治38年)63歳で没した。
 
近江鉄道の敷設に深く関与し、近江鉄道の初代社長に就任している。
1905年(明治38年)、彦根市の天寧寺に「大東義徹顕彰碑」が建立された。また、信原潤一郎が大東をモデルとして「修羅の武士道」という作品を書いている。
 
<Wikipedia、近江を築いた人びと・上(和田武子記)引用>
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【東近江・寺社総巡り】第118回・玉緒神社(東近江市川合町)

2019-10-29 06:00:00 | 東近江・寺社総巡り


 9月25日(水)午前、川合町の「玉緒神社」を訪れた。


 ******************
玉緒神社
所在地 東近江市川合町960(旧蒲生郡蒲生町)

■祭神
素盞鳴尊
〔配祀神〕猿田彦命 大己貴命 少名彦命 大歳神 高皇産霊神 蛭子之命 応神天皇
■由緒
創祀年代不詳。社伝によると、大宝年間の勧請。中古は玉尾神社であったが、明治初年頃より玉緒神社となる。明治9年(1876年)村社に加列。同42年(1909年)神饌幣帛料供進指定。26
■本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間 奥行三間
〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行三間
〔その他〕中門 手水舎 神楽所 神輿庫 神饌所 社務所

付近の神社
 猿田彦神社 徒歩 13分(1km)
 諏訪神社 徒歩 15分(1.1km)
 柳宮神社 徒歩 17分(1.3km)
 雨神社 徒歩 17分(1.3km)
 板井神社 徒歩 17分(1.4km)
 雨宮神社 徒歩 18分(1.4km)



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11/9 東近江市・中野地区ジャズコンサート

2019-10-28 12:00:00 | 東近江ライフ

「2019中野地区文化祭前夜祭JAZZ CONCERT」が11月9日午後7時から、「レンガのえんとつとまれ」(東近江市西中野町)で開催される。

演奏するのは、湖東地域のジャズ好きが集まって結成したバンド「Jazz Triad 響」。ピアノ、ベース、サックスそれぞれの楽器の響きを大切にした演奏をモットーに、ジャズのスタンダード曲からなじみのあるポップス曲までしっとり演奏する。入場無料。

主催: 中野地区まちづくり協議会
日時: 11月9日(土) 19:00~
場所: レンガのえんとつとまれ(東近江市西中野町3-14-2)
問い合わせ: 中野地区まち協(TEL 0748-22-0154)

↑NPOレンガのえんとつとまれ(旧珠玖醤油店)

<滋賀報知新聞より>

 

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【東近江・寺社総巡り】第117回・願成寺(東近江市川合町)

2019-10-28 06:00:00 | 東近江・寺社総巡り

 
  9月25日(水)午前、川合町(旧蒲生町)の「願成寺」を訪れた。立派な寺院である。
聖徳太子開創を伝えられる古刹、観音信仰のお寺。
推古天皇27年(619年)開創と伝えられる古刹、天台宗より改宗し現在は曹洞宗寺院。本尊聖世音菩薩は身代わり観音として地域の信仰を集め、また観音様のお堂ではご祈祷や悩み事相談が随時行われる。

*******************

願成寺
所在地 東近江市川合町950(旧蒲生郡蒲生町)

■山号 玉尾山
■宗派 曹洞宗
■開基 聖徳太子、推古天皇27年(619年)開創
■寺歴 元天台宗。寛永2年(1625年)本秀中興
■本尊 聖観世音菩薩

付近の寺院
 福泉寺 徒歩 11分(845m)
 長徳寺 徒歩 13分(973m)
 福寿寺 徒歩 19分(1.5km)
 円光寺 徒歩 20分(1.5km)
 大円寺 徒歩 20分(1.6km)
 立善寺 徒歩 21分(1.7km)


 

 

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