6月29日夕方、暑さが和らぐの待ってちょこっと近くを散歩した。
何気に近くのコミュニティセンターで「平和の鳩」の像を見つけた。
↑平和の鳩
今では飛行場の面影は皆無であるがこの地は戦前の広大な「陸軍八日市飛行場」があった一角にある。
「平和の鳩」の像は、幻のごとく消えた元陸軍八日市飛行場エリアに設置されているのは「平和の希求」のシンボルとして意味がある。
しかし、今日では陸軍八日市飛行場がこの地に存在したことを知る人は少なくなっている。
南 新助(みなみ しんすけ、1885年(明治18年) - 1972年(昭和47年))は、日本最初の旅行会社の創業者。日本の団体旅行、企画旅行の草分け。滋賀県栗太郡草津町(現 草津市)生まれ。
東海道本線敷設の際、路線と草津駅建設の用地を無償提供するなど尽力した父が1889年(明治22年)、草津駅構内でただ一人国鉄立売営業権を与えられていたため、うばがもちや弁当の販売を家業としていた。その傍らそれに飽き足らず、「何か汽車を使って新しいことができないか」と日々考え続けていた。
ある時400人以上であれば汽車賃が半額になるということを知り、1905年(明治38年)旅行斡旋業、日本旅行会(今日の日本旅行)を創業し、高野山参拝、伊勢神宮参拝を企画し実行した。この時点をもって日本初の企画旅行と旅行業の発祥といえる。大津や草津の近村で触れ回り、約900人余が集まり成功を収める。
1908年(明治41年)には日本初の国鉄貸切臨時列車を仕立て、関東廻遊団を組み東京、日光、善光寺を回る団体旅行を実施した。現在の日本旅行草津支店の場所が創業の地であり、南洋軒が経営するビルのテナントとして入居している。
南新助の末裔が経営する企業として、株式会社南洋軒(「JR西日本構内営業」を事業内容の一としている)、南グループ(同グループの日本観光開発株式会社社長の南 啓次郎は日本旅行の主要株主に名を連ねる)がある。