「座敷音頭を聴く会」と「聖徳太子音頭」が7月3日(日)、八日市図書館前の東近江江州音頭会館で開かれる。 「座敷音頭を聴く会」と「聖徳太子音頭」 開催日時: 7月3日(日)10:30〜12:00 場所: 東近江江州音頭会館(東近江市八日市金屋2丁目6−25): 八日市図書館前 出演: 真鍮家好櫂「破れ太鼓」、五代目桜川徳丸「阿波の鳴門」 音頭: 聖徳太子音頭は長命寺音頭、長光寺音頭、観音正寺音頭。 参加料: 500円(飲み物付き) 問い合わせ: 東近江江州音頭会館(TEL050―5801―1169) http://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000011442.html
西澤真蔵(にしざわしんぞう、天保15年(1844年) -明治30年(1897年)は実業家。近江国愛智郡八木荘村野野目(現滋賀県愛荘町出身)
滋賀県愛知郡愛荘町に天保15年(1844年)に生まれた「西澤眞蔵」は、麻布や綿布を大阪や九州地方へ持ち下りの行商から財を成し、やがて大阪に店舗を構え、長崎にも支店を開設して豪商となった。
更に銀行の取締役をつとめ、製紙業、石油販売業、貿易商社等を経営し巨万の富を築いた。
後年は愛知県三河地方の「枝下用水」(しだれようすい)の開削事業に全財産を投じ、遂に明治27年(1894年)に通水し、死去後の1911年(明治44年) - 竣工させ後の世に美田を残した。
「枝下用水」の誕生は、「西澤真蔵」という近江商人(企業家)が「私財をなげうって」出来た私的な事業である。
ヒストリー
1844年(弘化元年) - 近江国愛智郡八木荘村野野目(現在の滋賀県愛知郡愛荘町野々目)に生まれた。
1882年(明治15年) - 愛知県が枝下用水開削工事を始める。
1895年(明治17年) - 西加茂郡西枝下村の矢作川を水源として一部が開鑿された。
1887年(明治20年) - 再度愛知県が出資者を募り事業を再開。主な出資者として「西沢真蔵」が加わる。大阪の工場や商店などを弟の西沢伊三郎に任せ、単身愛知県に向かう。名古屋に三河疏水事務所を開設し、西澤は理事長となる。
1889年(明治22年) - 難工事のため、資金を出していた4人の事業家が手を引く。次いで愛知県も事業から撤退する。「西沢真蔵」は私財を投げ打って工事を続ける。
1890年(明治23年) - 幹線用水と東用水が通水する。
1891年(明治23年) - 中用水が通水する。
1895年(明治27年) - 西用水が通水する。
1897年(明治30年) - 3月1日、工事の完成をみることなく、逝去。
1911年(明治44年) - 竣工。
死後、枝下川神社(愛知県豊田市平戸橋町波岩86-8)に祀られる。また、1956年(昭和31年)には、明治13年(1880年)の明治用水竣工の際に建てられた明治川神社(愛知県安城市)に、「西澤真蔵」が合祀された。
地域社会での伝承
愛知県豊田市の学校教育では「西澤真蔵」が枝下用水の開削者・功労者として登場する。学芸会の劇で演じられることもある。
枝下用水の神社である枝下川神社に水神として祀られている。枝下用水の受益地域では毎年西澤講が開かれ、それぞれの地域において祭祀の対象とされている。長興寺の境内に石碑がある。
住民は15人、うち13人が65歳以上の町。「この地域がなくなったらさみしい。存続に少しでも貢献したい」と力を込める。
祖父母宅は父の実家で、築200年を超えるとみられる。少年時代には盆と正月に訪れ、餅つきをしたり、近くの川でウナギを捕ったりしたのが思い出という。
生まれ育ったのは旧八日市市。大学時代と卒業後の1年間は、大津市内にある個人経営の和食居酒屋で働いた。ある日、九州出身の店長が、同郷の客に気を利かせて郷土料理「だご汁」を出した。喜んだ客は、3日連続で来店してくれた。「全国各地の料理を学びたい」。店を辞め、まずは沖縄へ渡った。
1年だけ働き、東北や中四国にも足を延ばすつもりだったが「のんびりした県民性が合っていた」。観光客向けの沖縄料理店と、地元客相手の居酒屋で料理の腕を磨き、気が付けば2年半が経過。自分の店を持ちたいと、地元に戻った。
東近江市八日市地区の居酒屋で3年弱、調理場を切り盛りし、2019年末から独立準備を本格化。翌年3月ごろの開業を目指し、物件も決めたが、新型コロナウイルスが流行。やむなく断念した。む
しばらくは貯金を取り崩して生活する時期もあったが、過疎化の進む東近江市箕川町への思いは消えなかった。町内の住民有志による宿泊施設開業を目指す動きも知り、「それなら食べ物屋も必要」と決心。祖父母宅の台所に調理器具を持ち込み、昨年末から弁当作りに励んでいる。
知り合いのつてで、東近江市役所内の売店と、東近江市内の道の駅「奥永源寺渓流の里」に、一日平均20個ほどを出荷。毎朝06:00には起床し、東近江市内産米を湧き水で炊く。
売店でのいち押しは、自分で取った出汁(だし)で、土鍋で炊いた鶏飯と鯛飯。おかずも、だしベースの控えめな味付けで素材の良さを引き出す。
時には、母の手料理の炒め物を再現して入れることも。「改善の余地がある」という天ぷらは、弁当に入れて時間がたつと水分を含むため、衣になる粉の配合で試行錯誤が続く。
弁当の出荷後は翌日向けの仕込み作業に加え、父と協力して茶園の手入れにも励む。3月ごろから、放置されて雑草だらけになった茶園を開拓。「政所茶の良さを広めたい」と地域の伝統も受け継いでいる。
弁当は居酒屋の料理と違い、食べる人の顔を見られない。やりがいは「同じ人から2回目の注文を受けた時に感じる」。今後は、企業や会合向けに仕出し弁当の販売を強化する考えだ。「派手さはないけど、しっかりおいしさのある弁当」を理想に掲げる。
あの・ゆうや 1989年7月、東近江市布引台出身。彦根東高、滋賀大教育学部卒業。学生時代はサッカーとバンドに明け暮れた。
弁当店と茶園は、祖父母宅の屋号のカネカを名乗る。「カネカの味が一番楽しめる」と自負するのは仕出し弁当。注文は要相談。
問い合わせ: 阿野さん=090(9692)0955
受験料: 子ども170円、保護者610円。
問い合わせと参加申し込み: あづち文芸の郷の安土城天主「信長の館」
約500人が参加し、湖北の豊かな自然と歴史・文化遺産をめぐるコースを楽しんだ。
コロナ禍で一昨年と昨年は中止となり、3年ぶりの開催。例年は2日間の日程で全国から愛好家が参加するが、今回は滋賀県民を対象にして1日限定とした。
長浜市大島町の長浜文化芸術会館をスタート兼ゴールとし、20km、10km、5kmの3コースを設けた。
この日、長浜市の11:00の気温は32・3度。「黒壁スクエア」と呼ばれ古い町並みが残る市中心部や、鉄砲鍛冶(かじ)の里の国友地区、琵琶湖畔などを、水分補給しながら元気よく歩いた。
長浜市内の鷹野正子さんと孫の小学6年の莉湖さん、小3の世莉さんは一緒に10kmに挑戦した。莉湖さんは「10km歩いて達成感があった」、世莉さんは「疲れたので次は5kmにしようかな」と笑顔で話した。
<朝日新聞より>