”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

近江商人の魂を育てた「寺子屋」を綴った本発刊

2020-08-31 10:00:00 | 近江の歴史文化・探訪
 前東近江市教育研究所長で臨済宗妙心寺派乾徳寺(けんとくじ)(東近江市五個荘川並町)の住職、中野正堂さんが、五個荘地区で盛んだった寺子屋教育の歴史をつづった著書「近江商人の魂を育てた寺子屋―川島俊蔵の教えに学ぶ―」をこのほど発刊したと滋賀報知新聞が報じている。 

 県立高校や教育委員会など、退職するまで県の教育に携わってきた中野さんはかつてから興味のあった寺子屋の研究に励み、「教育が義務付けられていなかった封建時代になぜ多くの子どもたちが寺子屋で学ぼうとしたのか。寺子屋師匠の教育を知ることによって、教育の現代的な課題に対応する糸口を見出せるのではないか」と、取材など10年を費やして本書を発刊した。

 近江商人発祥の地の一つでもある「五個荘地区」は、江戸時代期、全国同様に寺子屋教育が盛んに行われ、商人として成功を遂げた卒業生たちは、商売で得た利益を地域に寄進するなど大いに社会貢献を行った。

 本書では、五個荘地区に10校あった寺子屋のうち、五個荘川並の寺子屋師匠・川島俊蔵に焦点を当て、多数の史料をもとに、レベルの高かった五個荘地区の寺子屋教育と、「三方よし」の精神を大切にした近江商人の魂との関係に迫っている。

近江商人の魂を育てた寺子屋―川島俊蔵の教えに学ぶ―」(法藏館(京都市)発行)
46判全192ページ。2千円(税別)。
購入は書店に問い合わせるか、中野さん(TEL 0748―48―3159)まで。

<滋賀報知新聞より>


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【身近な昔探訪】第80回・東近江・御代参街道(本町通り)の「西村電気店」

2020-08-31 06:43:04 | 八日市の今昔物語
↑東近江・御代参街道(本町通り)の「西村電気店」

 「西村電気店」は現在も御代参街道(本町通り)に存在するが昔から町の”ナショナルショップ”だった。
現在は殆どシャッターが締まっており実質的には営業はストップのように見える。
 
西村電気」がいつ頃からこの地で開業したか不明であるが、昭和30年ー40年代、ビクターなどのレコードがメインのような店のイメージが強かった。
 今や御代参街道(本町通り)には電気店はなく、市内では全国チェーンの電気量販店が幅を利かせている。
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9/23 歴史講座「明智光秀と琵琶湖」開催(八日市コミュニティセンター)

2020-08-30 10:00:00 | 近江の歴史文化・探訪
 東近江市・「八日市コミュニティセンター」は歴史講座「明智光秀と琵琶湖」を開く。参加者募集中である。

 日時: 9月23日(水) 13:30~
 場所: 八日市コミュニティセンター(東近江市八日市町9-20)

 講師: 大沼芳幸(元県立安土城考古博物館副館長でNPO法人歴史資源開発機構ヘリテージマイスター)
 定員: 50人(定員になり次第締め切る
 申し込み: 希望者は、住所、氏名、連絡先を9月16日(水)までに、以下のいずれかで申し込む。
     ・八日市コミュニティセンターの窓口
     ・TEL 0748―23―4120
     ・8comi920@e-omi.ne.jp

<滋賀報知新聞より>

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8/30 東近江江州音頭会館オープン 会館記念式典と記念公演、ネットで中継

2020-08-30 08:22:23 | 近江の歴史文化・探訪
 湖東発祥の盆踊り唄をPRする「東近江江州(ごうしゅう)音頭会館」が8月30日、旧八日市保健センター内(八日市図書館隣)(東近江市八日市金屋2-6-25)にオープンする。

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開館記念式典と公演は、
8月30日(日)13:30~16:00、動画投稿サイト「ユーチューブ」などでライブ中継する。

 9月5日(土)からは土日祝日の10:00~16:00、入場無料で一般開放し、音源や映像の紹介、踊りや歌の指導などを進めていく。平日に来館希望の場合は050ー5801ー1169へ。      

 「江州音頭」は江戸時代末期、八日市に住む西沢寅吉(桜川大龍)が祭文語りの名人・桜川雛山に弟子入りし、念仏踊りなどを取り入れて創始した。同郷の奥村九左衛門(真鍮家好文)も協力して盆踊りの曲目などを整え、近畿一円に広まっていった。
 滋賀県豊郷町の千樹寺再建の際にも西沢が招かれ、絵日傘や扇を使った盛大な踊りがあり、同町も「江州音頭発祥地」とされている。

<毎日新聞より>

【滋賀・近江の先人第32回】江州音頭の創始者・桜川大龍/西沢寅吉(東近江市)


 尚、今回「東近江江州音頭会館」ができ、「東近江大凧会館」(東近江市八日市東本町)が既にあるので、あと残りは、東近江市の奥永源寺地区に全国木地師の郷、「東近江木地師記念会館」が東近江の文化保存施設として待たれるところだ。
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【滋賀・近江の先人127回】公選制による初代滋賀県人知事・服部岩吉(栗東市)

2020-08-30 06:00:00 | 滋賀・近江の先人

2代服部 岩吉(はっとり いわきち、1885年(明治18年) - 1965年(昭和40年)は、大正・昭和期の日本の政治家、滋賀県知事。

滋賀県栗太郡金勝村(現栗東市)の酒造業の家に生まれる。初名は清太郎。「岩吉」は服部家の世襲の名乗りで、滋賀県知事となった岩吉は2代目に当たる。膳所中学校(現滋賀県立膳所高校)卒業後は家業に従事していた。

1903年(明治36年)28歳の時に、金勝村の依頼で同村の助役となり、その後村会議員を経て金勝村村長に就任して5期務める。更に県会議員を2期務めた後に
1932年(昭和7年)の第18回衆議院議員総選挙滋賀県全県区に立憲政友会から立候補して当選、
1942年(昭和17年)の第21回総選挙には立候補しなかったものの、次の第22回総選挙では日本自由党から当選を果たし、通算4期務めた。
1947年(昭和22年)、滋賀県知事が公選となると、服部は厚生政務次官であったが衆議院議員を辞任して立候補して当選を果たした。

当選後の服部は要職に側近を登用したことで非難を受けたが、その一方で“ガン吉”と呼ばれるほどの一徹ぶりと優れた政治力によって支持を受けた。
特に農林省が滋賀県に対して過大な食糧供出を迫っていると主張して独自の統計調査を実施して正確なデータを提示して農林省に方針修正を認めさせた「服部調査」は良く知られている。
また、滋賀県立農業短期大学の創立にも尽くした。

だが、服部が3期目を目指していた1954年(昭和29年)の県知事選挙において、政権与党であった自由党の分裂によってかつての同僚であった森幸太郎元農林大臣が日本民主党の支援を受けて立候補、選挙戦の結果、森が当選して服部の3選は阻まれた。
1965年(昭和40年)、大津市の自宅で死去した。

<Wikipedia引用>

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