”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

1A0C マルタ騎士団 DX-Pedition運用中

2023-07-31 09:00:00 | 滋賀のスポーツ
 イタリアの「1A0Cマルタ騎士団(Sov. Order of Malta)が7月26日~8月2日の予定で運用している。

 

 マルタ騎士団(Sov. Order of Malta)はWantedカントリーの上位カントリに上位にリストアップされており、レアカントリーの1つとなっている。
1A0C」が7月30日早朝、10MhzのCW(電信)で入感していたが339位の信号で、かつパイルアップになっていたので交信のチャンスはなかった。
今回の運用期間内にチャンスがあれば交信したい。


エルサレム、ロードス及びマルタにおける「聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会」、通称「マルタ騎士団」は、キリスト教カトリック教会の騎士修道会である。 
 現在は領土を有さないが、かつて領土を有していた経緯から今日でも国際法上の「主権実体(英: sovereign entity)」として認められ、中央政府を置くイタリア・ローマのマルタ宮殿には治外法権が与えられ112の国家と国交を結んでいる(2022年時点)。そのため「領土なき独立国」とも呼ばれる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界水泳で2大会連続ソロ2冠、「乾友紀子」選手に滋賀県民栄誉賞授与決定

2023-07-31 08:00:00 | 滋賀のスポーツ
  滋賀県は、福岡市で開かれた水泳の世界選手権アーティスティックスイミング(AS)で2大会連続のソロ2冠を達成した「乾友紀子」選手に、「滋賀県民栄誉賞」を贈ることを決めた。7月28日の定例会見で、三日月大造知事が明らかにした。滋賀県民栄誉賞は2021年に設けられ、乾選手は3人目。


↑写真:朝日新聞より

 三日月知事は「2大会連続2冠達成は日本水泳史上初の快挙」と称えた。乾選手は近江八幡市出身。これまでの受賞者は、東京五輪の競泳で金メダル2つに輝いた「大橋悠依」選手(彦根市出身)、東京パラリンピックの競泳で金と銀メダルを獲得した「木村敬一」選手(栗東市出身)の2人。

<朝日新聞より>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/6 学ぼう地元学「東近江学」 第2回 寺子屋教育とは(東近江市)

2023-07-31 06:00:00 | 東近江ライフ
 東近江ゆかりの歴史や文化など多彩なテーマを学ぶ連続講座東近江学」の第2回講座が8月6日(日)13:30~15:00、てんびんの里文化学習センターで開かれる。

連続講座「東近江学」の第2回講座
開催日時: 8月6日(日)13:30~15:00
場所: てんびんの里文化学習センター(東近江市五個荘竜田町583)
講師: びわこ学院大学准教授の和田充弘さんを講師に招き、
テーマ・内容: 「東近江の教育文化遺産をたずねて―寺子屋時習斎のテキストを中心に―」と題して、かつて五個荘にあった寺子屋時習斎のテキストをもとに、五個荘地区の寺子屋教育について学ぶ
定員: 50人(申込先着順)
参加費: 300円
申し込みと問い合わせ: 近江商人博物館(TEL0748―48―7101)

第1回東近江学講座
6/3 地域の歴史文化を学び合おう「東近江学」を開催(東近江市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/b3c64afdf28cb02803377338738db2bc

<滋賀報知新聞より>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頑張れ 米原市出身の高木選手 世界少年野球大会に出場

2023-07-30 10:00:00 | 滋賀のスポーツ
 米原市立大東中学校1年の「高木煌生」選手が米国ミズーリ州で8月に行われるカル・リプケン12歳以下「世界少年野球大会」に日本代表選手として出場。7月24日に米原市役所で開かれた壮行会で意気込みを語った。

↑写真:滋賀夕刊新聞より

 高木選手東近江リトルシニアに所属し、主にショートやセカンドを守る。滋賀県から山口県までの西日本エリアの各チームからの推薦選手による選考会を勝ち抜き、出場する15人のメンバーに入った。

 高木選手は8月2日に日本を出発予定。米原市役所での壮行会には日本代表のユニホーム姿で出席し「米国では守備やバッティングでチームの勝利に貢献したい。米国の人たちと交流することも楽しみ」と話した。
 馬渕均教育長は「世界で戦う経験は大きな成長の糧になるはず。ゆくゆくは甲子園に出場するなど活躍を期待するとともに、日本を背負う選手に成長することを願っている」と激励した。

 大会は11カ国のチームが出場し、8月4日から13日まで予選と決勝トーナメントが開催される。

<滋賀夕刊新聞より>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【滋賀・近江の先人第302回】大洋ホエールズ、日本ハム、ダイエーホークスの投手だった・間柴 茂有(大津市)

2023-07-30 08:00:00 | 滋賀・近江の先人
 間柴 茂有(ましば しげくに、1951年11月15日 - )は滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。旧名は富裕(とみひろ)。愛称は「ケロヨン」。
 日本ハムに在籍していた1981年に、プロ野球史上3人目となるシーズン無敗を記録した。


経歴
プロ入りまで
 日下部明男監督に勧誘されて入学した「比叡山高校」では2年次の1968年からエースとなり、夏の甲子園滋賀県予選準決勝に進むが、長浜北高に逆転負け。
 1968年の秋季近畿大会に進出し、準々決勝で三田学園に惜敗するが、1969年春の選抜への比叡山高校初出場を決めた。
 3年次の1969年に出場した選抜では2回戦(初戦)で鍛治舎巧のいた岐阜商に敗退するが、春季近畿大会では1回戦で桜宮高を相手にノーヒットノーランを記録。
 続く夏の甲子園滋賀県予選を勝ち抜いて京滋大会決勝に進出するが、渋谷通らを擁する平安高に延長11回の熱戦の末に敗れ、甲子園出場を逸する。

現役引退

大洋ホエールズ時代
 1969年のドラフト2位で大洋ホエールズに入団。1年目の1970年4月22日に阪神戦(甲子園)で初登板を果たすが、最初の4年間は期待に応えられず、3年目の1972年は阪神戦3敗を含む6連敗と散々な内容であった。1973年のオフには整理対象選手となってしまうが、1974年に奮起し、5月4日の中日戦(宮城)で初勝利を挙げると、この年5勝を記録した。

 1975年には4月9日の阪神戦(川崎)で江夏豊と投げ合って完封勝利で1勝目を挙げると、同13日のヤクルト戦(川崎)は完投で2勝目、23日の広島戦(広島市民)では再び完封勝利で3勝目、29日の巨人戦(川崎)では坂井勝二をリリーフし、5月3日のヤクルト戦(藤崎台)では1安打完封で開幕5連勝を決める。5月7日の広島戦(川崎)では自らのバットで若生智男からサヨナラ犠飛を放ち、3完封を含む開幕6連勝を飾るが、この試合を最後に勝ち星から遠ざかる。その後は7連敗を喫して夏場に二軍へ降格し、イースタン・リーグでは防御率0.69で最優秀防御率を獲得。

 1976年は4連敗と再びシーズン0勝に終わるが、1977年4月17日の中日戦(千葉天台)で奥江英幸をロングリリーフすると、田代富雄が大石弥太郎から2本塁打を放つなど打線が逆転し、3年越しの連敗を13でストップさせた。

日本ハムファイターズ時代
 1978年、野村収との交換トレードで杉山知隆と共に日本ハムファイターズへ移籍。1980年には植村義信コーチの指導でフォークを習得し、初の2桁となる10勝を挙げてオールスターゲームにも出場。

 1981年は開幕から連勝を重ねていき、9月1日の近鉄戦(後楽園)でパ・リーグタイ記録の12連勝、7日の南海戦(後楽園)で日本プロ野球タイ記録の13連勝、13日の阪急戦(西宮)で当時の日本プロ野球新記録の開幕から14連勝を達成。9月18日の西武戦(後楽園)で15連勝で、このシーズン15勝0敗で戦後初の「勝率10割」を達成し、最高勝率のタイトルを獲得。同月の月間MVPも受賞し、ロッテとのプレーオフでは10月11日の第3戦(後楽園)で完投勝利を挙げて優秀選手賞を受賞。同年の巨人との日本シリーズでも2試合に先発し、同18日の第2戦は西本聖と投げ合うが8回に逆転され惜敗、25日の最終第6戦は早々に打ち込まれ、いずれも敗戦投手となった。
 1983年にも10勝を記録し、3年ぶりのオールスター出場も果たすなど、その後も主力投手として活躍する。

ダイエー・ホークス時代
 1989年には福岡ダイエーホークスに移籍。
 1990年に5月9日の近鉄戦(北九州)で500試合登板を達成。このシーズン途中で現役を引退。

現役引退後
 1994年までダイエーの二軍投手コーチを務めた。1995年にフロント入り。 

<Wikipediaより>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする