ネモフィラの青に魅せられて
Yi Yin
今、ひたちなか市の海浜公園に大勢の観光客が、ネモフィラの青、見たさに押し寄せております。
このフェイスブックの写真だけをご覧になって、あるフェイスブックの友人が是非見学したい、言われ、海浜公園は何故「青」にしたのでしょう?という哲学的示唆にとんだご質問をされました。
一瞬考えて、すぐお答えいたしました。
その解けないような人間の悲哀というものは、人類の人類たる由縁由来のものであるかもしれません。絶えず襲って来る絶望的現実からの脱出の追及の繰り返しであるかもしれません。そのとき、人は祈りと瞑想に徹する必要があるでしょう。
そして安易なその場しのぎの解答などありはしれません。もしかしたら、「悩みは悩みのうちにあり続ける」という事実だけがあるのかもしれません。逃げないで、この悲痛な現実を身に引き受けなければならないのかもしれません。」と。
このとき、この身を包んでいる回りの自然の青を見てください。水、空、海は青い。宇宙から見た地球は青い。透き通る人の命を人は「青」と言います。
その時、宮澤賢治の
「わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い証明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い証明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
『春と修羅 序』という言葉を思い出したからです。
yatcha john s.
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