ゲーム感想文投稿サイト【ゲームクエスト】が2010年3月に終了するという案内があったものの、仕事がとても忙しかった私は2月以降投稿することが出来ず、半端な気分のまま終了の日を迎えました。それからしばらくしたある日の事、何かの本を読んでいたら、「インターネットとはバカにも発言する権利を与えたもの」という言葉が書いてありました。ならば私にも権利があるのだろうとこんなブログを立ち上げたのです。どうせ一度はゲームクエストに投稿した身であり、バカなりにも与えられた発言権には責任を持たねばなりません。そんな経緯で、ゲームクエストに投稿していた文章の責任をここで取ることにしました。ブログ開設からこれまでに投稿文の再録を続けてきましたが、終えてリストを見ると、墓標が並んでいるようで複雑な気分になります。
再録が終わったらゲームクエストなるものの総括をここでしようかと考えていました。ですが考えれば考えるほど総括する意義が見いだせなくなりました。なんせ当のゲームクエストは一部のアーカイブを残してこの世に無いわけです。編集部への不満などが無かったわけではありませんが、それを書いたところで、一体何に反映されるというのでしょうか。それよりも私個人がどのようにゲームクエストを利用し楽しんできたかを突き詰めた方が、読んで下さっている方々にとって参考になるかもしれないし、何よりこのブログの編集方針として活かすことができるでしょう。では私個人が感じていたゲームクエストの意義はどのようなものだったでしょうか。
ブログやTwitterなどがこれだけ普及してきて、ゲームクエストにわざわざ投稿してまでゲームを語るなんてのは時代遅れであり、そもそもゲームクエストの寿命だったのでしょう。ただ、毎日の担当日記によって投稿者一人一人のキャラクターが閲覧者に意識されるようなサイト作りは独特で、そのようなゲームレビューサイトを私は他に知りません。その結果としてゲームの良い点や悪い点を羅列するだけではないサイトになっていたのは間違いありません。「そんな投稿者のキャラなんてどうでもいい」と思うか「面白い視点を持った人だなあ」と思うかで得られる情報も変わってきたと考えられます。ゲームの善し悪しが知りたいだけなら情報はいくらでもあります。ですが、自分とは異なる感性を持つ投稿者の文章を読んで、興味の対象が広がるような感覚がゲームクエストにはあったのです。「ゲームについての情報」と同等に「ゲームへの視点についての情報」を私は得ていたのです。
一方、私がゲームクエストを通じて情報発信する側の場合の姿勢として、できるだけゲームの楽しい部分を示して褒めようとしてきました。なぜなら皆でゲームを楽しみたいからです。欠点を示さないのは公正ではないと考える人もいるかもしれません。ですが全員が全員わざわざゲームの欠点を挙げつらった結果、今までそんなこと気にしていなかった人にまで欠点として刷り込んでしまったとしたらどうでしょう。それは「目が肥えた」と言えるのでしょうか。私には「目が濁った」としか思えません。もちろんこれは私個人の立場なだけであって、ゲームへの批判を否定するものではありません。まさに「そういう視点もある」ということを示したかったのでした。
ゲームに対する「客観的で公正なレビュー」って最も大事なことでしょうか? もちろんゲームに関係ないウソを書くのはいけませんが、「グラフィックが並以上」とか「操作性が劣悪」とか「有名声優を起用」とか「難易度が高い」とか、そんなことはおまけ程度に書いておけばいいのです。どうせ誰が書いたって似たり寄ったりだろうし、そういう点数を付けるようなレビューサイトは他にもあるからです。私にとって大事なのは、通信簿の五段階評価などでは知り得ない、プレイヤーがどれだけ楽しんだのか、どのように楽しんだのか、でした。つまり、プレイヤーの主観が重要でした。客観的意見よりも、自らの体験を思い入れでデコった主観的な「駄文」の方が遥かに読む意義があったのでした。
以上が、「駄文ばかり」と揶揄されたゲームクエストを私が読みあさり、あまつさえ投稿までした理由です。ちょっと投稿文の傾向がいろんな方面に偏っていたのは自覚していますが、ゲーム語りの風潮を見渡して全体のバランスを取れないかと模索しながらのものでした。だから当時も極端な語り口を反省していたのですが、ブログとして記事を単体で読んでみると「何これ?」というのが多くて赤面ものです。いかに時代と場所に寄りかかっていたか、ということがあからさまに見えます。いや~恥ずかしい。
ゲームクエスト終了の理由として、私を含めた常連が調子に乗りすぎて幅を利かせ、新規投稿者の参入を阻んでしまったからという可能性も否定できません。ただそれはゲームクエストを独占して私物化しようという意図があったからではありません。一投稿者として断言しますが、投稿者は他の人の感想文に影響され、新たな切り口や関係性を探り、その上でゲーム好き同士として交流したかっただけなのです。勝手な言い分だとはわかっておりますが、投稿者達にはそういう思いがあったということを閲覧されていた方々に理解していただけると有り難いです。
ところで、この記事をここまで書いてきて、ゲームクエスト投稿時のテンションが戻ってきていることに気づきました。このテンション疲れるんですね。だから月一くらいの投稿ペースだったわけですが。さて、これからが大変です。ここまで書いた以上、このテンションでゲームに関する「主観的駄文」を書き続ける責任が私に発生したからです。頑張らないといけません。
最後に、こうしてブログとしてまとめることになって、ゲームクエストのサイト上では叶わなかった他の投稿者の皆さんとの交流が持てたことは何よりの喜びでした。いつもコメントを下さっている甘茶さま、フーテンのドラ息子(どらお)さま、漫研(manken99)さまにはお礼を申し上げます。また「ゲームクエスト」等の検索で来ていただいた方々も、また訪問していただけると嬉しく思います。
再録が終わったらゲームクエストなるものの総括をここでしようかと考えていました。ですが考えれば考えるほど総括する意義が見いだせなくなりました。なんせ当のゲームクエストは一部のアーカイブを残してこの世に無いわけです。編集部への不満などが無かったわけではありませんが、それを書いたところで、一体何に反映されるというのでしょうか。それよりも私個人がどのようにゲームクエストを利用し楽しんできたかを突き詰めた方が、読んで下さっている方々にとって参考になるかもしれないし、何よりこのブログの編集方針として活かすことができるでしょう。では私個人が感じていたゲームクエストの意義はどのようなものだったでしょうか。
ブログやTwitterなどがこれだけ普及してきて、ゲームクエストにわざわざ投稿してまでゲームを語るなんてのは時代遅れであり、そもそもゲームクエストの寿命だったのでしょう。ただ、毎日の担当日記によって投稿者一人一人のキャラクターが閲覧者に意識されるようなサイト作りは独特で、そのようなゲームレビューサイトを私は他に知りません。その結果としてゲームの良い点や悪い点を羅列するだけではないサイトになっていたのは間違いありません。「そんな投稿者のキャラなんてどうでもいい」と思うか「面白い視点を持った人だなあ」と思うかで得られる情報も変わってきたと考えられます。ゲームの善し悪しが知りたいだけなら情報はいくらでもあります。ですが、自分とは異なる感性を持つ投稿者の文章を読んで、興味の対象が広がるような感覚がゲームクエストにはあったのです。「ゲームについての情報」と同等に「ゲームへの視点についての情報」を私は得ていたのです。
一方、私がゲームクエストを通じて情報発信する側の場合の姿勢として、できるだけゲームの楽しい部分を示して褒めようとしてきました。なぜなら皆でゲームを楽しみたいからです。欠点を示さないのは公正ではないと考える人もいるかもしれません。ですが全員が全員わざわざゲームの欠点を挙げつらった結果、今までそんなこと気にしていなかった人にまで欠点として刷り込んでしまったとしたらどうでしょう。それは「目が肥えた」と言えるのでしょうか。私には「目が濁った」としか思えません。もちろんこれは私個人の立場なだけであって、ゲームへの批判を否定するものではありません。まさに「そういう視点もある」ということを示したかったのでした。
ゲームに対する「客観的で公正なレビュー」って最も大事なことでしょうか? もちろんゲームに関係ないウソを書くのはいけませんが、「グラフィックが並以上」とか「操作性が劣悪」とか「有名声優を起用」とか「難易度が高い」とか、そんなことはおまけ程度に書いておけばいいのです。どうせ誰が書いたって似たり寄ったりだろうし、そういう点数を付けるようなレビューサイトは他にもあるからです。私にとって大事なのは、通信簿の五段階評価などでは知り得ない、プレイヤーがどれだけ楽しんだのか、どのように楽しんだのか、でした。つまり、プレイヤーの主観が重要でした。客観的意見よりも、自らの体験を思い入れでデコった主観的な「駄文」の方が遥かに読む意義があったのでした。
以上が、「駄文ばかり」と揶揄されたゲームクエストを私が読みあさり、あまつさえ投稿までした理由です。ちょっと投稿文の傾向がいろんな方面に偏っていたのは自覚していますが、ゲーム語りの風潮を見渡して全体のバランスを取れないかと模索しながらのものでした。だから当時も極端な語り口を反省していたのですが、ブログとして記事を単体で読んでみると「何これ?」というのが多くて赤面ものです。いかに時代と場所に寄りかかっていたか、ということがあからさまに見えます。いや~恥ずかしい。
ゲームクエスト終了の理由として、私を含めた常連が調子に乗りすぎて幅を利かせ、新規投稿者の参入を阻んでしまったからという可能性も否定できません。ただそれはゲームクエストを独占して私物化しようという意図があったからではありません。一投稿者として断言しますが、投稿者は他の人の感想文に影響され、新たな切り口や関係性を探り、その上でゲーム好き同士として交流したかっただけなのです。勝手な言い分だとはわかっておりますが、投稿者達にはそういう思いがあったということを閲覧されていた方々に理解していただけると有り難いです。
ところで、この記事をここまで書いてきて、ゲームクエスト投稿時のテンションが戻ってきていることに気づきました。このテンション疲れるんですね。だから月一くらいの投稿ペースだったわけですが。さて、これからが大変です。ここまで書いた以上、このテンションでゲームに関する「主観的駄文」を書き続ける責任が私に発生したからです。頑張らないといけません。
最後に、こうしてブログとしてまとめることになって、ゲームクエストのサイト上では叶わなかった他の投稿者の皆さんとの交流が持てたことは何よりの喜びでした。いつもコメントを下さっている甘茶さま、フーテンのドラ息子(どらお)さま、漫研(manken99)さまにはお礼を申し上げます。また「ゲームクエスト」等の検索で来ていただいた方々も、また訪問していただけると嬉しく思います。
自分のゲームブログも紹介部分を除けると
まさにその通りだと思います。
何と言ってもその方が書いていて面白いので
ちゃんと続くような気がします。
逆に周囲の反応を気にして書いたけど
期待したような反応が無くて
じきにやめちゃったみたいなブログは多いですし。
というわけで
独りよがりのリミッターにだけは気をつけつつ
自分が楽しんで読んだ方も気に入ってくれたら最高
くらいに思ってやっております。
おかもろ(再)さんの場合は
理系で音楽演奏経験者という独自の視点・強みがあって
ネットでもあまり見かけないタイプの
良い意味でユニークな感想文だと思いますよ。
なので
今後も無理のないペースで楽しませてくださいませ。
すいません(汗)。
ゲームクエストでは感想文が文章として優れているかどうかよりも
文章からにじみ出る人間性、人となりを感じて
いろんな人がゲームを楽しんでるんだなと面白がってました。
そういう所は
(ゲームを買う参考にするにはむしろ優れている)
mk2などにも真似できない部分だったんじゃないかと
思っております。
「グラフィック」「操作性」「有名声優」のくだりでは、当方の感想文のスタンスが批判されている様な気持になり、大いに自戒しなければならないと思いました。独りよがりが読み手を不快にさせるという意識を持たないといけないと思いつつ、相変わらずのブログ運営です。この辺のサジ加減が大変難しいものだと本エントリーを読ませて頂いて強く思いました。
過去に投稿したゲーム感想文のストックが無くなると、あとは書き下ろししかなくなる訳で、それを恐れて当方は姑息にも小出し小出しにしているのですが、おかもろさんはその様な出し惜しみが無く、その辺も感心しています。今後は大変な作業だと思われますが、可能な範囲で結構ですので頑張って下さい。いち愛読者として応援しています。
投稿サイトが個人のブログと決定的に違う点は「他の人の文章と一緒に掲載される」という点であり、直接的な交流は無くても、投稿者も担当者も皆「ゲームが好きだ」という確固たる共通点がある訳で、その一点が最大の拠り所となって、意識していなくとも、知らず知らず他の人々に対して親近感を持つ事に繋がっていたのだと思います。私もゲームクエストには色々と不満もあったものの、点数や良い点・悪い点を必ず全て記入しなければならないといった「作業」を強制される様な事は無く、一言程度の簡単な文章だろうが長文だろうが、不平不満が中心だろうがネタバレし過ぎていようが、投稿者の正直な意見をそのまま受け入れてくれた事は、同時に各投稿者の多様な個性をも受け入れてくれたという事であり、逆に自分自身が他の投稿者の個性を受け入れる事で、視野を広げる事に繋がっていた事は間違い無いと思います。
ゲームクエストは無くなってしまいましたが、そういったゲームを愛する気持ちが伝わってくる様な感想を、これからも読み続けたいし、自分も出来れば書いていきたいものだと思っています。
どらおさま
やはりゲームを楽しむというのは主観的な行為だから、感想を書くのも楽しみたいですね。そうでないと、間違いなく読まれる方も楽しめないわけですし。ゲームクエストに関しても、「ゲーム購入の判断材料にならない」と言われるとつらいのですが、投稿文は投稿者のキャラと不可分のところがあったために情報の読み取り方が間接的だったのが理由かもしれません。対してmk2などでは直接的で、ピンポイントに知りたい情報がある場合には有効でした。どちらのスタンスに意味があるか、なんてことはナンセンスですよね。
甘茶さま
ゲームクエスト完全消滅はわたしもショックでした。閲覧だけでも可能にしてくれれば良かったのではと感じました。それが無理でも投稿者に対する何らかのサポートくらいあっても良かったのですが。感想文のスタンスについては、私は以前より「プレイ自慢」がその本質だろうと考えております。だから「バイオハザードを100回クリアした」と言い切れる方の文章こそ拝聴に値する信頼できるものであるし、プレイヤーの本気を感じさせるものだと注目しております。
漫研さま
ゲームクエスト以外のmk2などのサイトでは、このゲームの評判はどうなのかという検索はしても、この投稿者はどんなことを書いているかという調べ方はしませんよね。ゲームクエストなら、それまで興味がなかったゲームでも、気になる投稿者を通じて購入意欲が湧くことも多くありました。キャラを出すことを厭わないゲームクエスト投稿者とゲームの情報を必要としていた閲覧者を隔てていた意識の壁が、ひょっとしたらそこにあったのかもしれません。
勢いよくスベるネタ、暴発するタメ口の大行進。それも確かに、ゲークエ取材員と
気安い間柄にある常連たちにとっては個性の表現なのかも知れない。但し、蓮實重
彦の映画批評同様、ゲーム感想をエッセイやネタ風味にして脚色したり単純化する手
法は(譬えそれが面白かったとしても)、ゲーム自体の面白さではなく、書き手の個
性や表現力に属することです。そして、それは時として、書き手のことが好きか
嫌いかという別の問題にも転化し得ます。
誰しも、そして必ずしも”オタク的教養”を背景として貴サイトを訪れている訳で
はない。ところが、そうした背景がなければ通じない冗談やネタを強要される都度、
そんな投稿を読んでいて酷く興味を削がれます。
そう、私は幼稚な彼らと友達になりたくて貴サイトを覗くわけではない。
これは、もう五年以上前、編集部宛てに私が書いた苦情の要旨です。「おかもろ(再)」さんの仰ることと同じ事実を指しています。ただ、そこから導かれる解釈は異なりますね。
これを書いた当時、その動機の背景には、「四百字で落とせる話を『わざわざ二千字を超えて書く行為は』、伝えたいという情熱か、或いは自己顕示欲に根差した占有か? 四百字の内容は四百字で落とすからこそ、意味がある」という点への、強い不信がありました。やはり読み手があっての投稿文サイト、そして「わざわざ忙しい中、拙文を読んで戴く」という点から、常連の一部は礼節としての他者意識を欠いたという点は動かない。そして、それは『ゲームクエスト』が”主観的駄文”によるゲーム語り、そこにその独自性を持つという話とは次元が別である、そう捉えています。
「作意を以って詩情を催す」(確か)。これは技巧に走り、言うべき事もなければ取るべき視点・立場もなく、字面のつじつま合せに愚考を巡らせる矛盾(手段の自己目的化)を衝いた、そんな漱石の自嘲です。
読書歴も違えば生育歴も違う、そうした人生観も価値観も違う人間同士が集まる場所で主張を公にするのなら、二千字なら二千字で「しか」扱えない視点を提起する、それが基本だろうと思います。だが、少なくとも私は、彼らが自主的にやっていたお遊びが、素人や暇人の書く以上のエンタメとは受取りようがなかった(他にも、当該投稿欄で既出、そうしたゲームの基本システムに関する説明を”読んでいない体で”一から始めると言った、常連の長文は、閲覧者に向けても、そして先着投稿者に対しても傍若無人と映ることが、しばしばあった)。
つまり、ゲーム消費者向けの口コミ情報として役に立つか否か、それ以前に書き手・成人として成熟しない、そして独善の度合い、主張が「余りに無責任である」、だから腹に据えかねて編集部に意見した訳です。
ところで、「おかもろ(再)」さんから以前、私宛に戴いた返信の中に、投稿を呼び込めなかった点について、ご自身の力不足に触れていました。しかし、どうでしょうか。私は、私とは別人格である「おかもろ(再)」さんのシューターとしての思考(と嗜好)の経路、或いはクラシックや地質調査というご専門から書かれたタイトルの評価に門外漢として興味はあっても、少なくとも、自らSTGや音ゲーに手を出す事はしません。
それは例えば、「おかもろ(再)」さんがサッカーやバスケ、或いは球技全般に全く関心がなかったとして、お気に入り投稿者の感想を読んだ程度ではその嗜好に影響される処がない、と言うのと同じ事でしょう。しかし、説得、論証という立場で余り夢中になりすぎて”嗜好”を語りだすと、「それは場合に依っては」価値観の押しつけとなります(「おかもろ[再]」さんを指しませんが、一般によく聞く「オタク趣味は普遍的世界文化」、そうした立場からの主張も、やはり嗜好の問題です)。
と言うのは、以前、私は「おかもろ(再)」さんが、ギャルとオタクの間の鍔迫り合いを冗談にしてる投稿を読んだことがあった。でも、通常ぎゃるの眼中にはオタクは居ない。そしてゲーマーやガンヲタというのは、世間的にはギャルよりマイナーじゃないのか、と不思議に感じました。何よりオタクとしての優位性からギャルを”論破”しようとする、そうした「おかもろ(再)」さんの口ぶりには読後感として余りいい感じはしなかった(別に、ぎゃるの友達が居る訳でも、彼らのスタイルが好きな訳でもありませんが……いや、寧ろ嫌いな方です)。つまりは、こうした感情的好悪に加えた、趣味、嗜好と言うのはそもそも、合理性や議論を通して決着を図る問題では無い。
しかし、こうした話を、オタク仕様のエンタメにして世間を”呼び込もう”として失敗したのが、『ゲームクエスト』投稿者による自分語りであり長文化に他ならない。その意味で、この本文で「おかもろ(再)」さんが書かれている話は、若干、贔屓の引き倒しがありはしないか、そんな風に見ています(無論、ゲーム語りという点で、私も「K21」さんのコラムや投稿文はよく読んでいたけど、やはり中期以降の投稿者、サイト没落を語る上では一般化できない相談だと感じます)。
ネット上、素人や暇人にも等しく発言の機会がある、それはその通りです。拙い文章だろうと、そこに素直な気持ちが綴られていれば、それは修辞に走った文筆家の文章よりも、時に、読み手に取って共感や読後感として訴えかける真実が残る。しかし、内心では詰まらないと感じているようなソフトにまで、熱く踊らされたフリだけする、或いは業界を憂いるゲーム愛好家が一般紙の読者欄では採用されない筋違いの”考察”を書き継いでいれば、結果的には素朴な感想の書き手や、彼ら以上に書ける閲覧者はやがてサイトを見るもしなくなる(私の周囲にそういう人が現実に何人か居ます)。
その意味で、やはり『ゲームクエスト』は新聞社として、読者投稿欄ていどの採用基準を設けて然るべきだった、そう思えてなりません(余談の序で、ですが、「もし」ご存知でなければ中世スペイン史に関しては『アラブが見た十字軍』を手に取られると、西洋中心の史観とは別の解釈があって”目から鱗”の面白さがあること請け合いです)。
”主観的駄文”を長々と、誠に申し訳ありません……では失礼致します。
その上で…、大変失礼を承知で申し上げたいことがございます。陸曹候補生さまよりいただいた二度のコメント、および同様の主張の2chの例のスレでのやり取りをまとめてみます。
「自分はオタク教養が無く、オタク連中に歩み寄るつもりはない。
新聞社のサイトは格調高くあるべきで、オタク記事はけしからん。
オタク性を排除するために編集部は常連達を指導するべきである。」
このように言っているように感じられます。このことは逆の方向でゲームクエストの私物化ととられかねない主張のように思われます。読み手のことを考えて文章を書くというのはもちろん当然すぎる意識ですが、読み手の意識が肥大化し、「読み手=オレ様」になるのはあまりにも行き過ぎで、傲慢です。もちろん陸曹候補生さまがそのような意識であるとは思いません。ですが、もし読み手のことをもう少し考慮していただけたならば、誤解の無いような別の表現になっていた、とは考えられないでしょうか。「オタクを強要するな」と「オタク排除を強要するな」という両者は同等のものであるべきです。
混ぜっ返すようなことをしてしまい、申し訳ございません。思考実験の一種として軽くスルーしていただければ幸いです。また、「アラブが見た十字軍」についてはぜひ購入したいと思います。
第一。私は、新聞が格調高いとは全く考えていない。読者の声欄への言及は、意見表明、文章表現上さしあたっての”一般常識(最低線)”として、便宜上挙げました。字数にしても社会・公共性を帯びた紙面上、千五百字を越えれば、それは専門家向けに割り当てられる事が多いのはご存知の通りです。従い、杓子定規な新聞社の内容物として「ゲームをダシするだけで、素人が野放図に発言できる二重基準は怪しからんだろう」、との批判はあっても、品性云々の話ではない。
先の、常連への言及では一般化に留めています。そしてそれは、編集部との狭い関係性(或いは、既存漫画やアニメの劣化複製、お約束を拝借したノリの模倣)を盾に、即ち、場の居心地の良さに”寄り掛かり”、ゲーム感想とは関連しない自己表現を書いてらした常連御歴々の「行過ぎを」念頭に置いています。勿論、デコった文章を書くのは結構だけど、但し我々はサブカル批評家や専門家、まして学識を有する漱石でもない。そうである以上「公私の別、礼節は幾らか必要では」、その多言の責を指摘しています。主張内容(オタク性)とは殆ど関係が無い。
確かにサイト衰退の説明として、その”おもてなし”精神が不興を買った原因かどうかを立証する事は既にできません。長話を書いていた方々が、例外なくオタク臭を発していたといっても、偶然の一致、オタク価値に敵対する観察者による恣意性と見る事も可能です。また「サイトの寿命」と時代性に関連付け、彼らの投稿姿勢を控え目な扱いを通し片付けるのは容易いかも知れない。しかし上記、少なくとも”俺様”とは、読み手の傲慢さの方ではない、と私は考えています。
第二。論破、との、カギカッコ入りの言葉を使いました。私の不明瞭な言葉に補足すれば、例えば、「おかもろ(再)」さんは持論を展開するに臨んで論理的な穴がないか、常に周到な文案の作成をされています(証明、実証)。しかし、それはゲームという小さな枠内では正しく機能しようとも、社会や風俗文化を語る尺度・枠組みとして、理論モデルとしては万能でない場合「も」あります。ギャルとの接点は一例に過ぎませんが、ただ、ギャルの服飾文化(や本能的な即物性)にせよ、ゲーム趣味と同じく嗜好の話です。ですから、語り口も含めた、論証と言う姿勢が前のめりに「過ぎれば」、時にそれは、書き手の意図を離れた押しつけがましさ(正当性を主張する過程で生じる意図せぬ価値の否定、或いは強要)にも繋がる、つまりは誤解を受けかねない話ではないか、と指摘しました。
無論「おかもろ(再)」さんは考え方の手順を説明する事ができます。従って、私は嗜好は違っても、好奇心を引く思考パズル、お説として拝聴する事ができます。しかし、もっと直截的な書き手が、それも訓練されていない筆致でオタク趣味を滔滔と語った場合は如何でしょう。学校時代、そしていつの時代も、オタク趣味が世代を語る上で普遍性を持った洗練的価値、だったでしょうか。
さておき、何かを分析・観察の比較対照として相対化する事、客観性が導入される事が、対象の滑稽化や権威の否定に繋がるのは議論や学問の常です。そして、好きだからしょうがないとの主観の話であれば、幾ら一方が合理的に視点を説明できても対話として馴染まない場合もある、その点を書いたつもりです。
とは言え”自説の正当性を主張する余りの他者否定と不寛容”を説きながら、私自身が、覚えずそうした凶悪な事を書いていたのでは話になりませんね……。
つまり、キモい(ダサい・寒い)だのとオタク趣味への罵倒を初めに無神経に文章にした事を含めて、「おかもろ(再)」さんに猜疑心を抱かせるに到ったのは、私の落ち度です。文章表現としても明らかに思慮を欠きます。また、こちらに書くのは二度目の新参者だった訳ですが、時折ブログを覗く他に、何年にも亘り投稿を拝見していた事もあり、初対面である「おかもろ(再)」さんには了解の無い処で不意を衝く非礼があった、その不遜をお詫び致します。つまり、こちらの勝手な了見に「寄り掛かった馴れ々しさ(内面に踏込んだ事を言い過ぎる)」、を通して排他性と受取られる物言いがあったかと思います。どうも申し訳ありませんでした。
しかし、悪意やオタク価値への偏見、排斥意識からこうした駄文を長々と書いた訳ではありません。そして、「おかもろ(再)」さん対しては、今回も含めて、一回目に書き込んだ気持ちと一貫して同じ印象で接しているつもりです。
最後に、他意はありませんが、思考実験の一種だとしても、ならば、正しい基礎データを使って精緻な実験結果を得た上、ブログ更新、その推進力として活かして戴ければ幸い、そう思います(ええ、理屈が先行する事は多々あっても、真意としては激励しているつもりなんです、当人的には……)。
伊勢路からのご帰還、心機一転の骨休めの小旅行で何よりでした。
では失礼。
以上。
参考になるかわかりませんが、一点だけお話しさせてください。ひょっとしたら当たり前すぎる話かもしれませんが。
主観・客観の議論がありました。自然科学の分野で十数年間にわたって論文を作成する身であった私にとって、客観性とは空気のように大切なものです。そしてもちろんゲーム語りにおいても客観性は重要です。
ですが、客観的視点だけでは、最後の一点がどうしても突破できないのです。「面白い」とか「気持ちいい」とか「ドキドキする」という主観的な感覚は、どういう状況でそうなるかは分析できても、感覚そのものを分析・記述することはできません。テトリスでブロックが一列そろって消える、と言われても、「それの何が面白いの?」としか感じないでしょう。
私を含めゲームを語る者は、その最後の一点を突破するために、特定のエピソードでの状況を説明したり、意表をついた喩え話を持ち出したり、プレイしている自らの滑稽さを語ったり、などの様々な足掻きをしているのです。私達はこのようなある意味無駄な努力の成果を「主観的駄文」と認識しています。他社の存在を無視して自己完結した理屈を「主観」と称しているわけではないという点だけご理解いただければ、私達も救われる思いです。
もしかしたら、私はそういう「科学では説明できない」ものに挑戦するためにゲーム語りなんてことをしているのかもしれませんね(そんなにかっこいいものではないか…)。