ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:
・交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱」
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ソプラノ:エリザベート・シュワルツコップ
メゾ・ソプラノ:マルガ・ヘフゲン
テノール:エルンスト・ヘフリガー
バス:オットー・エーデルマン
フィルハーモニア管弦楽団
エコー・インダストリー: ECC-617
人類の至宝であろうベートーヴェンの「第九」。この曲以降の作曲家達は交響曲というジャンルでいったいどんな音楽を作ればいいのかわからなくなったという音楽界の「バブル崩壊」。交響曲を九つ作った作曲家は死んでしまうと恐れられたという「呪い」。とにかく当時としては規格外の異常な作品で、その後の音楽の方向性を決定づけた(というか見失わせた)曲であります。またCD一枚の録音時間は「第九」の演奏時間に基づいて設定されており、産業にまで影響を与えた「音楽」の代名詞とも言えましょう。
そんな私はこの第九に一切の思い入れがありません。年末に一度も聴いたこともありません。このディスクだっていつもの安物です。この中学生が描いたようなジャケット絵も実に安っぽい。指揮はカラヤンですが、録音は1956年と古くモノラル録音です。が、なんとなく名演でも聴いているような雰囲気で、それはそれで悪くありませんけど。実際に名演かどうかは知りませんが。
この曲は「歓喜の歌」と言われる合唱付きの第4楽章は誰でも歌えるほど有名ですが、第3楽章までの音楽ははっきり言って何をやっているのかわかりません。確かにものすごく作り込んでいるのはわかるのですが、何というか、音楽を作るために無理矢理作った音楽に聴こえるのです。しかもやたら長いときた。第4楽章だけが場違いなほどわかりやすいのです。
これについて何かの本で読んだのですが、真面目くさって作った第3楽章までの音楽を全て否定して第4楽章で馬鹿騒ぎをしようという音楽なのだ、という解釈があるらしいのです。私にも確かにそのように聴こえます。第4楽章の冒頭で各楽章の回想をしながら「いや、そうじゃない」と言っているようです。つまり第3楽章までの音楽は否定されるために無理矢理作られた(という設定の)音楽なのです。まあ思い入れの無い私が何を言っても人の受け売りでしかないから、聴く人が聴けば世界の創造から人類愛までを感じる事ができるのかもしれません。
さてここからが本題ですが、何十年も前から感じていたのですが、第九の「歓喜の歌」と「魔法使いサリー」の主題歌には共通点があるように思えるのです。下に歌詞を書きましたが(カタカナ表記では音符一つあたりの発音を「・」の記号で分割)、このフレーズで最も盛り上がる瞬間は赤字で示した「geteilt」の「teilt」の部分でしょう。
Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium!
フロイ・デー・シェー・ネル・ゲッ・テル・フン・ケン・トホ・テル・アウス・エー・リー・ズィ・ウム
Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum!
ヴィル・べト・レー・テン・フォイ・エル・トゥルン・ケン・ヒム・リッ・シェ・ダイン・ハーイ・リヒ・トゥム
Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt,
ダイ・ネー・ツァウ・ベル・ビン・デン・ヴィー・デル・ヴァス・ディー・モー・デ・シュトレング・ゲー・タイルト
alle Menschen werden Brüder, Wo dein sanfter Flügel weilt.
アー・レー・メン・シェン・ヴェル・デン・ブリュー・デル・ヴォー・ダイン・ザンフ・テル・フリュー・ゲル・ヴァイルト
一方、「魔法使いサリー」での最高潮の瞬間は、赤字で示した「の」だと感じます。
不思議な力で 町中に 夢と笑いを ふりまくの
つまり、音楽の盛り上がりには音程も上がっていくのが普通なのに、第九もサリーも最高潮の瞬間に音程が極めて下がっている、という珍しい共通点があると私は感じていたのです。さすが小林亜星! ベートーヴェンに並ぶ作曲家と言って過言ではありませんね!
動画はカラヤンとベルリンフィルの第4楽章。私が好きな部分は下の動画の1:37あたりから。巨大な塔を積み上げていくような音楽で、一区切りした直後にそのてっぺんで流れる「歓喜の歌」。ここはなかなか熱くなりますね。
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