一日中 晴れでした。気温は午後6時頃で14℃です。寒くは感じません。湿度は
77%ぐらいですから乾燥している状態では無いと思います。
タマネギに、寒さよけの不織布掛けをしました。どれくらい寒さを緩和出来るのかは
分かりませんが、上に物があると霜が降り憎いですので、その効果はあるでしょうね。
霜の朝でも掛けてない所よりは寒さが穏やかということに?
閉じ籠っているのも気持ちがスッキリしないので、何処か遠くない所に行って歩こうか、
ということになりました。
と言うことで、思い浮かんだのが笠間市。市内の散策には良い所です。
大きなお稲荷さん(稲荷神社)が鎮座されていることで有名です。人出はけっこうあ
りました。参拝するには、ちょっとした行列が出来ていました。
大石内蔵助の像
此処は、その昔に、あの有名な江戸城は殿中松の廊下で刃傷沙汰を起こした、赤穂藩の
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の祖先が藩主として治めていた町です。此の後に
今の兵庫県の赤穗に国替えになったということです。
大きな駐車場に車を駐めると、近くに上の銅像があります。この銅像は、内匠頭が切腹を
した後に、家来の47人が敵討ちをしたことは世に知られた話ですが、その侍たちを
率いたのが家老であった大石内蔵助ということは、よく知られたことですが、この
像はその大石内蔵助です。彼の祖先の屋敷が此処にあったという事で銅像が建てられた
そうです。
少し詳しく言いますと、浅野藩の祖先の浅野長政は豊臣秀吉の元で五奉行の一人と
して活躍していましたが、徳川家康が政権を取った後に今の茨城県の真壁と言う
所に領地をもらったそうです。家康も五奉行の一人だったそうですが、彼は家康と
仲が良かったそうです。
その後、浅野家の領地は今の笠間の笠間藩に変わり、そしてまた子孫は赤穗に
国替えになったのだそうです。まさにその赤穗藩主になった浅野家の数代あとの
殿様である内匠頭(たくみのかみ)が事件を起こしたというややこしい経歴が
あります。
また、その広島には同じ浅野家の流れの別の藩主である浅野家があったそうです。
これまたややこしい話になりますが、このブログは歴史ブログではありません
ので、関心のある方はどうぞ調べてみて下さい。