お昼はあったかものでも・・ おっ! お蕎麦屋さん、音威子府産だそうです。
入りましょう。気温にかかわらずそばは冷!
セットの鶏カツ丼はあっさりしてるけど・・食べ過ぎかな~?
(阪急服部天神 一笑庵)
音威子府(おといねっぷ)、いい響きですね。
確かそばは名産だったかと・・
その昔、JRがJNRつまり国鉄で真っ赤だった頃、特に北海道と九州って路線図がぐちゃぐちゃだったんですよね。
盲腸線や線路間をつなぐ短い線、よほど良く調べておかないと乗れなくて途方にくれるような・・時刻表にもおまけ程度って感じで載っていて、それでいてすべてとか。
学生時代一人旅だったのでお気楽でしたが、時間を追ってという旅だったら相当酷だったかと。
それでも夏休みの期間って結構地元外の客が乗っていた記憶です。
音威子府、そんな鉄道網の一部、宗谷本線(存続中)と天北線(廃線)の分岐だった駅です。
夜行急行で通過したので印象はありません。むしろ車中、手洗いに行くのに靴を咥えてボックスシートのひじ掛けを伝う大混みの悪夢、いまにしてみれば笑い・・だけ。
宗谷本線で稚内、それから天北線で浜頓別乗り換え興浜北線、南線とオホーツク沿岸を南下する、そんなことも考えたんですが、ひま人にしても時間、ダイヤが許さなかった気がします。
そんなこんなも今は全くすっきりし過ぎた北海道です。(例外あるかもと思いますが、青い線は現在無い線でよさそうです)
“見切れない、再訪を!” と思いながらも・・遠い地となっています。
路線図は当時の未来図。興浜線(興部~浜頓別)や留萌本線のようにつながっていなかった未成区間もつなげて描かれている。
当時の国鉄人の鉄道ネットワーク構築の熱が見える。