南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

カタリうるもの

2006年11月29日 21時19分58秒 | 本日の名セリフ
語りえぬものについては、沈黙しなくてはならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン



ここ数週間、学校でのいじめについて語ることが流行っている。
TVのニュースやワイドショー番組では深刻ぶったTV局員やタレントの類、インターネットにおいては《識者》と呼ばれるカタガキ付きの輩から、有象無象の一般大衆に至るまでが、ここぞとばかりに語っている。あるいは騙っている
幾つか例を挙げてその無知さ加減を断罪してやろうかとも思ったが、ひとつふたつ眺めただけで怒るよりも哀しくなってしまった。
彼(あるいは彼女)らは、問題の根源を理解していない。考えようとしていない。根源があるとも思っていない。
ただただ、流行っているから自分もひとくち乗っておこうという浅ましい根性だけでかたっているのだ。

やれやれ、だ。

もういい加減にしてもらえませんか? と思う。
カタガキ付きはカタガキ付きなりに、有象無象は有象無象なりに、自分本来の問題に取り組んでもらえませんか、と思う。
文部科学省の統計がどう算出されようと、イワユル学校でのいじめは、最近現れたものでもなけりゃ増えたものでもない。
流行の踊りを踊りたいんなら、別の、もうちょっと悲惨じゃない踊りを選んだらどうですか、と思う。
例えば、談合問題とかね。
あれだったら、政治家や官僚を馬鹿呼ばわりできますよ、と。そういうの、大好きでしょ。

冒頭のヴィトゲンシュタインの言葉は、『論理哲学論考』の最後の一節(要するに、結論か)であるが、実は、オレはそんな大それたものは読んでいない。
永井 均の『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩書房[ちくま新書], 1995年)からの引用である。
もしオレがウィトゲンシュタインの著作をナマで(むろん日本語訳で)読むような人間だったら、おそらく、とっくに自殺していたはずで、
いーかげんなヤツでヨカッタなぁと、今夜は祝杯をあげることにしよう。

あ、最後にヒトコトだけ。
いじめっていう言葉は、かるーいニュアンスにすることで問題をゴマ化そうとしているような気がするんで、オレのアタマの中では、集団によるシステム的虐待と変換するようになっています。
その事については、ちゃんと語れるオレなんで。

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1 コメント

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たぶん ()
2006-11-30 09:06:32
大昔から 人が群れる所には必ずこのことはあったはずです。議員さんたちの中でもあるし、主婦たちの中でも・・。ただ今と昔と違うのは、必ずかばってくれる「味方」が登場したんですよね。いじめっ子、いじめられっ子・・両方とも愛すべき人間なんですよね。
多数の論理を正義とするのは民主主義の末路、断末魔に思えて仕方がないのですが・・・。
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