人生をひらく東洋思想からの伝言

東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第126回 『シャボン玉飛んだ』(野口雨情)

2024年02月19日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第126回

『シャボン玉飛んだ』(野口雨情)


昭和を代表する日本の指導者でおられた安岡正篤先生のお言葉を、

わかりやすく語りかけてくるような感覚で、あたたかい文章にしてくださった神渡良平さんが書かれた

私の大好きな本にある、とても心に沁みるお話をひとつご紹介させて頂きます。



みなさん一度は聞いたことがあると思う歌ですが、

『シャボン玉』という歌の意味や背景やお聞きになったことがありますか?


『シャボン玉』


シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ

屋根まで飛んで  こわれて消えた


シャボン玉飛んだ 飛ばずに消えた

生まれてすぐに  こわれて消えた


風、風、吹くな  シャボン玉飛ばそ



私も最初は、シャボン玉を飛ばして遊んでいる

幸せな子供たちの情景を歌った歌だとばかり思っていました。

ところがそうではありませんでした

実は、1人の父親が、

「お父さんは諦めないぞ。お前の代わりに良い仕事をさせてもらうからな。

どうか天国からお父さんを支え、励ましてくれ」とうたった決意の歌だったのです。

実はその決意には、こんな背景がありました。

この歌の作者は、野口雨情(うじょう)さんという方です。


明治15年(1882年)に茨城県で生まれ、

少年時代から文学的素養にとんだ方だったようで、

早くから詩人として世の中に登場したいと思っていました。

仲間の詩人たちは、新分野雑誌に原稿を書き、ラジオに登場するなど、

どんどん頭角を現していきましたが、彼ばかりは鳴かず飛ばずの状態が続きました。

とうとう諦め、樺太に渡って商売を始めたそうですが、

その商売が行き詰まり、夜逃げして北海道に逃げて帰ってきて、

小樽で小さな新聞社に入ることになります。

ただ、そこでもいろいろと思うようにいかずに思い悩んでいました

そんな時に、はじめてのお子さんを授かりました。女の子でした。

しかし、その子が高熱を発し、一週間持たずに、天国へ召されていってしまったのです。

野口雨情は、失意にどん底に突き落とされ、新聞社をやめ、

札幌に出て新しい職場を得たものの、長続きせず、また辞めてしまいました。

そのうちに、酒に酔っぱらうようになり、くだを巻くようになってしまいました。

そんなある日、夢の中にお嬢さんが現れたのでした。

目に涙を一杯浮かべて泣いていました。その涙の顔をみた瞬間、

野口雨情は我にかえりました。

(このままの姿では、死んでもあの子に顔を合わせることができない。

呑んだくれの自分の今の姿を娘に見せられない。この状態から立ち直ろうと心に誓いました。)

そこから、心機一転し、童謡の作詞家として素晴らしい詩を書くようになっていきました。

そして、北原白秋と並び称されるような童謡の作詞家に成長していきました。

(昭和20年、1945年に永眠し、行年63歳)



今回はシャボン玉の唄が生まれた背景に触れさせて頂きました。

このブログでも毎回沢山の言葉を紹介してきましたが

その時代背景や作者の人生や想いに触れることで

より言葉の理解に深みが出るような気がしています。

これからもそのような視点でご紹介していけたらと思っています。

 

参考資料
『安岡正篤 珠玉の言葉』 神渡良平著 講談社+α新書

 

 





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