春の日の花と輝く

中小企業で働く女性の日記です。
ぼんやり子づくり→治療開始→なんとか出産

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【出産レポ その7】疲労からの発熱?

2015年09月20日 19時05分10秒 | 出産・子育て関連
※後で加筆・修正の可能性がある記事です

・出産6日目(入院7日目)

朝、血液検査、尿検査、レントゲン検査が実施されました。

腸の中はだいぶきれいになっているということで、昼から流動食が開始されました。

一週間ぶりの待ちに待った食事だったのに、重湯150gが苦しくて食べきれなかったのがショックでした。

重湯の他にミニ野菜ジュースと豆乳紅茶が出ましたが、重湯でお腹がいっぱいになってしまったので、取っておいて後で飲みました。

食事が配膳されたときにスタッフから午後一で退院にむけても診察と指導を受けるように指示されました。

これらは通常退院の前日に受けることになっています。

私の退院日は決まっていないものの、食事を開始できたので退院できる見込みが出てきたと言う事だと解釈しました。

退院診察ではお腹の中に豆粒ほどの血だまりが見えると言われました。

自然に消えるかもしれないし、最悪手術が必要になるかもしれない、ただ、小さいから今のところは経過観察にしようと言う話になりました。

手術になるかもしれないというのが引っかかりましたが、医師の顔はそれほど深刻そうではありませんでした。

この日は夕方に義両親と会社の上司が病院を訪れました。

午後は退院指導、シャワー、上司面会、義両親面会と久々に長時間体を起こしていたため、とても辛かったのを覚えています。

来る人来る人にお腹が膨らんでいることを驚かれました。

産後はすぐにお腹がへこむわけではないと聞いていたので、お腹が膨らんでいるのは普通のことと思っていましたが、私のお腹のふくらみは異常なようでした。

面会中にスタッフが血圧を測りに来ました。

降圧剤の点滴をしているにもかかわらず160もありましたが、面会しているせいだろうと考えていました。

最後の面会を終え、夕方部屋に戻ると酷い寒気を感じました。

私は4人部屋に入室していましたが私のベッドは冷房のすぐ脇にあり常々寒いと思っていました。

しかしこの日の寒気は強烈で、スタッフに設定温度を上げることはできるか聞きました。

エアコンの設定温度を上げてもらいましたが、寒気がおさまることはありません。

夜になり、日課の検温をしたら発熱していました。

寒気がしたのはエアコンのせいではなかったのです。

疲れすぎて熱が出たのかなと思いました。

毛布を持ってきてもらって体をあたためてもらいました。

そのおかげか、翌朝には熱が下がっていました。

・出産7日目(入院8日目)

「検査の結果次第では明日退院できるかもしれない」と言われました。

私はまだお腹が重く、体内に痛みを感じていたので、家に帰って生活ができるのかどうか、ただただ不安を感じていました。

ベッドから立ち上がる時に力を入れると、お腹が熱くなります。

これは正常なんだろうか。帝王切開になった人はみんなこうなのだろうかと言う疑問が頭の中に湧き始めました。

私より後に帝王切開の手術を受けた同室の人は、もっと元気なように見えました。

この日新生児室に行くと、昨日退院指導を受けたせいか子どものコット(キャスター付きミニベッド)に「退院おめでとう」のカードが刺さっていました。

もちろん、私は退院できるわけではありません。

このこともそうですが病院のスタッフの仕事は機械的で、配慮がないなと感じることが多かったです。

特に私は通常の産婦のようにスケジュール通りに事が運ばなかったので、入院中のルールや院内サービスなど、説明されていないことが多々ありました。

スタッフも忙しいから仕方がないのですけどね…。

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墓が乗っ取られた話

2015年09月20日 16時07分13秒 | 日記
家系とは何かを考える

今年の2月にこんな記事↑を書いていてですね。

一番最後に「墓はどうするのか」と疑問に思っていたのですが、なんと、

乗っ取られました

父は3兄弟の末っ子でした。

兄弟の構成は長男、長女、次男(父)です。

父方の実家は商売をしていたのですが、長男は駆け落ちして家を出たため、次男である父が店を継いでいました(長男は勘当されたわけではなく、普通に実家に出入りしていました)。

長女も結婚して家を出ていたため、父方の祖父母の面倒は私の母が見ました。

私たちも祖父母とは別居していましたが、病気で具合が悪くなってから祖母が私の母を呼び寄せたのです。

それからほどなくして祖母が亡くなり、その後一年半の間に祖父と父が相次いで他界しました。

その後、長女(伯母ですね)が私が受取人になっていた祖母の生命保険を勝手に受け取ってマンションを購入したり、祖父母の家の鍵を付け替えたりして、私の母と伯父伯母との間で泥沼の相続争いが始まります。

これを機に母は父の家(前回と同じく仮に五十嵐家とします)から籍を抜き、旧姓に戻りました(私と兄は学校があったのでそのまま)。

相続争いにかかる裁判は10年近く続き、最終的にお金をもらって解決をしましたが、墓についての話はなんとなく宙に浮いていました。

長男と長女は家を出たため、当初寺の住職は私の父が、ひいては私の家の誰かが墓の後継者と言う認識でいたようです。

母は必要であれば寺にお金を払っていましたが、五十嵐の墓に入るつもりはなく、別の寺に墓を購入していました。

ただ、父と生後間もなく亡くなった私の姉の骨は五十嵐家の墓に入っているため、お盆やお彼岸、それぞれの命日には五十嵐家の墓に墓参りをしていました。

でですね。

今年の春に伯母から封書が届いたと思ったら、墓を伯母の家の名義(伯母の配偶者の姓)に改装したという知らせでした。

相続争いをする中で、父や姉の遺骨を母が買った墓に移す話が出たことがあったため、その時のことを引き合いに出して、遺骨を移したいなら寺に申し出るようにと書いてありました。

希望があればと書いてありましたが、名義が変わってしまっているということは出ていけという事だと私たちは解釈しました。

事後報告でしたから慌てて寺に話を聞きに行くと、住職は私たちが改葬を知らなかったということに大変驚いて「合意の上だと聞いている」と言ったそうです。

墓の名義を変えるときは合意の書類などが必要になるそうですが、私たちは何も話を聞いていないので、おそらく文書偽造が行われています(私名義のお金を勝手に取るような人ですから文書偽造には抵抗がないでしょう)。

住職から、墓の名義を変えたきっかけが五十嵐家の長男が亡くなったことだと聞いて、私たちはさらに驚きました。

長男の死を知らなかったからです。

伯母は五十嵐家の3兄弟の中で、残ったのが自分だけになったので、墓を自分のものとしたようでした(伯母の立場からすれば「継ぐ」という思いもあったのだと思います)。

名義が違うのでは仕方がないので、母は父と姉の遺骨を自分の墓に移すことにしました。

これが結構手続きが大変で、自治体や現在埋葬されている寺、そしてあらたに遺骨を移す先の寺から証明書をもらわなければいけませんでした。

そして私が産休に入ったころ、改葬が終わりました。

母が買った墓はまだ空っぽでしたから、父と姉の二人きりの墓になりました。

私は、父が寂しくないだろうかと心配になりました。

家族の仲がどうだったかはわかりませんが、今までは両親と兄と、先祖代々のみんなと同じ墓に入っていたのに、幼い姉と二人だけの墓になってしまって良かったのかと、答えの出ない疑問が頭の中から消えませんでした。

母がこの先一人になることがなくなったと思えば、それはそれで良いのかもしれませんが…。

冒頭にリンクを貼った記事を書いてすぐに伯母からの封書が届いたので、墓について考えたのは虫の知らせだったのかなと、今となっては思います。

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ちなみに私と兄には伯父の遺産の相続権があります。

今回はこの件について争うつもりはありませんが、おそらく全て伯母が手にしています。

そして、そのお金の一部を墓の改葬費用にあてたのでしょう。

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