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前回と日付が前後するけどツアー道中記の続き。
9月8日北海道へ渡るため青森フェリーターミナルへ向かう途中、「三内丸山遺跡」に立ち寄る。案内看板を見ながら走っていたつもりが、なぜか道に迷う。午後4時頃なんとか到着。
到着してすぐボランティアガイドツアーが出発するとアナウンスがある。1時間程度だということで参加することに。参加者10人程度。約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡をガイドさんが手作りでファイリングしたと思われる資料を見せながら案内してくれる。こうゆうのに参加するとより深く理解できて楽しい。
そんな中やっぱり目についたのは、6本の柱で作られた大型掘立柱建物跡。直径1mの栗の木で作られてたんだって。当時はこの周辺にも栗の木が豊富に育っていたらしいが、現在の日本にはそんな栗の巨木は無いので、再現するのにロシアから取り寄せたそうだ。それにしても何に使われていたんだろう。物見櫓、倉庫、祭壇、、、はっきりとは分かっていないらしい。僕はなんとなく祭りの時の祭壇じゃないかと思う。この周りで火を焚き、楽器を鳴らし、飲んで踊っていたとしたら楽しそうだからね。
でも一番驚いたのは、ここでの暮らしが大きな変化も無く1500年も続いたということ。例えば1500年前と現在の日本人の生活様式はまるで違っているし、今の生活様式が1500年後も続いているかはかなり疑問。というよりはこのままの生活様式では地球自体が数十年ももたないだろう。現在の日本にとって、日本じゃなくても、安定して持続できる生活スタイルの確立って必要だと思う。
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