papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

長くは感じますが長くは続けられない

2009年06月30日 | 歌・ミズキ
朝起きて、午前中はスタジオに入り太鼓を叩く。手が痛い。
スタジオの前で偶然山P夫妻と遭遇。子供がすくすく育っていた。

昼1時、良く行く喫茶店でランチ。ちょっと散歩。

午後3時頃、ずっと見ようと思っていたDVDを見る。イマイチ、、、。

夜、SDFに遊びに。初めていく場所。
ドラムフェスというだけあって、太鼓祭り。
いろいろな仕掛けに感動。みんな良く考えるなー。

夜0時前、こっこめへ呑みに行く。
偶然UKさんがいたので、リズムトーク。
たまたまいた人とギタートーク。
たくさん話したな~。

朝4時過ぎ、早稲田でラーメンを食べる。

6時頃帰宅。気絶。

久しぶりに遊び倒した。
かなり長い一日だったが、疲労困憊、、、。

そもそも一週間という単位の成り立ちは何だろうか?

2009年06月28日 | 歌・ミズキ
歳を取るごとに日がたつのが早くなると、良く聞きますが、実際そのように感じますし、最近はその時間の早さに、ついていくのがつらくなってきました。

どうも1週間単位くらいで時間が過ぎていくようで、ちょっと後回しなんてすると、平気で2、3週間は過ぎる。

しかも忙しいとその忙しさを忘れるため、より忙しくして、わざと時間の激流に飲み込まれてしまおうとする癖があるようだ。

そんで結局、その激務期間が終わると、忙殺された日々を、ただただ後悔するんですけどね。

だから最近は、野外イベントなんかに行って、強制的に時間の流れを元に戻そうと試みるわけです。

先日も長瀞のてのひら祭りにいって、ゆっくりと時間の流れを感じながら、気が向けば竹(そろそろこの楽器の名を決めてやるべきでは?)を叩いたりして、気持ちをニュートラルな状態に戻してきた。

ここの所ずっと気になってた楽器に「ハング」っていう円盤型のスチール製の打楽器があるんだけど、隣のテントの方がそれを持っていて、ちょっとたたかせてもらった。生ハングの音は、思ったとおり幻想的な気持ちよい音でした。現在は入手困難らしいけど、チャンスがあったら手に入れたいなー。

papalionJapanTour2007~後書き~51

2009年06月20日 | キャンプでライブツアー'07・後記

翌朝早々、9月5日(水)朝食を頂いた後に、盛岡に向けて出発した。
途中まで高速を使って北上、岩手に入って、花巻辺りから下の国道に降りて走った。

岩手の道は、そこから見える風景がそれまで見たこと無いような圧倒的な広さで素晴らしかった。
天候はうす曇で、それほど見晴らしが良くは無かったが、サイロや冬をしのぐ建物等、はじめて目にするものばかりで、広大な景色と相まって異空間を楽しめた。
起伏の少ない台地に、裾広がりの大きな山が時折そびえて見え、大地には低い森と草原がなだらかで、山がまじかに迫る四国の風景とは全く違っていた。
気候も涼しいし。

昼前に盛岡に到着。
福島で得た情報で、じゃじゃ麺の名店が盛岡城前にあるとの事で、早速食べに行った。そのお店の名前は「白龍(パイロン)」。

じゃじゃ麺とは聞きなれないかもしれないけど、盛岡では超有名で、冷麺、わんこそば、と並んで盛岡三大麺のひとつ。
味噌が汁なし麺の上に乗った、和風冷やし中華のような感じで、台湾のジャージャー麺に近い見た目けど、味付けとか細部が違ってて、麺はうどんのように太くジャージャー麺とは似て非なるもの。
ちょうど昼時、さすが有名店「白龍」、10分程度並んだが、狭いカウンターと小さなテーブルが2、3あるのみの店内に入り、じゃじゃ麺を食べることが出来た。
美味しかった。

特に麺を食べきった後、だし汁と溶き卵で食べるスープが美味しかった。
じゃじゃ麺は、見た目がジャージャー麺に近かったので、ピリピリする辛味を想像してたんだけど、全くそうではない、和風(+ちょっぴり中華)の盛岡の味だった。

食後、石川啄木などで有名な岩手公園内の盛岡城を散策して、時間もあったので、ついでに城内の芝生で昼寝。
これからライブなんだけど・・、この辺りまではかなり観光気分でした。

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papalionJapanTour2007~後書き~50

2009年06月17日 | キャンプでライブツアー'07・後記

ついにpapalionツアーの後書きも50回達成!!
つーか、2007年の出来事なのにぐたぐたと書いてしまって申し訳ないm(_ _)m
もうしばらくお付き合い下さい。

9月4日(火)関東平野の端っこでのキャンプを終えて、再び北上した。
と、伊許山キャンプ場の管理人さんに教えてもらった温泉施設でまず休憩。
温泉のお客さんはおじいちゃんばっかりで、のんびりしてて気兼ねなしにリラックスできた。
午前中の11時くらいまでお湯でのんびりして、再出発。

天気は朝から快晴。北関東の田園地帯を走って、再び東北への幹線国道に乗った。
途中、通行止めで迂回させられながらも、正午を廻って2時間ほどで那須高原を越え、福島の白河に着いた。

福島の白河といえば、白河ラーメン!
白河の街をとりあえずは、白河(小峰)城に向かいながらも、ラーメン屋を物色しながら車を走らせた。
以外に小さかった白河駅でラーメン情報掲載のパンフをゲットしつつ、近くの白河城に向かった。

白河城は復元天守のお城。でも忠実に再現されてて見所が多く、規模もそれほど大きくは無いけど、石垣もきれいで美しいお城だった。
お城から見た城下の風景も遠くに山々が広がって美しい風景だった。

白河城を見て廻った後、白河ラーメンを食べるべく車を走らせた。

既に15時近かったので、開いてるお店を探すので少し時間が掛かったが、なんとかお店を見つけて白河ラーメンを食べた。

白河ラーメンは縮れ太麺の醤油ベースラーメン。これが白河ラーメンか!へぇーといった感じ。
まあ、ラーメンは満足出来たんだけど、特に気になる特徴が無かったので、なんとも説明しがたい。喜多方ラーメンに近いかなぁ…
ラーメンに詳しい人はもっと詳しく書けるんだろうけど。
でも美味しいのは確かです。


その日はミズキの福島にある実家に宿泊予定。
白河ラーメン食後、福島市へと向かった。
国道を北上していると、安達太良山が左に見えて、風景が関東とは明らかに違ってきた。
東北は何度か来たことがあるので、見慣れた感も多少はある景色だけど、やはりその山々の雄大さは、季節や時間帯によって違いがあるので、毎回新鮮に感動する。

福島市のベースキャンプ地?(ミズキの実家)に到着。既に8時くらいだったけど、すごく歓迎してくれて、豪華な夕食を頂いた。
普段の生活ではあまり感じないけど、屋根の下でわいわい食事を囲める事って素晴らしい。

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三沢光晴

2009年06月14日 | ドラム・ケイジ
中学生の頃にプロレスが好きになりました。

地元高知では当時、全日しかやってなくて(しかも深夜)、高校ぐらいの頃、三沢が超世代軍を結成し、ジャンボ鶴田に向かってがむしゃらに闘ってた時代で、テレビでその戦いを観ててすごく興奮し感動したのを覚えています。
当時僕はJ鶴田ファンで、毎回、その強さに惚れ惚れしてました。でも、三沢が一騎打ちでJ鶴田に初めて勝った試合は、鳥肌が立つくらいの名勝負で深夜興奮したのを憶えています。
大学に入って東京に出てきて、何度か全日の試合を観にいきました。高知では見ることが無かったストロングスタイル新日の試合も何度か観ました、もちろんテレビでも。
でも、新日も面白いけど、淡白な試合も多いなーと、高知では見られなかった腹いせか、やっぱり全日の方が好きでした。

NOAHになって、テレビも毎回ではないけど、大一番は必ず見てて(今年の3月には終了したけど…)、テレビには映らない若い選手もwebサイトでたまにチェックしてました。
テレビで見る度、相変わらず痛い痛い耐久戦をやってて、相変わらず骨がぶつかる音が聞こえてきそうなエルボーをガツガツ入れてて、相変わらず指ワイパーで額の汗を拭ってて、相変わらず好機にジャンプしてて、相変わらずザ・リーブのCMでコミカルな事をやってて、小橋が長期離脱しても相変わらず三沢はメインで出続けてて、毎回、変らないそのスタイルにすごく安心して見ていました。
他団体との交流戦では、社長自ら率先して出陣する心意気と、選手三沢のありえない強さと、見ているこっちが痛くなるような技一つ一つの激しさを惚れ惚れと見てました。すんごく魅力が溢れてます。


恐らく大手のTV中継がなくなったことで、社長としてこれからのNOAH戦略を楽しみにしてたのではないかと思います。
それと同じ量、いや、その何倍もの量で会社や社員、全てのファン、プロレス界に対する責任も強く強く感じていた事と思います。
会社勤めをしてると多々あることだけど、大手企業におんぶにだっこでぶら下がると、金は出すけど言いたい事は言わせて貰う、決定には従ってもらう、会社の事情を有無を言わさず一方的に要求を呑んでもらう、といった理不尽な事も多々あったと想像します。
こうしたいと考えても、まずその内容を大手企業に見てもらって、経験半端な勝手な若手社員に、訳もわからない権力を振りかざされた事もあったのかもなー、と、勝手なイメージですが…

NOAHが自らの力で自ら舵を切ろうとしはじめた矢先、あまりにも突然の訃報。
何が言いたいのやら全く意味不明なその訃報。「うそだろ?」でも冗談でも何でない、ただリアルなその訃報。
ただただショックなだけのその訃報…

切れ味鋭いあのエルボーがもう過去のものになってしまうのかと考えると、そんなことは有り得ないし、2009年6月13日以降の三沢光晴の履歴が無い事が、悲しくて悲しくて悲しくて残念でなりません。

お願いだから帰って来てよ。 三沢光晴