今日の夕方母は眠るように私の腕の中で冷たくなっていきました。私が言うのも変ですが、品の良い、かわいい、慎ましやかな母でした。”おしん”の時代、母よし子は山形県酒田市で生まれました。3年前母が脊髄圧迫骨折で病院に入り苦しんでいた時”今まで誰にも言わなかったけど”と言う話をしてくれました。今から80年くらい前、東北地方は貧しく身売りがあったと言います。母は声を詰まらせ”姉さんは家族の為女郎屋に売られたんだよ。とか、7歳の時仲の良かったお友達が何々温泉に売られていったとか。話してくれた。何々温泉に探しに行きたいとも話した。父が多くの死者の中での戦争で生き残り私が生まれた。この春母を軽自動車に乗せて山形へ行ってきた。何々温泉へは行けなかったが、母が養子に出されて育った家、2歳上の病院に入っている母のお姉さんにも会わせてきた。”また来るからね。”と姉さんの手を握っていた母は痴ほうの進んだ人には見えなかった。12日近親者のみのお通や、13日桐生市、セレモニー金沢にて告別式。