ベリーダンススタジオ★☆★ぱわふるマドンナ★☆★ 主宰・坂口せつ子 

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今日は母の告別式

2008-11-13 06:03:16 | 日記
夕べは通夜で安中から私の友達も3人きてくださった。母の遺体のそばで兄.妹家族と過ごしている。皆座布団かけて寝ている。私は夕べ母も少し好きだったビールを飲んで今日になる前に2時間ほど寝たので0時からずっと起きている。今朝5時。私は母を愛していた。いやいや母に愛されて育った。この私は55年6ヶ月母の大きな深い愛そのものだ!この身体.命はもちろんの事.無限の掴みきれない愛に育てられた。母の名言゛おてんとさまは.みーんなを.カワイイ.カワイイって誉めてんだよねー。゛母が8月の手術前に老人性痴呆になってから言った言葉だ。私は母のように生きたいと思う。母はおてんとさまそのものなのだ。世界中の全てのいきとしいけるものを慈しみ.愛する思いで生きてきたのだ。
私の父勝次郎の葬儀には700人の人が来てくれた。皆涙目だった。有名人でも資産家でもない.戦争中.大工のできた父は宇都宮の空襲のあとタダで今日食べるものもないのに.人の為に働いたそうだ。母は自分は食べた振りをしてなけなしの食べ物も父に食べさせて支えたらしい。父は困っている人がいるとほおっておけなかったのだ。だから母は苦労した。父の葬儀の時.私は金も名誉も求めず.ただ純粋に人様の役に立つ事だけ考えて生きた父のように生きようと思った。今母を見送る今日やはり母のように生きようと深く思う。愛に形はない。形のないものは計れない。母の大きな深い愛を私は引き継ぎ.子孫に繋げていきたいと深く思う。8月13日に母は桐生厚生病院の土屋先生の手術とその後の手厚い治療と看護により命を助けて頂いた。兄夫婦に無理やりお願いして母は私の家に来た。私の5人の子供達は皆独立したので母との二人暮らし。母は一言の文句も言わず。笑顔で覗けば笑顔が帰ってくることもあった。美味しいものは口をあけすすり.まずいと口を閉じた。いつも昼間は大人しく外を眺めそのまま寝たりしていた。家で母と過ごした幸せな
時間は終わってしまった。厚生病院の土屋先生にベランダを散歩している写真をお見せしながら.お礼に行こうとしていた。残念ながら、母は旅立ってしまったけど、母の命を助けて頂き私に幸せな時をくださった事感謝の気持を伝えに行こう。昨日私の家に来て母の死因を調べてくださった高崎市の内科医.牧本先生は.老人性痴呆は病気ではないと思います。お母様はとても自然に歳を重ね大往生されたと思います。苦しんだ顔もしていないし.髄えきも採らせて調べて視ましたがとても綺麗でした。と丁寧にお話ししてくれた。