近所のある“山田かまち美術館”には全国から多くの若者が来る。館長の廣瀬さんはそんな若者から頼りのされていて、なにかある度に、遠くから訪ねてくる若者と接してきた。7月20日から24日まで、サンフランシスコから来た、私の友人胤森(たねもり)さんの作品を展示させて頂く前に、打ち合わせのため美術館うを訪ねると、館長さんは、東京から来た女性と話をしていた。私はその矢萩友恵さんとすっかり仲良しになり、箕郷町のレストランで食事をし、山へおいしい水を汲みに行った。空気がおいしいと言ってくれた。お話を聞くと、矢萩さんはアスベスト被害者で、この春、呼吸が出来なくなり、自分で救急車を呼び、一命をとりとめたと言う。以前は、歌手としてハワイや都内のホテルのラウンジなどで歌っていたそうだ。今は資格をとり、介護の仕事をしているという。矢萩さんは最終日にまた来てくれて、胤森さんに”レットイットビー”を歌ってくれた。彼女は展覧会が終わった後、すてきな命ネットにカンパを振り込んでくれた。私が感謝のメールを送ると、返信の最後に”頑張る事は止めましたが逃げませんよ私は”とあった。現実をしっかり受け止め、美しく生きている29歳の彼女の歌声は美しかった。
坂口せつ子
2005年8月5日金曜日
高崎市民新聞連載より転載
坂口せつ子
2005年8月5日金曜日
高崎市民新聞連載より転載