今夜19時55分からペアーレ桐生ベリークラスです。
みんな来てねー!
こちらの七ヶ浜の避難所の最上さん。最上さんの御蔭で、こちらで、踊らせて頂くことができました。最上さん元気で、いてくださいね。又いつか七ヶ浜に行きます。
写真撮ってくれた、まいこちゃん、ありがとう。
今夜19時55分からペアーレ桐生ベリークラスです。
みんな来てねー!
こちらの七ヶ浜の避難所の最上さん。最上さんの御蔭で、こちらで、踊らせて頂くことができました。最上さん元気で、いてくださいね。又いつか七ヶ浜に行きます。
写真撮ってくれた、まいこちゃん、ありがとう。
今回の旅にご協力を頂いたぱわふるマドンナの会員の皆さま、NHK文化センター、桐生シダックス、ペアーレ桐生の生徒様、カンパを下さった、”あき、ぷり、けいこ、ゆー、がーや、あっこ、みさき、あゆこ、まさこ、せいこ、あやみ、とも、まいこ”ツアーに主体的に参加してくれた、”まいこ、とも、せいこ、あやみ”スルタンステージをやってくれた、めぐとよしこ。レッスンをやってくれた、がーや、べにや。お留守番レッスンを責任者でやってくれた、みほよ、あっこ。被災地のお逢いした人にプレゼント用の新しい5本指靴下をたくさんサービスしてくれた山名町のリサイクルショップ”ナナ”さん。大きなたくさん荷物の積めるみんなもゆったり寝られた車をかしてくれた、高崎,屋台村で、イタリアンのバンビーナをやっている、ゆうじ、本当に助かりました。何より、気仙沼高松園様以外は突然訪れて、高松園の皆さま方をはじめ、大変な被災にあわれていながら、私たちに、本当に暖かく、紳士淑女で接してくださいました被災地の皆さま。この大震災で大活躍の自衛隊の皆さま。やはり大活躍のボランティアの皆さま。この感動は絶対忘れません。命の美しさ、尊さを、皆さま方との出会いとともに、深く感じ、共有し私たちの踊りに、人生に、反映させていこうと思います。
絶対に又訪れたいと思います。セッちゃんとぱわふるマドンナを忘れないでくださいね。
この前にある子供たちの庭はこれから2年間仮設住宅で、埋まります。体育館はやっとこの日から、愛宕小学校のこどもたちが使えるようになるのでしょう。
せっちゃん足閉じて!!あやみもせいこも一生懸命お手伝いしてくれました。ほんとうにありがとう。70個あまり作った玄米おやきは、この避難所の最後のメニューの中に、デザートのミカンと一緒に出されていました。食べて頂けて良かった。
17歳のけんだま君と、炊き出しなどのボランティアをされていた、ハンサムなお兄様と。彼は12人お子様がいて、英語の先生と翻訳のお仕事を普段されているそうです。
この日に3カ月過ごした避難所は閉鎖、それぞれが、仮設住宅へ引っ越す日でした。引っ越しの日の忙しい中、私たちの踊りを、暖かく見てくださいました。
今回の震災で大変なお仕事をされている自衛他の皆さまに感謝を込めて踊りたいと申し出ました。最初は、ちょっと難しいと首を横に振っていたのですか、せつこの熱心な申し出に最後は、”大変有り難いことなので、お願いします”といってくださいました。この記念撮影の後もそれぞれの、隊員さんが、写真をお願いしますといて下さって、ご自分の携帯に、私達との写真をおさめていました。
あやみ、
せいこ、はこのステージがデビュー。この後大興奮!!先生ありがとうございます。を何度も言っていました。
この夜は、併設のお風呂に入り、雨が降っていたのですが、自衛隊の車がたくさん置いてある敷地に、つかっていない建物があり、その軒下で、玄米を炊き、ちょっとビールを買ってきて飲んで食べました。おかずは、前日、あやみとせいこを迎えた時に、初めて伺ったせつこのいとこ(盛岡の近く滝沢村)に頂いた名前が分かりませんが、”しそで味噌を巻いて、油であげたもの”だけでした。が、せいこもあやみも”おいしい、おいしい”と言って、玄米ごはんを、炊いたかまの全部を食べてしまいました。その夜はせつこだけ、軒下に、寝袋で寝て、せいことあやみは車の中で、シートを平らにして、寝ました。
こちらでも玄米おやきを80個くらいつくり、みなさんおいしいと言ってたべてくれました。わたしが、おやきを作っているところへきた83歳の
鈴木登美子さん
静かに、隣の沢の住んでいた、妹さんとそのご主人、そしてその娘さんのお葬式を昨日済ませたことを話してくれました。妹さん以外はまだご遺体が見つかっていないそうです。妹さんは車いす生活だったそうです、、。登美子さんへは、手作りシルクカバーノートを、プレゼントする約束をしました。