8月15日、敗戦記念日の日、様々な思いを語り合う場にしようと、市の非核平和都市を勧める会(主催)と原水爆禁止協議会(共催)で毎年行なわれています。勤めていた時は、ちょうどお盆休みに入り、この前後で田舎に帰省していたので参加し始めたのは退職後からで、また、夫さんが働いているので休みを利用して出かけたりしていましたから、数回の参加というところでしょうか。
一部はすいとんを食べながら周りの方との話。自分が、親が、親せきが、戦争経験者であればその時の状況など聞きながら、味噌のすいとんと、お醤油のすいとんを味わいます。
二部は講演 竹峰誠一郎さん(グローバル平和研究者、明星大学准教授)
8月15日という日のとらえ方から始まり、核兵器禁止条約締結を中心に、核兵器問題をどう見据えていけばいいのか、日本社会に引き付けて考える。その時、日本は「唯一の被爆国」あるいは「唯一の戦争被爆国」という認識でいいのか、その延長線上で核兵器問題は十分とらえられるのか。問題提起してくれました。
確かに、核兵器=戦争=被爆国日本(広島・長崎)というのはある程度の年令の人だと分かります。私などもそんな一直線な考えのもとでヒバクシャ署名をしていたようなところがありました。
核兵器禁止条約前文に刻まれた「ヒバクシャ」の意味。
被爆者から「ヒバクシャ」へ、1977NGO被爆問題シンポジウム、もう一つの「ヒバクシャ」;世界の「ヒバクシャ」
被爆者、この字を使うようになったのは1954年のビキニ水爆実験・マーシャル諸島。から。
「唯一の被爆国」日本の幻想を超えて。では、日本という国家の枠を超える視野を持ち、核問題を見据える。ことの大切さがわかりました。地上で核実験が行なわれていたマーシャル諸島はじめ世界の植民地、そこには先住民がいました。戦争による被爆ではなくても、被爆者はたくさん日本以外にもいます。改めて核兵器禁止条約を読み直そうと思いました。